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manganiyar, rajasthan folk

 spruce & bambooレーベル作品『ザ・ラジャスタン〜砂漠の表現者たち』の撮影に先立つ2007年に、インド ラジャスタン地方のマンガニヤールのライブパフォーマンスを記録した『manganiyar, rajasthan folk』を製作いたしました。YouTubeに公開後、たくさんの方に興味を持って頂けた作品でしたが、公開時の240PサイズからHDサイズにアップコンバートしたものを今回再公開いたしました。

 マンガニヤールとは、民族音楽の宝庫であるインドのラジャスタン地方に点在する芸能集団ジャーティのひとつであり、中でもジャイサルメールには数多く存在し、またパキスタンとの国境を越えて存在しています。彼らの大部分はスンニ派のイスラム教徒でありながらヒンドゥーのパトロンたちに仕えて生活を営み、社会構造が変化したインド独立後から現在に至っては、祭りや結婚式などで演奏したり、門付けや物乞いによって生計を立てています。
 マング=物乞い、ハール=暮らし、の合成語にその名は由来し、自らを「世界の創造と破壊を司るヒンドゥーの神シヴァによって創造された民」と名乗っています。大変高度な口頭伝承の文化を保ち、世代を通じて伝達されている数々の歌や、使用する楽器 (弦楽器カマイーチャ、両面太鼓ドーラク、打楽器カルタールなど) は典型的で地方色が強く、彼らの音楽を多様に彩っています。

 本作『manganiyar, rajasthan folk』では、ディーヌ・カーン氏のカマイーチャの独奏と、チャナン・カーン率いる6名の楽士からなるグループの、二組のマンガニヤールのライブパフォーマンスをチャーターして撮影しました。YouTube版ではVol1/Vol.2の全二巻にて公開しております。


manganiyar, rajasthan folk - vol.1 : HD version (2015) (10:20)


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 演奏者:ディーヌ・カーン Dinu Khan
 楽曲:Dama Dam Mast Kalandar / Nimbula / Moomal
 撮影地:ジャイサルメール, インド
 製作者:こいで みのる
 公開:2007年 (SD) / 2015年 (HD)
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 ジャイサルメールの中心街北部に位置するカラカール・コロニーに暮らす、ディーヌ・カーン氏によるカマイーチャの独奏。マンガニヤールの特徴でもある弦楽器カマイーチャは年々継承者が少なくなりつつあり、演奏できる人は高齢者ばかりになってきているそうである。ディーヌ氏も撮影当時は齢七十を越えるお方だった。
 カマイーチャの丸い胴体はマンゴの木、ヘッドは象牙、弓は馬の尻尾、弦は六本で太弦は山羊の腸を使用し、細弦は金属を使用。西洋のギターとは弦の貼り方が逆の配列だった。ディーヌ氏の楽器はかなり古い歴史を感じさせる外観で、七世代、三百年以上に渡って弾き継がれているとのこと。この楽器は単に音を出すモノ以上に、先祖代々の魂をも受け継いでいるのだと強烈に感じさせられた。
 そんな歴史を背負っていたものの、ディーヌ氏のカマイーチャはどうやら壊れていたようで、のこぎりを挽くようなアバンギャルドなサウンドを放っていた。本来の澄み切った美しい音色が「砂漠の風」に喩えられるとしたら、ディーヌ氏のこの悲鳴にも近い異様な音色はさしずめ「砂漠の暴風雨」と言ったところだろうか。しかしながら彼の哀愁帯びた歌声にこのカマイーチャのノイジーな音色が絡み合うと、不思議と違和感なく聴こえてしまうのだ。ディーヌ氏の異彩を放ったライブパフォーマンスには、他の楽士とはまたひと味違った独特な「ラジャスタンのブルース魂」を感じさせられた。


