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Raj_013


 Everyone needs a quest as an excuse for living. Bruce Chatwin
 誰もが生きていく言いわけに放浪を必要とする。 ブルース・チャトウィン


 マンガニヤールと放浪ジョーギー、無謀にも一日にふたつの撮影セッションを行いクタクタに疲れてしまったが、斜陽の帰路のジープではサスペンションの振動に揺られながら心地よい疲労感に浸っていた。連なるブッシュや岩場が流れていく砂漠の風景をぼんやりと眺めていると、ふとイギリスの旅行作家ブルース・チャトウィンのことが頭を過ぎる。サザビーズの鑑定士を辞職後、新聞社のジャーナリストを経て、世界中の秘境を旅する冒険生活に人生を費やし、四十八歳でエイズで世を去った才能溢れる伝説の作家である。

 チャトウィンは生前『パスポートを紛失することは別になんてことはなかったけれど、自分のノートを失くすというのは破滅を意味していた』と、愛用の手帳モレスキンのことを語った。モレスキンと言えばゴッホやマティス、ピカソさらにはヘミングウェイも愛用していた手工業によるフランス製の手帳である(現在はイタリアのModo & Modo社が復刻販売)。
 私のモレスキンは、撮影セッションの記録用として使っている百円ショップの手帳である。撮影機材の入ったリュックから瞬時に取り出すためにも、一回の旅で使い倒すためにも安物の方が都合がよい。そこには楽曲名、メンバー名、ギャランティ、撮影場所、撮影時間、その他出会った人から聞いたどんな小さな情報までも書かれてある。走り書きのため自分で書いた文字が読めないこともあるし、相手に代筆してもらうことも多いので、毎夜ゲストハウスで日記帳に転記することを日課としていた。万が一、紛失をしたときに被害を最小限にするためでもある。
 だが一番大事なモレスキンは撮影済みのテープである。これをもし失くせば、私も破滅を意味する。よい撮影が出来た時はうれしい反面、テープを紛失しないためにさらに神経を尖らせることになる。小心者の旅は身も心もいつもクタクタなのである。

 チャトウィンのように強靱な精神と好奇心で旅が出来たら、彼のように聡明な文章が書けたらと思うことがあるが、どうやら自分にはそんなセンスの欠片さえも持ち合わせていないらしい・・・。でも彼と私とを繋ぎ合わせるひとつの切実なテーマがある。「放浪」だ。旅が終わりやっと日本に戻ってきても、しばらくは腰の座りが悪い日々を過ごす。またすぐにでもどこかに旅立ちたいという衝動に駆られ、そのまま消えてしまっても構わないとすら思う。自分が放浪者に最も近づける瞬間。七〜六万年前にアフリカからホモサピエンスが旅立って以来、人類の奥底には放浪の遺伝子が備わっているといっても過言ではない。そして死ぬまで肉体的にも精神的にも、理想郷を追い求める人生ほど純粋で美しいものはないように思う。

 チャトウィンや砂漠の放浪人のように、旅と日常の境界線が曖昧な領域で生きている人たちは、定住者にはあずかり知れないような人生の極意を習得してしまっているのかもしれない。


(写真:クーリー村にて。ジャイサルメールはラクダの皮製品も特産品だが、手頃な小さな皮手帳は見つからずじまい)
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 ジョーギーのダンスと歌が終わった後に、より激しいカルベリアダンスを踊れないかと尋ねてみる。中央で踊っていたアクラ Akla が黒いカルベリアの衣装を着ていたので、彼女はカルベリアダンスを踊れるのではないかと思ったのだ。だがこちらの期待とは裏腹に、彼女たちは踊れない、楽士も演奏出来ないという。ちょっとがっかりすると(私はすぐに表情に出てしまうのだ)、少し待っていてくれと言う。するとやがてアクラの姉妹らしき(顔の化粧デザインが同じことから予想)少女のデヴキ Devki が、いままで着ていた鮮やかなオレンジのドレスから黒いカルベリアの衣装に着替えて、砂漠の舞台に上がってカルベリアダンスを踊り始めた。演奏曲は再度カリヨー。激しくキレのあるシャープな踊りで、大地を踏みしめるステップは力強く時折砂が舞い上がるほど。少女とは言うものの、妙に色気のある芳香が辺り一面に漂う。砂漠の若いコブラの妖艶な舞い。即興でやってもらっているため演奏と踊りが噛み合わず、ときおりデヴキが困って踊りを中断してしまうことが何度かあったが、可愛らしいカルベリアダンスを堪能することが出来た。

 料金交渉で時間短縮したためセッションは三十分で終了。迎えにきたジープに乗せられてジョーギーの女性たちは帰路に向かう。ふと目が合うと彼女たちは「バイバ~イ」と笑顔で大きく手を振ってくれた。『スナック★タール砂漠』がまた脳裏に浮かぶ。この砂漠で美しい彼女たちに出会い、よい撮影が出来たことを本当に心から楽しんだ。

