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The-Heart-of-Hindu20

 エンディング曲の “Hari Sundara Nanda Mukunda” も、前記事同様シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールのイベントで唄われたバジャンの一曲だ。ここまでのパワフルな熱気は、もはやロックのコンサートを凌ぐと言っても過言でない。

 自分なりの眼差しで、この多彩なヒンドゥの世界を見つめてきたのだが、市井の人々と神々との濃密な関係に感銘を受けずにはいられなかった。そこには切実なまでの「愛」が宿っており、それはキリスト教の愛に喩えるなら、フィリア <人同士の友情> でもなく、エロス <男女の愛> でもなく、アガペー <神への絶対的な愛> に置き換えられる。
 ヒンドゥ教では神に対するこの切実な愛を「バクティ」Bhakti と呼んでいる。すなわち信愛または絶対的帰依、神に対する愛のこころのこもった献身のことであり、親や師に対する敬愛、妻の夫に対する献身的な愛にも繋がっていると言えよう。このバクティを体感することこそが、ヒンドゥの大きな醍醐味なのだと思うのだ。

 バクティという思想は紀元前三~四世紀ごろに作られた「ウパニシャッド」で見られるようになり、さらに神に対する信仰の道として説かれるようになったのは、紀元前一世紀ころに成立した宗教詩「バガヴァッド・ギーター」である。このバクティという教えが出現して以来、インドの宗教は従来のバラモンを中心としたヴェーダに関する知識や祭式を中心とした宗教から、人々の純粋な信仰心だけを中心とした宗教へと変化していった。
 ちなみに仏教では信仰をあらわす言葉として「シュラッダー」Sraddha を用いる。バクティが人格神に対する信愛を意味するのに対して、シュラッダーは理知的な信で、神や仏の教えに対する信頼なのである。

 と言うわけで、映像はいよいよエンディングを迎え、去り行く男のカットで幕を閉じる。人生も旅もまだまだ続くのだ。オーム。【完】

The-Heart-of-Hindu19

 リシケシュのラクシュマンジュラに滞在中、同じゲストハウスで出会ったモンゴル人女性のサラに誘われて、聖者シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール Sri Sri Ravi Shankar(有名なシタール奏者とは別人)の講演に参加させていただくことになった。ラムジュラからさらに五キロほど南下して、会場となっているスワミ・スワッタントラナンド・アシュラム Swami Swatantranand Ashram まで乗り合いリクシャーを飛ばす。近所にはシャンカールの宿泊している施設があり、彼を一目見ようと大勢の人々が路地一体に群がっていて、その光景はさながらポップスターを熱狂的に愛するかの如くだった。

 夜の開演まで時間があったので、まずは腹ごしらえ。千人は優に収容できそうな大きなホールでベジタリアンのターリーを食す。町中の食堂で食べるものよりも味が良い。「炊事班の女性たちが、唄を唄いながら作っているからね」とサラが言う。楽しそうに料理の下ごしらえしている光景を事前に見ていただけに、大いに納得。
 気がつくと回りのインド人はみな沈黙して厳かに食事をしている。「ことばを発さない」修行をしているそうだ。マノージギリの瞑想の時と同様「ことばを発さない状態こそが、人として完全なのだ」と、この時も感じさせられた。

 食事後に会場に向かう。学校の体育館くらいはあろう大きな建物だ。樹々に彩られた無数の電飾が美しく光っている。靴を脱いで中に入ると、サラは客席をずんずんと越えて、楽士たちの演奏スペースのすぐ後ろの席を陣取る。ラヴィ・シャンカールのステージからわずか五メートルくらいの近距離だ。今日の講演はどうやらインド人向けのようで、外国人は優先的にこの最前列に座る事ができるらしい。
 やがて三々五々、市井のインド人たちが会場内に集まってきた。さすがに物音でザワついているものの、相変わらず話し声は皆無である。一九時頃には会場は人で一杯に埋め尽くされていた。入りきれない人たちが窓から中を伺っているほどの大混雑ぶりだ。やがて楽士たちがやってきて、全員で厳かに「オーム」を唱えたあとにバジャンが始まった。バジャン Bhajan とは宗教歌の種類のひとつで、形態は特に問わないが、神の御名を繰り返すシンプルな歌詞(マントラ)を、観客とコール・アンド・レスポンスで掛け合いながら唄い、大いなる宗教的恍惚感を得る宗教音楽である。シーク教徒や仏教徒が楽器を使って行う宗教歌を キールタン Kirtan と呼ぶらしいが、バジャンとの明確な違いはよく分からない。現地の人もこの二つを厳密に使い分けているような感じではなかった。詳細は英語版ウィキペディアをご参照頂きたい(Wikipedia: BhajanWikipedia: Kirtan)。