【vol.1 楽曲解説】

ダマーダム・マスト・カランダール Dama Dam Mast Kalandar
 遊行の聖者ラール・シャーバース・カランダルを讃える歌で、ヌスラット・ファテ・アリ・カーンなどのカッワーリ歌手がレパートリーにして日本でも有名になった楽曲。カランダールとはイスラム教の聖者 (出家修行僧) を指すと同時に、熊遣いや猿回しなど動物の調教を行う職業集団のことでもある。ディーヌ氏のどっしりとした唄い回しは、燻し銀のような渋みに溢れている。

ニンブラ Nimbula
 レモンに似た果物の木のことであり、花嫁を熟れる前のレモンに喩えている。女性たちが初心 (うぶ) な花嫁を取り囲みその若さを讃えつつ歌う結婚式の祝いの歌である。アラビックな旋律が印象的で、自分が好きな楽曲の一つでもある。いくつかの民族音楽のCDでは「ニブロ」とも紹介されている。ディーヌ氏の振り絞るようなシャウトが印象深い。

ムーマル Moomal
 タール砂漠に伝承する「ムーマルとマヘンドラ」という悲恋物語をテーマにした歌で、ムーマル王女の美しさを歌い上げる幻想的な渋い楽曲。もはやディーヌ氏の演奏は前2曲とほとんど同じ感じに聴こえてしまうが、これがだんだんと病み付きになってしまうから不思議だ。



manganiyar, rajasthan folk - vol.2 : HD version (2015) (10:57)


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 演奏者:チャナン・カーン・アーティスト Chanan Khan Artist
 楽曲:Dama Dam Mast Kalandar / Nimbula / Holi Song / Sufi Bhajan
 撮影地:ジャイサルメール, インド
 製作者:こいで みのる
 公開:2007年 (SD) / 2015年 (HD)
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 チャナン・カーン率いるチャナン・カーン・アーティストは、近年パリで演奏公演を行うなど国際的に活躍しているマンガニヤール6名からなるグループである。
 このライブパフォーマンスは彼らが暮らすカラカール・コロニーのヒルトップにて日没時に行われたが、背景に名所のフォート (砦)を入れる構図では真逆光となってしまったため、多少強引な構図で撮影せざるを得なかった。さらに不運なことに撮影当日の朝からいきなり細菌性の酷い下痢を催してしまい、めまいや嘔吐感と闘いながらの苦しいライブ撮影となり、撮影後半では意識が朦朧としてほとんど気絶寸前だった。そんな訳で色々なことに気を回すことができなかった悔いの残る撮影となってしまったが、両者のライブを改めて対比してみると、どちらも個性が際立っていて興味深いものがある。


【vol.2 楽曲解説】

ダマーダム・マスト・カランダール Dama Dam Mast Kalandar
 こちらのリクエストで通常よりもアップテンポにて演奏して頂いた。特にドーラクとカルタールのリズムのキレの良さが印象的だ。ドーラクを叩く風圧で周辺の砂がふわりと舞い上がる、こんなストリート感のある演奏がたまらない。インド的な輪廻思想に基づくターラ (リズム周期) とメロディの絡み合いは、幾何学的な美しさを思い起こさせる。
 体調不良に加え、撮影直前に照明機材の調子も悪くなってしまい、逆光下での撮影ではカメラの逆光補正とアイリス開閉とNDフィルターを多用して強引に対処したため、記録映像は結構荒くなってしまった。

ニンブラ Nimbula
 リーダーのチャナン氏のハーモニウムのアーラープ (ここでは「導入部」の意) がジャスのインプロビヴィゼーションを思い起こさせる。即興性が強いのはインド北部のヒンドゥスターニ音楽の影響もあろうか。夕陽に溶け込むようなラーガの旋律は、まさに異国情緒たっぷりだ。

ホーリー・ソング Holi Song (Holiya Me Ude Re Gulal)
 このセッションの二日後にホーリー祭 (色粉や色水を掛け合う、豊作祈願の春祭り) を迎えることもあって、彼らが気を利かせて演奏してくれた。一番左の少年シンガー、バブー・カーン君がジャクソン・ファイヴ時代のマイケル・ジャクソンのようにソウルフルに歌い上げていたのが印象的。唄と演奏が噛み合わない箇所があるものの、何か熱いものが伝わってくる。