 だが彼女たちと別れてから、素朴な疑問が沸々と湧き上がってきた。カルベリアはジョーギーのサブカーストに属する。ともに蛇つかいを生業として移動しながら村から村へと門付けをするコミュニティーであり、シヴァ神一派を信仰するナート族 Nath であるという共通点があるものの、ジョーギーはカルベリアダンスを踊らない。だが今回のセッションでは(カルベリアの衣装を着ていたにも関わらず)アクラはカルベリアダンスを踊らないのに、その妹のデヴキは踊っていた。二人は姉妹と思えるのだが、アクラはジョーギーでデヴキはカルベリアなのだろうか。ジョーギーでさえ少女のころはカルベリアダンスを習うのだろうか。そしてこの放浪ジョーギーはカルベリアと一緒に暮らしているようにも思えたが、定住ジョーギーと定住カルベリアは一緒にコミュニティを作っていないように思う。このように今回のセッションを通じてジョーギーとカルベリアの境界線がぼやけてしまい、疑問が残ってしまった。
 コーディネーターのカマルに尋ねてみたら、「ジョーギーとカルベリアは同じだ」と案の定インド人特有の答えが返ってきた。滞在中にほかの楽士たちに尋ねてみても同じだった。だがカルベリアがジョーギーのサブカーストに分類されている以上、何か決定的な違いがあってもおかしくない(参考資料のひとつ「People of India, Rajasthan/Kumar Suresh Singh(Popular Prakashan)」でも、ジョーギー Jogi Kanipa とカルベリア Kalbelia Dalwal, Kalbelia Mewara は別々の項目として独立して掲載されているが、内容について決定的な差異は感じられなかった)。女性の着る民族衣装や舞踊様式の違いだけとは思えない。ジョーギーの少女時代がカルベリアだという見方もできるが、ジョードプルでは成人女性のカルベリアにも出会い、ますます混乱してしまった。


(写真:デヴキの踊るカルベリアダンス。少女なのにどこか艶めかしい。映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)

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JOGI (at Thar Desert in Jaisalmer, 08.Mar.13)
01. Kalyo Kud Padyo Mela Me (Jogi Dance)
02. Kamli
03. Kukra
04. [Dace with Kalbelia]
05. Kuja

※赤文字が今回DVD作品化

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 陸地のガンジス河とも形容できそうな壮大な砂の海が、なだらかな曲線を描いてどこまでも続いている。砂漠と一言で言ってもその表情は様々で、ブッシュが生い茂っている地域、鉱山や岩場に囲まれた地域、小石と土の堅い大地だったりと、こんな砂の海のような美しい風景がどこでも観られるというわけではないのだ。世界的に環境破壊が深刻な問題となっている昨今、緑が激減し砂漠化が進み、人々特に少数民族の生存が脅されてきている。そんな砂漠を「美しい」と簡単に形容するのも少々気が引けるが、大自然の営みを目の前にすると、ただ自分の無力さや儚さを切々と感じるのは事実である。
 適当な撮影ポイントを選び、撮影機材の入ったリュックを持参したビニール風呂敷の上に下ろして、機材のセッティングを始める。ちょっとした風が吹くだけでも、マスキングを施した機材にすら細かな砂の粒が入り込んでしまう。こんな状況を予想して予め準備した風呂敷だったが、セッティング中に砂塵を防護するのに大いに役立ってくれた。

 演奏楽器は、ジョーギーやカルベリアが蛇遣いに用いる典型的な吹奏楽器プーンギー(ビーン)Pungi (Been, Bin) と、打楽器カンザリ Khanzari (Khanjari) だ。
 プーンギーはふくらんだ瓢箪(もしくはココナッツの実)に竹製の二本のシングルリードが取り付けられた吹奏楽器であり、鼻から息を吸いながら口の中に貯えた空気で笛を吹き、その空気がなくなる前に肺から息を出し、笛の中に吹くと同時に口の中に貯え、これを間断なく繰り返して常に同じ強さで笛を吹くといったサーキュラー・ブリージング(循環呼吸)を用いる。楽器職人モーハンが演奏してくれたアルゴザは、構造的にはプーンギーの二本のリードが分離されたものと考えてもよいだろう。ここ近年の動物保護団体の要求により、ジョーギーのコブラの飼育も制限されてきており、街中で観られる彼らの蛇遣いのパフォーマンスもだんだんと減少の傾向があるようだ。(プーンギーのさらなる詳細については、本ブログの過去記事「私説ロマ:マンガニヤールの使用楽器」の脚注2をご参照いただきたい)。
 カンザリは円形の木製のフレームの片側に山羊の革を張った打楽器で、タンバリンのようにフレームの周りの小さなシンバルでリズムがより強調される片面打楽器である。シンバルがついていないバリエーションをダファリ Dafari と呼ぶ。ジョーギーやカルベリアの演奏者はこの打楽楽器をダフ Daf と呼んでいたが、現地の民族資料館で調べたところ、ダフは直径が二フィート以上とタンバリンを二回りも大きくした打楽器であることから、本連載ではより相応しいと思える「カンザリ」表記に統一したい。ちなみにガイドブックのLonely Planet Rajasthan(英語版)でも同じくカンザリ表記にしているようだ。(※なお映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』のエンドクレジットでは「ダフ」表記のママ)。