 それまで寡黙だった人たちが、楽士たちの演奏に合わせて一気に歌を歌い始めるや否や、会場に大きなうねりが出始めてきた。勝手がよく分らないため、最初は楽士の後ろで大人しくしてこの光景を眺めていたのだが、スタッフの舞台ディレクターから自由に撮影してもよいとの許可をもらってからは、会場内をあちこち動き回って録り始めた。タブラやドーラクの激しい打楽器のリズムも相まって、会場はだんだんと熱気が籠ってきて、なんともただ事ではない雰囲気に・・・。
 シバ神とその妃パールヴァティー神を讃えるバジャン “Bhole Ki Jai Jai”(偉大なる神)でそのうねりは頂点に達した。曲が進むにつれ、老若男女問わず皆が堪えきれずに立ち上がり、我も忘れんばかりに踊り狂い始める。対照的に瞑想している人も多く見かけ、同伴したサラも深い瞑想に入っている。あぁ...これこそがインド人の宗教的体験の神髄なのだ。自分も踊り出したい気持ちをグッと堪えて、冷静になって撮影に集中する。
 黒人霊歌のゴスペル、ブラック・アフリカの礼拝歌、モロッコのグナワ、パキスタンのカッワーリ等、コール・アンド・レスポンスで宗教的な一体感を得る音楽は世界中で多く見受けられるが、今回のバジャンはそれらを凌駕していると思える程、パワフルでエキサティングで感動的なセッションだった。「ヒンドゥの本質は生きること、生きようとすることだ」という、インドの初代首相ネルーのことばそのものを感じ味わっている。

 この感動的な映像を録れたことを本当に嬉しく思う。ありがとうサラ。ありがとうヒンドゥの人たち。
 やがて穏やかな表情をしたシュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールが悠然と入場して、場内はさらに盛り上がりを見せる。でも私はこのバジャンだけで胸が一杯になった。



The-Heart-of-Hindu19b

 本編ではこのバジャンの最中に、市井の人々のたくさんのポートレイトを挿入したが、この聖者は特に印象が残っている。旅には不思議な出会いがあるものだ。

 ハリドワールでの撮影初日、ハリ・キ・パウリ近くの対岸で、近郊の村から礼拝にやってきた素朴な農夫、ハリラール・タージと出会った。彼と一緒にサドゥのテントを訪問したり、岸辺で歌を唄ったり、果物を食べたりして、一緒に楽しく時を過ごしていた。最後に彼の通うアシュラムに連れて行かれ、そこで出会ったのがこのシュリ・ラム・ゴーパル・マハラージ Sri Ram Gopal Maharaj というデリーの聖者だった。父親シュリ・ハリ・プラサッド・マハラージ Sri Hari Prasad Maharaj も大物聖者だったそうだ。
 ハリラールと一緒に謁見すると、グルがいきなり手持の札束を全額私の前にポンと差し出すではないか。応対に困っていると、ハリラールが「いいから受け取れ」と急かすようにアイコンタクト。突然の出来事に戸惑いながらも、この札束を恭しく頂いた。しかも札束だけでなく、インドでは滅多に見かけない高級感漂うお菓子の詰め合わせやら、彼の顔写真の入ったノートやらキーホルダーまでお土産に頂いてしまった。
 一日中付き添ってくれたお礼にと、グルから頂いた札束をそのままハリラールに手渡そうとしたが、彼は頑として受け取ろうとしない。お菓子の方は、滞在ホテルに戻ってからスタッフやハリラールとで分け合って食べたが、豪華にも金箔が施されていて、インドのお菓子とは思えないほど美味だった。
 グルから受け取った金はさすがに私欲のためには使えないので、後でリシケシュで出会った怪我の治療費の捻出に困っている老人に全額ドネイションした。グルもきっと旅人がそうすることを望んで私に金を託したのだと思うのだ。役目を果たす事が出来てやっと肩の荷が下りたと同時に、白隠の「因果一如」、道元の「修証一等」ということばがふと頭に過った。今行った行為の報いは、それと同時に受けているのだ。