スーフィ・バジャン Sufi Bhajan
 エンディング・クレジットはディーヌ・カーン氏の唄と演奏で締めくくる。バジャンとはヒンドゥー教の賛歌、ことにクリシュナ神やシヴァ神に対する深い愛情と帰依を歌うものであるが、スーフィ (イスラム神秘主義者) が唄うものはスーフィ・バジャンと言われているようだ。
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DVD Now on Sale DVD_Heart_of_Hindu
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 お陰さまで販売完了いたしました、spruce & bambooレーベル作品『ザ・ラジャスタン〜砂漠の表現者たち』『ヒンドゥのこころ』DVDより、抜粋編およびアウトテイク集をYouTubeマイチャンネルにて公開しております。HDサイズにアップコンバートしていますので、DVD版よりも閲覧画質が向上しています。
 この機会に是非ご閲覧ください。各リンクは別ウィンドウにて開きます。

【更新履歴】
  • 2015.3.25 : 『ヒンドゥのこころ』“3 people songs on the street, Haridwar India” を掲載
  • 2013.7.11 : 抜粋編 & アウトテイク集を公開


『ザ・ラジャスタン〜砂漠の表現者たち』抜粋&アウトテイク YouTube公開一覧

Song Kurja by Jogi, Rajasthan India Song "Kurja" by Jogi, Rajasthan India : An extract from "The Rajasthan" DVD (2:01)
【抜粋】インド北西部ラジャスタン地方のタール砂漠の放浪民族ジョーギーが唄う、ラジャスタン民謡「クルジャ」。クルジャとは渡り鳥のことであり、外出して不在の夫に対しての想いを妻が渡り鳥に託す美しい物語である。
Song Kamli by Jogi Song "Kamli" by Jogi, Rajasthan India : An outtake from "the Rajasthan" DVD (1:45)
【アウトテイク】インド北西部ラジャスタン地方のタール砂漠の放浪民族ジョーギーが唄う、ラジャスタン民謡「カムリー」。演奏中に携帯電話を眺めたり、演奏が止まって思わず吹き出してしまったりと、アクシデントに見舞われたテイク (この映像のみSDサイズ)。
Song Gorbandh by Manganiyar Song "Gorbandh" by Manganiyar with Kamayacha, Rajasthan India : An extract from "The Rajasthan" DVD (2:00)
【抜粋】マンガニヤールが奏でる弓奏楽器カマイーチャの独奏による「ゴールバンド」。ジャイサルメールでは誰でも演奏する有名な民謡である。
 モンゴルの馬頭琴が「草原のチェロ」と形容されるなら、このカマイーチャはさしずめ「砂漠のチェロ」と言っても過言ではないだろう。老人とは思えぬほど張りのある爽やかな美声で朗々と歌い上げるのが印象的だった。
Song Lera by Bhopa Song "Lera" by Bhopa with Ravanhatta, Rajasthan India : An extract from "The Rajasthan" DVD (2:44)
【抜粋】インド北西部ラジャスタン地方のタール砂漠の放浪民族、ボーパのラーヴァンハッターによる独奏。ラーヴァンハッターとは、竹材にココナッツの殻をつなげた筐体に2本の演奏弦と18本 ほどの共鳴弦を張った弓奏楽器である。レーラ Lera は少女の名前。
Bhopa little girl dancing Bhopa little girl dancing to "Holy Song", Rajasthan India : An extract from "The Rajasthan" DVD (2:01)
【抜粋】インド北西部ラジャスタン地方の放浪民族、ボーパのパプー・チマンラム Papu Chimanramの唄と演奏、少女アムリの妖艶な踊り。ジョードプルにて撮影。
 春の訪れと豊饒を祝うホーリー祭の歌ホーリーソング Holy Song (Holiya Mein Ude Re Gulal) に合わせて踊る少女アムリ(当時十一歳)の舞は、グーマーを基調とした緩やかな旋回舞踊だ。
Song Kardo Kardo Beda Par Song "Kardo Kardo Beda Par" by Langa, Rajasthan India : An extract from "The Rajasthan" DVD (2:38)
【抜粋】インド北西部ラジャスタン地方の放浪民族、ランガ集団ハニーフ・カーン・ランガ・パーティ Hanif Khan Langa Party によるパフォーマンス。ジョードプルにて撮影。
 マンガニヤールがヒンドゥーのパトロンに仕えていたのに対し、ランガはムスリムのみをパトロンとして仕えてきた。通常ランガは白いターバンを巻いているが、ジャイサルメールやバールメール出身のランガはカラフルなターバンを好む傾向があるという。