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 今回もこちらの楽曲リクエストでセッションが進行していく。まずはカリヨー Kalyo Kud Padyo Mela Me。ジョーギーやカルベリアの舞踊曲として定番だが、♪エレレレ・エレレレ・エ~♪というキメのフレーズが印象的な歌もコミカルで楽しい(両方とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』に収録)。軽快なプーンギーの音色と弾むようなカンザリのリズムに合わせて、女性たちがジョーギーダンスを踊る。ジョーギーダンスはカルベリアダンスほど歴史があるわけでもないようで、観光客のための余興として踊っているそうだ。踊りも緩やかな旋回を基調とするラジャスタン地方の民俗舞踊グーマーに倣った感じで、未完成で脱力系の踊りという印象を受けたが、自由奔放なジョーギーが踊ると却ってそれがとても魅力的に思えてしまう。派手な色彩のロングスカートが独楽のようにクルクルと砂漠に舞う様は、乾いた大地に凛々と咲いた生命力溢れる美しい花を連想させられる。
 そして歌を数曲歌ってもらった。彼女たちの歌声もカノイ村のマンガニヤールと同様、力強く張りのある艶やかな歌声だった。定住化しているアーティストに比べ、放浪生活のアーティストの方が表現力が豊かで質が高いという見解もあるようだが、まさにそれがよく分かるセッションだった。放浪生活者の心の余裕や豊かさすら感じさせられる歌声でもあった。彼女たちが財産として身につけているイヤリングやネックレス、バングル(腕輪)や指輪、そして衣装に施されたカラフルな刺繍をじっくりと撮影していると、ここは本当に現実の世界なのだろうかと不思議な気分に迷い込む。(次回に続く)


(写真上:カラフルなジョーギーの舞い。左からニージャ、アクラ、バイラ)
(写真下:自由奔放な踊りと力強い声が魅力的な放浪ジョーギーの女たち、左からアクラ、バイラ。上下とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)

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 ジープ周辺に群がるジョーギーの女性とカルベリアの少女たち。まさに砂漠の花園といった華やかな空間だ。そして彼女たちがおしゃべりを始め、辺りは次第にザワザワと賑わってきた。女性のかしましさは万国共通なのだと実感。彼女たちが民族衣装を着ていなければ、高校や大学のキャンパスにいる若い女性たちと何ら変わるところがない。写真を撮ることも忘れて女の子たちをぼんやりと眺めながら、ここに来て本当によかったと思い少し暴走してしまう。

 「女の子選べるの?」とドライバーのアユーブに聞いてみる。
 「誰が好み?」
 「この娘がいいかなぁ」と黒いカルベリアの衣装を着た褐色の肌の女の子を指す。

 私は酒を飲まないのだが、『スナック★タール砂漠』という言葉がなぜか浮かんでしまった。ただ水商売と違うのは女の子が全く擦れていないところだろう。指名されたカルベリアの女の子はすごく恥ずかしそうにして、そこが何とも可愛らしい。彼女はまだしっかりと踊れないようだったので、残念ながら願いは叶わなかった。今思えば写真の一枚くらい撮っておけばよかった。

 セッションに必要な時間とメンバーの数を提示して金額の交渉に入るが、予想を上回る高値を提示されて狼狽する。毎回撮影料金の交渉には骨を折る。撮影は双方にとってチャンスだし、できれば彼らの希望に報いたい気持ちもある反面、当方の希望金額とかけ離れている場合が多いので、やはり交渉をせざるを得ない。結局は双方の中間程度で収まるように調整してもらうのだが、それでも難しそうな場合は、人数や演奏時間を減らして対応してもらう。だがそれもほとんど無意味な場合が多く、結局は当初と同じ人数だったり、彼らの気が済むまで演奏が続いたりすることもあるので、演奏時間も有って無いようなもの。セッションの後にさらにチップを上乗せして彼らに満足してもらう形で終わることが多かった。今回のジョーギーとの交渉でも取りあえず人数と時間を半分に減らして、アユーブを通じて再交渉を依頼してみた。


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 再交渉中に放浪ジョーギーの住居の近くまで歩いてみた。住居に近づくと犬が突然ワンワンと鋭く威嚇してきた。街中の犬に比べると精悍でまさに番犬というオーラを放っている。彼ら放浪者の生活に番犬はとってかかせない家族の一員なのである。以前モロッコのアトラス山中のノマドのテントで一晩過ごした時、真っ暗な闇の中で得体の知れぬ動物の鳴き声が四方八方から聞こえてきて、言い様の知れぬ恐怖を覚えたが、その時も番犬がいたおかげで安心して眠ることが出来た。砂漠だって夜は暗闇だ。何が襲ってくるかは分からない。
 写真を数枚撮っていると、すぐさま男がやってきてバクシーシを要求。今回のセッションの後でまとめて払うと告げるや否や、すぐその場を立ち去った。この集落にも興味はあるのだが長居できない。夕方になると風が強くなり録音に悪影響を及ぼすので、なるべく早めにライブ撮影を開始したいのだ。

 数分後にジープに戻るとアユーブがすでに話をまとめていてくれた。納得できる金額にまでがくんと下がっていた。彼とジョーギーの間には強い信頼関係があるようで、今回は特別に取り計らってくれたという。ありがたい。すぐに撮影ポイントまでジープを走らせる。後からジョーギーの乗ったジープも追従する(このジョーギー用のジープはどこからやって来たのだろう?)。メインストリートの舗装道路に出るや否や、再度道なき道を少し走り、緩やかな曲線を描いた砂のグラデーションが魅惑的な、典型的な美しい砂漠のステージに到着した。(次回に続く)