 私が幼かったころの日本では、このような「助け合い」や「お互いさま」の精神はまだ残されていたように思うが、競争原理が支配してしまっている現在の日本では、こんな心温まる光景にも滅多に出会えなくなってきたように思う。インドの社会はカースト制度によって役割分担の考え方、すなわち布施を「する」側と「される」側のバランスで成り立っている。そういった側面から眺めれば、カースト制度も決して理不尽なものではないと思える。そしてスヴァ・ダルマ(己の本分)という教えにより、このカーストの枠組みの中で自分はどうやって「善く」生きて行くのかを知るのである。

The-Heart-of-Hindu18

 ソーハム so'ham はサンスクリット語で、「彼は我なり」と訳される。<彼が>を示すサハ sah. と<我が>を示すアハム ahamの合成語サハ・アハムの連声形がソーハムとなる。つまり仏教や禅でもお馴染みの「自分と他人との境界がない境地」のことである。これが日本語の「そうなんだ」と同義語であるというのは、少し飛躍しているとも感じたが、韻を含めて感覚的に表現したかったのだろう。ソーハムの意味に「そうだったのか・・・」と心から感銘するといった雰囲気は伝わってくる。
 本チャピターの 48'56" で、ヒンディー語と英語のチャンポンで "Ham hai show aap." (私たちはあなたたちを示す)と言っているように聞こえるが、「私」=「あなた」=「彼(女)」と、みんなが繋がっていることを比喩したと思われる。「我に拘りすぎない」こと、すなわち、漱石が理想とした「則天去私」や、般若心経の「心無罣礙」(しんむけいげ)といった境地は、ここ最近の自分の重要な人生のテーマでもあり、そんな想いを込めた作品『サウダーデ ~ ペソアを偲ぶリスボン』を制作した直後の渡印でもあったので、マノージギリの話はタイムリーに心に響いた。

 マノージギリの言うように「みんな同じ人間なんだ」という理念を貫いて生きていけるのなら、どんなに人生が美しいものになるだろう。ところが現実はさもあらん、世界各地では相変わらず宗教間や民族間、経済システム間での諍いが絶えないのはもとより、ほんの小さなコミュニティですら、他者とのちょっとした違いを受容するどころか、差別したり、支配下に置こうとしたり、言葉で張り合ったり、誹謗中傷で憂さを晴らしたりと、利己心から他者と自分との関係を遮断してしまうことが、日常茶飯に溢れている。
 そもそも人間のヒトゲノム(全DNA情報)の九九.九パーセントは同じ配列であり、わずか〇.一パーセントだけの違いの中で、みんな日々汲々と暮らしているに過ぎないことを思えば、ちょっとした違いだけで優劣をつけたり、レッテルを貼ったりすることは滑稽にすら思えてくる。ソーハムのことを、禅では「乾坤只一人」(けんこんただいちにん)と置き換えられ、さらにはアインシュタインも「人間は、私たちが宇宙と呼ぶ全体の一部である。時間と空間に限定づけられた一部である。人間は、自分自身、自分の思考や感情を他のものから分離した何ものかとして経験するが、それは一種の、意識の錯覚である」と同じようなことを語っている。
 実際に苦手な人に対面した時や、理不尽に卑下された時などに、慈悲のこころを持って相手に接することは困難なことだが、その難題に対峙する気持ちこそが、救いの道に繋がるのだと信じたい。さらには妙観察知(同じであると見ながら違う、違うと見ながら同じであるという、微妙な観察ができる智慧)という眼差しを持つことができれば、より善く美しく生きられることだろう。