『ヒンドゥのこころ』抜粋&アウトテイク YouTube公開一覧

Sadhu Sings Arti Shiv Ji Ki” border= Sadhu Sings "Arti Shiv Ji Ki", Haridwar India : An extract from "The Heart of Hindu" DVD (2:01)
【抜粋】クンブメーラ期間中のハリドワールを訪問。インドでは至る所で唄や音楽が溢れている。サドゥの素朴な唄にも癒された。
 本映像の楽曲はヨーガ聖者スワミ・シヴァナンダが作った美しい宗教歌「アラティ・シヴ・ジ・キ」(またはオーム・ジャイ・シヴ・オームカーラ) であるが、ナガサドゥ、マノージ・ギリが歌うのはどうやらオリジナルの歌詞とは別物のようだ。
The Mineral Water KINLEY The Mineral Water Sadhu Likes : An outtake from "The Heart of Hindu" DVD (0:24)
【アウトテイク】クンブメーラ期間中のハリドワールを訪問。聖者サドゥが暮らすテントを訪問し、彼らの自由気ままな生活に触れてみた。
 ナガサドゥ、マノージ・ギリが愛飲しているミネラルウォーターはこれだったのか。
3 people songs on the street 3 people songs on the street, Haridwar India : An outtake from "The Heart of Hindu" DVD (7:56)
【アウトテイク】路上で出会った市井のインド人による、素朴で味のある唄を三選。一人目は農夫ハリラールによるヒンドゥ宗教歌。二人目はトイレの料金係サントシュによる「ハヌマン神と山羊の歌」、三人目は見習いサドゥによる「ハラ ハラ マハーデーヴァ」と「母なるガンガ」。
 サントシュと見習いサドゥの歌の一部は、『ヒンドゥのこころ』DVDでサウンドトラックとして使用。






The-Heart-of-Hindu20

 エンディング曲の “Hari Sundara Nanda Mukunda” も、前記事同様シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールのイベントで唄われたバジャンの一曲だ。ここまでのパワフルな熱気は、もはやロックのコンサートを凌ぐと言っても過言でない。

 自分なりの眼差しで、この多彩なヒンドゥの世界を見つめてきたのだが、市井の人々と神々との濃密な関係に感銘を受けずにはいられなかった。そこには切実なまでの「愛」が宿っており、それはキリスト教の愛に喩えるなら、フィリア <人同士の友情> でもなく、エロス <男女の愛> でもなく、アガペー <神への絶対的な愛> に置き換えられる。
 ヒンドゥ教では神に対するこの切実な愛を「バクティ」Bhakti と呼んでいる。すなわち信愛または絶対的帰依、神に対する愛のこころのこもった献身のことであり、親や師に対する敬愛、妻の夫に対する献身的な愛にも繋がっていると言えよう。このバクティを体感することこそが、ヒンドゥの大きな醍醐味なのだと思うのだ。

 バクティという思想は紀元前三~四世紀ごろに作られた「ウパニシャッド」で見られるようになり、さらに神に対する信仰の道として説かれるようになったのは、紀元前一世紀ころに成立した宗教詩「バガヴァッド・ギーター」である。このバクティという教えが出現して以来、インドの宗教は従来のバラモンを中心としたヴェーダに関する知識や祭式を中心とした宗教から、人々の純粋な信仰心だけを中心とした宗教へと変化していった。
 ちなみに仏教では信仰をあらわす言葉として「シュラッダー」Sraddha を用いる。バクティが人格神に対する信愛を意味するのに対して、シュラッダーは理知的な信で、神や仏の教えに対する信頼なのである。