 
(写真上:黒い民族衣装が印象的なカルベリアの女の子。集落ではカラフルで陽気な女性たちがたくさん集っていた)
(写真下:放浪ジョーギーの住居。日陰やブッシュの中に住居を構えないのは、蛇やサソリがいない場所を選んでいるため)

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 カノイ村のマンガニヤールの撮影を終えて、次に放浪ジョーギーの撮影に向かう。

 ジョーギー Jogi とは、蛇遣い(サペラ)Snake-charmer (Sapera) を生業とする漂泊民で、移動しながら村から村へと門付けをするコミュニティーである。そもそもジョーギーという言葉は、ヨーガ行者、行者(ヨーギン)などから由来する。熊や猿を扱うものはマダリ(Madari)というが、ジャイサルメールには存在しない。定住化しているジョーギーは小作農として雇われて農業に従事。ムールサガルやダモダーラには鉱山があり、鉱山労働にも従事する。ドゥルガー信仰。定住する場所は、村のなかではなく、外側でなければならない。放浪ジョーギーはカノイ村やダモダーラ村などに出現する。七~八月はサム砂漠の近辺に出没。九月には客が減るので他に移動し、十月になるとまた戻ってくる。最近は三月まではカノイ村周辺にいることが多い。(参考資料「ジプシーの来た道/市川 捷護(白水社)」※一部を修正引用)

 すでに太陽も傾き始め夕方になっている。定住ジョーギーと違い、放浪ジョーギーは見つけるのが困難とされているので、これから広大なタール砂漠をジープであちこち走り回って彼らを探すのは大変ではないかとコーディネーターのカマルに尋ねてみると、ドライバーのアユーブに任せれば大丈夫だという。途中、サム砂丘の砂漠ツアーと思しきラクダと観光客が密集している地点を通り過ぎ、しばらくするとジープは舗装道路から外れた道なき道を走り出す。数分後、ブッシュ haniya で作った壁が印象的な住居群が見えてきた。放浪ジョーギーの集落のようだ。いよいよ放浪生活者に会えるのだ。
 十数メートル手前でジープを停車して待っていると、住居群の方からカラフルな民族衣装を着た女性達が大勢こちらの方に向かってくる。ライトブラウンとブルーだけのモノトーンな砂漠の風景に、瀟洒(しょうしゃ)な彼女たちの出現はあまりにも鮮やかで衝撃的だった。やがてジープの周りに彼女たちが集まる。全部で十五人以上は居ただろうか。ジョーギーだけでなく、黒いドレスに刺繍を施した民族衣装のカルベリアの少女も何人か見かける。この強烈な出会いに撮影することすら忘れ、しばし彼女たちを呆然と眺めていた。

 なぜ見つけるのが難しいとされている放浪ジョーギーが簡単に見つかったのか、とカマルに尋ねてみたところ、砂漠の楽士の情報網を持っているドライバーのアユーブが事前に携帯電話で彼らと連絡を取り合っていたのだと聞かされ驚いた。放浪民族が携帯電話とは・・・。
 二〇〇五年から六年にかけて、このジャイサルメールでも携帯電話サービスが始まり、たしかにその恩恵を土地の人々が受けていた。〇七年にこのジャイサルメールを訪れたときは、リクシャードライバーも楽士たちもやたらと携帯番号を教えてくれ、営業活動に熱心だったことを思い出した。今回のクーダバックスのセッションでも演奏の合間にメンバーの携帯電話が着信して、しばらく撮影が中断したこともあった。思えばあの聖者サドゥだって携帯電話を持っているそうなので、放浪ジョーギーが使っていたとしてもおかしくないのだが、自由気ままに放浪(正確には季節や諸条件によって周遊)する彼らと携帯電話がどうもイメージ的に繋がらなくて、どこか不思議な感じもした。だが彼らにとっては、携帯電話一本でビジネスチャンスが確実に拡がったことは事実なのだ。(次回に続く)


(写真:放浪ジョーギーの子どもたち。やっぱり服装も装飾品もオシャレだ)

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 ギャラの交渉を済ませた後、撮影に入ることになった。村の舞台であるカラカール・マンチ Kalakar Manch は今ではほとんど使用されていないそうなので、クーダバックスが薦める村の近くのスポットに移動することになった。七人のメンバーと私たち三人の合計十人が一台のジープに乗り込む。前座席に二人、後座席に四人、荷台に四人。この箱詰めも実にインド的な乗り方だ。前回も六人のマンガニヤールと自分、そしてドライバーとの合計八名で一台のリクシャーをチャーターして移動したことがある。もちろん楽器も含めて。
 水汲みの壺を頭に載せて歩く女性たちの印象的な光景を見ながらジープで走ること数分、砂漠の中のブッシュ地帯で車を停める。大きな木の麓でセッションしたいとの彼らの申し出があったが、いざセッティングしてみると彼らの顔が日陰になってしまい撮影状況としては良くない。日なたになるように大木から少し前進してもらい、さらに太陽と向き合って撮影することに。四十度を優に超える最高潮の暑さの午後のこの時間帯に、一時間もこの状況で彼らに演奏してもらうのはかなり酷なことであるのだが、ここはなんとか我慢して頑張って欲しい。それとは対照的にカマルとアユーブがジープを木陰に移動して昼寝を始めた。