 女性は脳梁(右脳と左脳の橋渡しの部分)が男性よりも太いため、主体と客体の区別が付きにくいと言われており、ソーハムの思想は男性よりもむしろ女性の方が受け入れ易いように思う。男性社会では、異質な者に出会うと自分の支配に置こうとするが、女性社会では円満に受け入れようとする。女性は自分の体内に子どもを、しかも自分と血液型の違う子どもですら体内で育んでしまう能力を持っているのだから、この受容体質は女性の本能的なものなのだろう。(【2014.4.17 追記】脳梁の太さについては、男女差なしとする見解もあり、確証した結論はまだ得られていない。)

 サドゥは男性原理と女性原理が融合した両性具有な存在であるからこそ、このソーハムの思想を理念としてだけでなく実践することができるのだろう。自由競争社会という男性社会で生きている我々こそ、この女性原理を意識することが大切だと思う。それには「芸術」の持つ創造的なパワーを必要とすると言ってもいいだろう。切実な表現者は、精神的側面で両性具有な存在であるからだ。

 またソーハムと関連して、サットサング Satsang という教えもヒンドゥ教では重要である。皆で分かち合いをすることを意味し、サットは「真理」を、サングは「仲間との関わり」をそれぞれ示す。サンスクリット語ではサットサンガ、テルグ語ではサットサンガムとも言われる。サットサングとは人同士だけでなく神との交わりをも意味し、人の中に神性を見る霊性修行の場でもある。次のチャピター19で紹介する宗教音楽のバジャンも、サットサングのひとつと言えよう。

 こちらがヒンディをほとんど話せないため、今回の取材は英語でのコミニケーションに頼らざるを得なかったので、マノージギリとの対話も深いレベルにまで到達出来なかったのかもしれないが、サドゥ自身が語るからこそシンプルなことばの中に説得力が宿っていると思う。時に啓蒙的・宗教的なことばは、書籍の活字で触れただけでは頭だけで理解しがちになってしまうが、生身のサドゥと膝を交えて語り合えば、深くこころにまで浸透する。

The-Heart-of-Hindu17

 冒頭の笛を吹くシーンは、マノージギリの遊びの部分。いや、サドゥの生活自体は遊びみたいなものだから、やっぱり生活の一部と言ったほうがよいだろう。そもそも神々は、道徳的な理想をこの世で実現させるのではなく、万物を創造し帰滅させるという営みの全過程を「遊び」と捉えており、まさにサドゥはその実践者であるのだ。

 続く放浪民のフルートとドーラクの軽快なセッションは、リシケシュのラムジュラにて撮影。幼少の頃に聴いたような祭囃子を思い出す懐かしいサウンド。混雑している狭いストリートの一角で、誰にも気に留められることなく淡々と演奏していたにも関わらず、躍動感溢れるそのサウンドに深い感銘を受けた。
 ジプシーなどの放浪民は音楽などの芸能を生業とすることが多く、中世における日本でも「河原乞食」と呼ばれていた被差別民は、屠畜や皮革加工業、鍛冶職人、材木伐採などの他に、音楽や芸事を河辺や神社の見世物小屋で披露する芸人もいた。彼らのような差別された人々は農業に従事することができなかったため、人々が喜びそうな芸をすることで生計を立てるようになり、これがプロ芸能としての成り立ちとなったのである。

 そもそも音楽も瞑想や読経と同様に、過去や未来という時間を断ち切って「今」だけを味わうためのものだと思う。リスナーであれパフォーマーであれ、「音」そのものと一体となる至福のひとときを経験することがある。この時まさに「今」に居続け、自分がほどけた状態となり「私」の輪郭が薄まる。音楽も人間の根元的な生命力を躍動させる、大きな力を持っていると感じずにはいられない。