 と言うわけで、映像はいよいよエンディングを迎え、去り行く男のカットで幕を閉じる。人生も旅もまだまだ続くのだ。オーム。【完】

The-Heart-of-Hindu19

 リシケシュのラクシュマンジュラに滞在中、同じゲストハウスで出会ったモンゴル人女性のサラに誘われて、聖者シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール Sri Sri Ravi Shankar(有名なシタール奏者とは別人)の講演に参加させていただくことになった。ラムジュラからさらに五キロほど南下して、会場となっているスワミ・スワッタントラナンド・アシュラム Swami Swatantranand Ashram まで乗り合いリクシャーを飛ばす。近所にはシャンカールの宿泊している施設があり、彼を一目見ようと大勢の人々が路地一体に群がっていて、その光景はさながらポップスターを熱狂的に愛するかの如くだった。

 夜の開演まで時間があったので、まずは腹ごしらえ。千人は優に収容できそうな大きなホールでベジタリアンのターリーを食す。町中の食堂で食べるものよりも味が良い。「炊事班の女性たちが、唄を唄いながら作っているからね」とサラが言う。楽しそうに料理の下ごしらえしている光景を事前に見ていただけに、大いに納得。
 気がつくと回りのインド人はみな沈黙して厳かに食事をしている。「ことばを発さない」修行をしているそうだ。マノージギリの瞑想の時と同様「ことばを発さない状態こそが、人として完全なのだ」と、この時も感じさせられた。

 食事後に会場に向かう。学校の体育館くらいはあろう大きな建物だ。樹々に彩られた無数の電飾が美しく光っている。靴を脱いで中に入ると、サラは客席をずんずんと越えて、楽士たちの演奏スペースのすぐ後ろの席を陣取る。ラヴィ・シャンカールのステージからわずか五メートルくらいの近距離だ。今日の講演はどうやらインド人向けのようで、外国人は優先的にこの最前列に座る事ができるらしい。
 やがて三々五々、市井のインド人たちが会場内に集まってきた。さすがに物音でザワついているものの、相変わらず話し声は皆無である。一九時頃には会場は人で一杯に埋め尽くされていた。入りきれない人たちが窓から中を伺っているほどの大混雑ぶりだ。やがて楽士たちがやってきて、全員で厳かに「オーム」を唱えたあとにバジャンが始まった。バジャン Bhajan とは宗教歌の種類のひとつで、形態は特に問わないが、神の御名を繰り返すシンプルな歌詞(マントラ)を、観客とコール・アンド・レスポンスで掛け合いながら唄い、大いなる宗教的恍惚感を得る宗教音楽である。シーク教徒や仏教徒が楽器を使って行う宗教歌を キールタン Kirtan と呼ぶらしいが、バジャンとの明確な違いはよく分からない。現地の人もこの二つを厳密に使い分けているような感じではなかった。詳細は英語版ウィキペディアをご参照頂きたい(Wikipedia: BhajanWikipedia: Kirtan)。