 クーダバックスは七名編成で、メインボーカルとハルモニウムのクーダバックスをリーダーとして、五名のカルタール奏者と、一名のドーラク奏者から成る。カルタールが五名とは多い気がしたが、ステレオ録音をしてみると昆虫の羽音や蝉しぐれのような乾いた打音がなかなか良い風情を醸し出している。
 今回の撮影ではこちらのリクエスト曲を全て演奏してもらうことにした。事前に楽曲リストを手渡してみたところ、ほぼ全ての楽曲が演奏できるという。流石である。まずは遊行の聖者ラール・シャーバース・カランダルを讃える歌「ダマーダム・マスト・カランダール」Damadam Mast Kalander からスタート。リーダーであるクーダバックスのボーカルは声に張りがあって予想以上に素晴らしい。アユーブが薦めてくれたことだけのことはある。少し籠もり気味な丸みを帯びた土着的な歌声というのが、私のラジャスタン音楽に対するステレオタイプな印象だったのだが、彼の声は鋭角的でありながらも弾力性もあり、活きの良さも感じさせる。抱いていたステレオタイプなラジャスタン音楽像は、これ以降に出会った楽士とのセッションで悉く崩壊していくこととなる。良い意味で裏切られたのだ。ラジャスタン音楽は時代とともに変容している。

 セッションが始まって三十分くらいで、「声が出なくなってきたので水が欲しい」とリーダーのクーダバックスが辛そうに哀願する。こんな炎天下では無理もない。自分用に確保しておいた大サイズのミネラルウォーターが半分以上残っていたので彼らに提供すると、メンバー間で大事そうに廻し飲みを始めた。イスラム圏の人たちのように、インド人もペットボトルには直接口をつけずに水を口に流し込むようにして飲む。ミネラルウォーターのペットボトルを、メンバーが別れ間際まで大切そうに抱えていたのが印象に残った。
 一時間ほどでセッションは終了。素晴らしい演奏に満足したので支払い時に少しチップを上乗せした。炎天下での中腰での撮影で非常に疲れたが、最後までワイワイと賑やかで楽しいセッションだった。古くから伝わる民謡をそのまま受け継いでいる面も多かったが、彼らなりのアレンジを効かしている箇所も多く見られ、時代とともに民謡がモダンな味付けで変容しているようにも思えた。どんな洗練された味付けをするかが、彼らプレイヤーにとっての腕の見せ所でもあるのだろう。
 
 古くはヒンドゥーのパトロンに仕えて生計を立てていたマンガニヤールではあるが、現在の彼らはホテルのレストランでの演奏、砂漠ツアーによるサム砂丘での演奏、その他の観光スポットでの演奏など、観光客からの収入を大きな生活の糧としている。しかしそれだけでは食べていけない者の方が多く、農作業や土木作業などで生活の糧を補わざるを得ないのが現実でもある。
 クーダバックスは音楽のみで生計を立てている希有な楽士たちであり、逆にこれくらいの力量がないと音楽だけで食べていくのが難しいことを思い知らされた。一見優雅に思える砂漠の楽士の生活も、日々のストイックな練習や先代から引き継いでいる音楽的才能如何で、ある程度の世界観や人生観が形成されてしまうように思える。それはカーストという逃れられない縛りの中で予め決まっている人生よりも、狭いコミュニティの中での格差が浮き彫りになり、ある意味では残酷な事なのかもしれない。だが今回の旅で出会った楽士たちは皆とても陽気で、自分たちの演奏で皆に楽しんでもらうことを無上の喜びとしていることが、どんなセッションからでも伝わってきたことだけは救いだった。


(写真:クーダバックスのセッション風景。灼熱の太陽の下で全ての楽曲の演奏が終わった後、フォトセッション用に再演奏。皆かなりバテ気味。お疲れさま)

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KHUDABACKS (at Kanoi Village in Jaisalmer, 08.Mar.13)
01. Damadam Mast Kakander
02. Moomal
03. Dhora Mate Jhopari (Hut in the Desert)
04. Nimbla
05. Hichki
06. Holi Yame Udere Gulal (Holi Song)
07. Mahendi (Henna)
08. [Morchang & Dholak Solo]
09. [Jugalbandi (Khaltar & Dholak) ]
10. Kamli

※赤文字が今回DVD作品化

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 ジャイサルメール市街を出発して四十五分ほどでカノイ村に到着した。市街からこの村までは舗装された一本道で、気温さえ高くなければリクシャーでも充分に来られる距離であろう。ひっそりと落ちついた趣の閑静な集落をさらに奥へと突き進み、シンプルな石造りの小さな家屋の前にジープを停めた。ドライバーのアユーブがこの村で一番オススメするマンガニヤールの楽士、クーダバックス Khudabacks の家である。楽士たちと挨拶を交わし、六畳ほどの家屋の中に案内される。みんな陽気で友好的に応対してくれたため緊張も和らいだ。とある社団法人の招致で日本でも演奏したことがあると名刺を見せてもらう。日本公演は彼らにとって楽しい経験だったそうだ。
 砂漠の楽士たちは、ヴァルナに属さないアウトカースト(アチュート、アンタッチャブル)の存在である。インド人の浄不浄の概念は目に見える汚れとはまた違った、カーストから派生する精神的・観念的な側面が強い。大戦後の一九四七年のインド独立時にカースト廃止、四九年にアウトカースト撤廃が制定されたものの、何千年も続いてきた宗教的イデオロギーが、法の力ごときでそう簡単に変えられるわけはなく、現在でもカースト制度はインド社会の重要なシステムとして、地方や村落部を中心に依然その力を持ち続けている。
 このカノイ村でも象徴的な光景を目の当たりにした。平民カーストであるコーディネーターのカマルは絶対に部屋の床に座ろうとはせず、楽士とも目を合わさず距離を置いて窓の枠に腰掛けて外ばかり見つめているし、ドライバーのアユーブも部屋の奥には入りたがらずに入り口近くで待機している。私は楽士たちに会えた喜びで舞い上がっていたので、居心地の悪そうな二人をあまり気にしないようにした。