 ハリドワールやリシケシュも音楽に溢れている土地だった。宗教的なバジャンはあちこちで演奏されていたし、放浪民や市井の人々によるエネルギーに溢れた素晴らしい演奏にも何度も出くわした。
 今でも録っておけばよかったと後悔している音がある。ハリドワール滞在初日に、撮影機材を持たずにハリ・キ・パウリー Hari Ki Pauri 周辺をロケハンのために彷徨っていたのだが、盲目で小柄なせむしの男が路上でマンジーラ(フィンガーシンバル)をもの凄い勢いで打ち鳴らしていた姿にふと惹きつけられた。「今回の作品のオープニングはこれだ!」と感じ、翌日も同じ場所に行ってみたものの、彼はその場所には居なかった。その後同じ場所に何度か訪れたり、周辺の人に尋ねたり、他の場所も探し回ったのだが、結局再会することは出来なかった。マンジーラの演奏者は町中のどこでも見かけたのだが、彼以上の演奏にはついに出会えなかったのだ。逃した魚は大きかった・・・。【教訓】ロケハンでも撮影機材は持ち歩こう。


The-Heart-of-Hindu17b

 放浪民のフルートとドーラクのセッションの話題に戻りたい。
 神々の肖像と共に、シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールやシルディ・サイ・ババといった聖者の肖像が飾られているシーンを演奏中にカットインしたが、このシーンを撮影中、山際素男氏のインドの不可触民に関する著作のことを思い出していた。山際氏の著作は西尾幹二氏の「人生の価値について」(新潮選書)で知り、そのセンセーショナルな内容に衝撃を覚えたのだが、今回の渡印直前にも「不可触民―もうひとつのインド」「不可触民の道」の二冊を読み、さらなる衝撃が蘇った。

 列車や車で行けないほどの奥地の村社会で、不可触民が遭遇している理不尽な差別や拷問という悲惨な現状、ガンジーは理念以上の存在ではなかったという絶望感、仏教への改宗により救いの糸口は見つかったように思われたが、改宗ごときでヒンドゥ教のドクマからは簡単には逃れられないという事実。そんな壮絶な現実を山際氏の著作から伺い知り、言葉を失ってしまった。ヒンドゥ教の「浄・不浄」の概念における不浄感は、まさに不可触民が背負っていかねばならない重すぎるほどのカルマなのだ。ブラフミンと不可触民という対極の存在が絶妙なバランスを保って共存している限り、いくら憲法で否定されたとしても、カースト制度が廃れることはあり得ないことなのだろう。

 ガンジーに対する不可触民の絶望感を知って、彼らとっての聖者とは一体どれほどの存在価値があるのだろうかと考えさせられた。リシケシュのような聖地や、著名な観光地に暮らす不可触民ならまだしも、一般の人すら簡単に行けないような奥地の村に暮らす不可触民たちは、自らの人間性をガタガタに破壊されないために、いったい何を救いとして「今」を生きているというのだろうか。

 西尾幹二氏の言うように、「人権」とは先進国だけで信じられている幻想ではないのだろうか。ことにフランス革命以来の欧米世界がもっぱら旗印にしてきた「神話」に過ぎないのではないだろうか。日本でも明治維新までは人民に権利があるという発想は持っていなかったし、その人権もフランス革命のように血と汗と涙で勝ち取ったものではなく、欧米列強の国々との外交上の方便として便宜上制定されたものである。はたして我々日本人は、本当に人権というものを理解して、日々暮らしているのだろうか。人権を振りかざすことよりも、諦めてしまう状況の方が多くないだろうか。

 最後に余談となるが、この放浪民のセッションが行われた撮影場所のすぐ近くの大きなアシュラムで、インド音楽のコンサートの模様を撮影していた時に、ステージ上に置いていた三脚を過って落としてしまい、直下の床に設置してあったドイツ人のオーディオレコーダーを直撃、破損させてしまうトラブルを起こしてしまった。ドイツ人は顔を真っ赤にして激怒してしまい、現地での対応が大変だったのだが、後で修理費を弁償する約束を取り交わし、帰国後に海外旅行保険を利用して、最近になってやっと全ての処理を無事に終えることができた。
 申請書類作成や保険会社とのやり取りに結構な手間暇を費やしたものの、先方からの資料は電子メールで送付してもらい、こちらからの弁償金は PayPal のユーロ建てでカード決済したりと、インターネットのおかげで諸経費がほとんどかからなかったのが助かった(実質費やした金額は、PayPal の送金手数料 4.95ユーロ のみである)。便利な世の中になったものである。


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