 それまで寡黙だった人たちが、楽士たちの演奏に合わせて一気に歌を歌い始めるや否や、会場に大きなうねりが出始めてきた。勝手がよく分らないため、最初は楽士の後ろで大人しくしてこの光景を眺めていたのだが、スタッフの舞台ディレクターから自由に撮影してもよいとの許可をもらってからは、会場内をあちこち動き回って録り始めた。タブラやドーラクの激しい打楽器のリズムも相まって、会場はだんだんと熱気が籠ってきて、なんともただ事ではない雰囲気に・・・。
 シバ神とその妃パールヴァティー神を讃えるバジャン “Bhole Ki Jai Jai”(偉大なる神)でそのうねりは頂点に達した。曲が進むにつれ、老若男女問わず皆が堪えきれずに立ち上がり、我も忘れんばかりに踊り狂い始める。対照的に瞑想している人も多く見かけ、同伴したサラも深い瞑想に入っている。あぁ...これこそがインド人の宗教的体験の神髄なのだ。自分も踊り出したい気持ちをグッと堪えて、冷静になって撮影に集中する。
 黒人霊歌のゴスペル、ブラック・アフリカの礼拝歌、モロッコのグナワ、パキスタンのカッワーリ等、コール・アンド・レスポンスで宗教的な一体感を得る音楽は世界中で多く見受けられるが、今回のバジャンはそれらを凌駕していると思える程、パワフルでエキサティングで感動的なセッションだった。「ヒンドゥの本質は生きること、生きようとすることだ」という、インドの初代首相ネルーのことばそのものを感じ味わっている。

 この感動的な映像を録れたことを本当に嬉しく思う。ありがとうサラ。ありがとうヒンドゥの人たち。
 やがて穏やかな表情をしたシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールが悠然と入場して、場内はさらに盛り上がりを見せる。でも私はこのバジャンだけで胸が一杯になった。



The-Heart-of-Hindu19b

 本編ではこのバジャンの最中に、市井の人々のたくさんのポートレイトを挿入したが、この聖者は特に印象が残っている。旅には不思議な出会いがあるものだ。

 ハリドワールでの撮影初日、ハリ・キ・パウリ近くの対岸で、近郊の村から礼拝にやってきた素朴な農夫、ハリラール・タージと出会った。彼と一緒にサドゥのテントを訪問したり、岸辺で歌を唄ったり、果物を食べたりして、一緒に楽しく時を過ごしていた。最後に彼の通うアシュラムに連れて行かれ、そこで出会ったのがこのシュリ・ラム・ゴーパル・マハラージ Sri Ram Gopal Maharaj というデリーの聖者だった。父親シュリ・ハリ・プラサッド・マハラージ Sri Hari Prasad Maharaj も大物聖者だったそうだ。
 ハリラールと一緒に謁見すると、グルがいきなり手持の札束を全額私の前にポンと差し出すではないか。応対に困っていると、ハリラールが「いいから受け取れ」と急かすようにアイコンタクト。突然の出来事に戸惑いながらも、この札束を恭しく頂いた。しかも札束だけでなく、インドでは滅多に見かけない高級感漂うお菓子の詰め合わせやら、彼の顔写真の入ったノートやらキーホルダーまでお土産に頂いてしまった。
 一日中付き添ってくれたお礼にと、グルから頂いた札束をそのままハリラールに手渡そうとしたが、彼は頑として受け取ろうとしない。お菓子の方は、滞在ホテルに戻ってからスタッフやハリラールとで分け合って食べたが、豪華にも金箔が施されていて、インドのお菓子とは思えないほど美味だった。
 グルから受け取った金はさすがに私欲のためには使えないので、後でリシケシュで出会った怪我の治療費の捻出に困っている老人に全額ドネイションした。グルもきっと旅人がそうすることを望んで私に金を託したのだと思うのだ。役目を果たす事が出来てやっと肩の荷が下りたと同時に、白隠の「因果一如」、道元の「修証一等」ということばがふと頭に過った。今行った行為の報いは、それと同時に受けているのだ。

 私が幼かったころの日本では、このような「助け合い」や「お互いさま」の精神はまだ残されていたように思うが、競争原理が支配してしまっている現在の日本では、こんな心温まる光景にも滅多に出会えなくなってきたように思う。インドの社会はカースト制度によって役割分担の考え方、すなわち布施を「する」側と「される」側のバランスで成り立っている。そういった側面から眺めれば、カースト制度も決して理不尽なものではないと思える。そしてスヴァ・ダルマ(己の本分)という教えにより、このカーストの枠組みの中で自分はどうやって「善く」生きて行くのかを知るのである。


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