 楽士たちにインタビューをして、楽器についていくつか情報を得ることが出来た。マンガニヤールの使用楽器については、本ブログの過去記事「私説ロマ:マンガニヤールの使用楽器」をご参照いただきたいが、今回新たに分かったことを以下に追記しておきたい。

● 村で唯一のサーランギ奏者であるサダク・カーンは残念ながら二〇〇六年に死去。彼の弾いていた弓奏楽器サーリンダ Sarinda(サーランギを一回り小さくした楽器)を実際に見せてもらったが、音も酷く外観も古ぼけていて誰にも弾かれていないという印象を受けた(サーランギについては、ランガを話題にした後記事で詳しく述べる予定です)。マンガニヤールが用いる弓奏楽器ではカマイーチャが知られているが、こちらも後継者がだんだんと減り、今では数える程度の老人しか演奏する者がいなくなったという。

● 打楽器カルタール Kartal はシッサム Seasam やロヒダ Rohida (Tecomella undulata) と呼ばれる木を材料としており、演奏技術の取得には最低でも六ヶ月以上の期間を要するとのこと。

● メンバーの打楽器奏者グルジャ・カーン Guljar Khan によると、両面太鼓ドーラク Dholak には山羊の皮を使用しているが、面積の大きな打面にはオスの皮を、もう片側の小さな打面にはメスの皮を使用している。演奏面の皮の裏側にはマサラを塗布するが、彼のマサラは自転車のチューブを焼いたものにマスタード・オイルを混ぜたものを使用しているそうだ。マサラとは本来「混ぜ合わせたもの」を意味する言葉であり、他にも米の糊やタリマンドの樹液、マンガンなどの金属粉を混ぜた黒いペースト状のものだったりと、プレイヤーの音の好みよって配合するものが変わるのがインド的で面白い。


 楽士たちが楽器を代々継承するのは、単に経済的な理由からだけではないように思われる。クーダバックスが弾くハルモニウム Harmonium は曾祖父の代から永く継承されてきたものであり、楽士にとっての楽器とは単に演奏する道具というだけでなく、民族としての血を継承する重要なアイデンティティに他ならない。奏でる音の歴史や重みを深く感じさせられる。前回撮影したディーヌ・カーン Dinu Khan の例を挙げれば、彼の弓奏楽器カマイーチャは七世代、三百年以上に渡って引き継がれていたものだった(過去映像作品:「manganiyar, rajasthan folk - vol.1(YouTube)」をご参照)。ディーヌのカマイーチャは壊れていたため音はアバンギャルドだったが、代々受け継いできた楽器を捨てることは血統を捨てることと同義であるかのように思える。

 このタール砂漠では理想の父親像はまだ生きている。親から子へと受け継がれていくべきものが、今の過剰な情報化社会の日本には果たしてどれだけ残されているのだろうか。平面的な情報で肥大化している脳に、血が貴重な経験として立体的に注がれる余地が果たしてどれだけ残されているのだろうか。クーダバックスが代々受け継いできた古びたハルモニウムを目の前にして、少し考えさせられてしまった。(次回に続く)


(写真:カノイ村のマンガニヤール、クーダバックスのメンバーたち)

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 ラジャスタン地方には数多くの伝統芸能や民族芸能があるが、ジャイサルメールではその中でもマンガニヤール、ボーパ、ジョーギー、カルベリアの土着的な民族音楽や舞踊を撮影したいと思っていた。まずはマンガニヤールだ。

 マンガニヤール Manganiyar は 音楽を生業とするコミュニティーで、バールメールやジャイサルメールに数多く存在し、またパキスタンとの国境を越えて存在している。彼らの大部分はスンニ派のイスラム教徒であるが、ヒンドゥーのパトロンたちに仕えて生活を営み、インド独立後から現在に至っては、祭りや結婚式などでも演奏したり門付けや物乞いによって生計を立てている。マング=物乞い、ハール=暮らし、の合成語にその名は由来し、「世界の創造と破壊を司るヒンドゥーの神」シヴァによって創造された民を自ら名乗る。大変高度な口頭伝承の文化を保ち、世代を通じて伝達されている数々の歌や、使用する楽器(弦楽器カマイーチャ、両面太鼓ドーラク、打楽器カルタールなど)は典型的で地方色が強い。(参考資料「ジプシーの来た道/市川 捷護(白水社)」※一部を修正引用)

 余談ではあるが、スペインのヒターノ(ジプシー) は、サンスクリット語(梵語)の系統を引くロマニ語とスペイン語がミックスされたカロ語を話すが、その中で「頼む」「乞う」の意味を持つマンガール mangar という言葉があるのが興味深い。インドとスペイン南部のアンダルシアとの繋がりをここでも垣間みることができる。

 前回の滞在でも、ゲストハウスやカラカール・コロニー(芸人居住区)のヒルトップでマンガニヤールのセッションを撮影したが、細菌性の下痢を伴う酷い体調での撮影だったため、余裕がなく全く楽しめなかった。ジャイサルメールにはこのカラカールコロニーと街の北西部の二箇所にサンセットポイントがあり、両者とも雄大なフォートを背景にした構図では日没前の太陽の位置がほぼ逆光に近く、プレーンな画を欲する通常の撮影ではあまりよい結果にはならない。今回は街中で撮りたいと思うシチュエーションも特に思い浮かばなかったので、楽士の質が高いとされているカノイ村のマンガニヤールに会いに行くことにした。

 コーディネーターは滞在ゲストハウスのオーナーのカマル。前回も同じゲストハウスに滞在して気の置けない間柄だ。ジープのドライバーはアユーブという寡黙な男を紹介してもらったが、彼が楽士の情報網を持っていて実によい仕事をしてくれた。TATA製の4WDジープに乗って街の西に位置するカノイ村を目指す。三月中旬とはいえ、出発した午後過ぎはもう四十度を超える暑さだ。
 走ってすぐにガソリンを補給。ガソリンの相場はジャイサルメールでは一リッターあたり五十三ルピー。ジョードプルでは五十一ルピー、デリーでは四十七ルピー(二〇〇八年三月現在)。砂漠に近づくにつれ値が上がる。原油高が進む今となっては相場がさらに高騰していることだろう。
 十分ほど走ってムールサガル村近辺でいきなり停車。砂漠の中で数件の集落がぽつりと建っている幽闃(ゆうげき)な風景が印象的だ。どうやら定住しているジョーギーの集落のようである。子どもたちが数人車の辺りに集まってきた。ドアをロックしていなかったので、そのまま車内にまで入ってくるほどの勢い。その度にカマルが大声で叱りつける。それでも子どもたちは怯んだ様子もなく、私から何か収穫を得ようと元気一杯にはしゃいでいる。逞(たくま)しい。
 アユーブが集落の中の一件を訪問して、車の足元用のゴム製マットレスを購入してきた。ジョーギーはこんな仕事にも携わっているのかと意外な気がした。ジョーギーについては後の記事で詳しく述べるが、蛇つかいを生業とし、村から村へと門付けをするコミュニティーで、定住するグループと砂漠を周遊生活するグループ等がいるようだ。アウトカーストのため、両者とも村から離れたところにひっそりと住居を構えている。何もない砂漠の中にブッシュの屋根と石壁で造られた数件の小さな住居がぽつんと建ち並ぶ光景は、栄辱得喪(えいじょくとくそう)の垢にまみれて生きている自分には、排他性やもの寂しさよりもむしろ悠然とした仙境のような印象すら受けた。(次回に続く)


(写真:カノイ村へ行く途中に立ち寄った定住ジョーギーの元気一杯な子どもたち。財産を身につける風習を持つジョーギーだが、子どもですら装飾品や派手なドレスで着飾っている)

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 ジャイサルメール中心部の西側、アマルサガル門の近くのバスターミナル周辺にはロハール族のテントが連なっており、ここでモルチャングの製作工程を見学した。彼らの製作本数はモーハンよりも多く、たとえば父親と息子二人で一日にモルチャングを十個、ナイフなら二十本を鋳造するという。
 彼らに放浪民族ガドゥリヤ・ロハール(ガディア・ロハール)族 Gadulia Lohar (Gadia Lohar) について尋ねてみると、やはり同族だと皆口を揃えて言う。以前は定住せずに荷馬車で放浪生活(現在ではルートが決まっている周遊生活)をしていたというロハールも、実際にこのテント集落の中でも何人かいた。ガドゥリヤ(ガディア)とはそもそも「荷馬車」の意味であり、ロハールは「鉄」ないし「銅」の意味である。今でもウダイプール近くのチットールガル(チットール)周辺などを周遊しているガドゥリヤ・ロハール族は、ルーマニアやブルガリア国境近くのトルコ北西部など、今では一部にしか見られなくなった荷馬車で移動する稀少な放浪民である。
 このジャイサルメールにもガドゥリヤ・ロハール族は訪問するのかと尋ねてみると、めったに来ることはないがまれに近郊で数日滞在することはあるという。ジョードプルでも同じことを訊いてみたが、そちらでは近郊にすら来ないようだった。

 ここでガドゥリヤ・ロハール族について少し説明したい。ウダイ・シン Udai Singh が統治していたチットールガルがムガル朝の侵攻によって一五六八年に陥落、土地の人々はフォートを去りアラバリ山脈へと追われることになったが、ウダイ・シンの息子、マハラナ・プラタップ Maharana Pratap が勇敢に戦い続け、父の失われた王国の幾らかを取り戻した。その時の軍隊で勇敢に戦ったのがガドゥリヤ・ロハール族だったのだが、さらなるムガル朝との戦いに結局は敗れてしまい、土地を追われたことから放浪生活を始めることとなった。現在の彼らはチットールガル、ダンガールプール、バーンスワーラーやウダイプールの広範囲で放浪生活をしている。
 ガドゥリヤ・ロハール族がラージプートの末裔であるという名残は、彼らの衣服や装飾品がラージプートのそれと酷似していることからも伺い知れる。男性はジャビー Jhavi もしくはアンガーキー Angarkhi という襟無しのジャケットを着用し、ポティア Potia というドットや花のモチーフでデザインされたカラフルな被り物を被り、女性は大きなモチーフが描かれた、より明るい色のドレスを着用し、ガーグラ Ghagra というスカートを履き、カンチリ Kanchili という腰巻をつけ、ルーグラ Lugra と呼ばれる装飾品を身につけている。
 本ブログの過去記事「私説ロマ:インドの放浪部族」では、ガドゥリヤ・ロハール族がロマ民族のルーツのひとつであるかのようなニュアンスで書いてしまったが、実際に彼らが放浪生活を始めたのは十六世紀半ばからで、ロマ民族がインド北西部から西への流鏑の旅を始めた十世紀から十一世紀前半の時代よりも、かなり後の時代になって西を目指した可能性も否めない。


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 さてテント集落のロハール族に話を戻そう。
 滞在していた三月中旬でさえ午前十時頃はじわじわ暑くなり始める時間帯で、さらにこの工房の一角は鋳造用の火を焚いているため、汗がドボドボと流れるほどの異常な暑さとなり、「熱い」といった方が適当かもしれない。モルチャングの鋳造を頼んだにも関わらず、しばらくはナイフばかり鋳造するので、熱さと相まってこちらもだんだんと苛ついてくる。再度しつこく頼み込んで、やっとモルチャングに取りかかってくれた。
 建築現場で見かけるような直径十ミリほどの細長い鉄の棒を火で熱し、金槌で打ちつけ、鋳造する。この一連の作業を五十回以上繰り返すという。器用に金槌を操り、だんだんとモルチャングが形成されていく様には感動すら覚える。ひとつのモルチャングを製作する所用時間は三十~四十分。撮影中にも打ち付ける火の粉がひっきりなしに体に飛んできて、皮膚に当たると飛び上がるほど熱い。その度に彼らがどっと笑うので、まるでコメディ映画の世界。ビデオカメラが無傷だったのがせめてもの救いだった。


(写真上:モルチャングの初期の製作工程。この単なる鉄の棒がだんだんと美しい形に変わっていく。鉄は熱いうちに打て!)
(写真下:鉄を打つロハール族の男たち。上下とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』の未公開映像より)

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 アルゴザの演奏の後、モーハンの昼食を挟み、モルチャング Morchang についてのインタビューをする。モルチャングは世界中に分布している口琴のインドでの名称であり、口琴とは金属や竹、木、木の皮、骨などで出来た弁を口にくわえて振動させて音を出す一種の体鳴楽器である。ラジャスタン地方のモルチャングは鉄製であり、ロハール族がこの楽器を製作している(モルチャングの詳細については、本ブログの過去記事「私説ロマ:マンガニヤールの使用楽器」をご参照ください)。
 またモルチャングに似ている民族楽器として、グラリア Ghuralia (Ghoralia) という、指の長さ程度の五、六枚の竹の欠片を歯と唇で固定して息を吹いて音を鳴らし、繋がれたベルでリズムを出す体鳴楽器が、ラジャスタン西部のビール族、ガラシヤ族、メグワール族、マンガニヤール、ランガ、そしてカルベリアにも愛用されている。

 モーハンの作るモルチャングはジャイサルメールの楽士の中では絶大な人気があり、一種のブランド商品という印象を受けた。滞在中に出会った楽士たちにリサーチしてみたところ、実際に彼のモルチャングを使用している楽士も幾人かいて、その評価も高かった。自分も購入して試してみたところ、なるほど適度な肉厚で安定感があり初心者でも弾きやすい。別のインド人に貰ったモルチャングは作りが荒くなかなか音が出せなかったが、モーハンのは十数分練習しただけですぐに音が出せるようになった。

 製作本数は息子二人との共同作業でも日にわずか三個。ストリートのテントで仕事を営むロハール族はその三倍以上を作ることから、いかにモーハンがモルチャングを丁寧に製作しているかが伺い知れる。提示価格は二百五十~五百ルピー(【注】価格は当時の調査によるものであり、必ずしも相場を示すものではありません)。装飾の有無やデザインの違いで値が変わる。高額なモルチャングは真鍮製で、上部に高級外車のエンブレムを彷彿とさせる贅沢な鳥の装飾を伴う。製作工程を見学したいと申し出るが、生憎この日は製作予定が無いようで願いは叶わなかったものの、後日別のロハール族のテント集落でじっくり見学することが出来た。


(写真:もはやブランド化しているモーハンのモルチャングの演奏風景)

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Mohan Lal Lohar (Manufacturer of Morchang, Aloza, etc)
Near Geeta Ashram Lohar Colony
Jaisalmer, Rajasthan, INDIA


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 ダブル・フルートのアルゴザ Algoza (Algoja) は通常竹を素材とするが、モーハンはケール Keher という木を用いる。後で訪れたジョードプルの民族資料館の展示パネルでは、アルゴザの穴の数は五個と表記されていたがモーハンのは九個だった。さらにアルゴザと良く似ていて、ビール族やメグワール族が演奏するサタラ Satara では五個だったり十二個だったりとまちまち。アルゴザとサタラの違いは穴の数にあるのかもしれないが、実際のところは良く分からない。ジョードプルのランガも自分の使うダブルフルートをアルゴザと言ったりサタラと言ったりするので混乱させられた。インド人は細かな違いについて尋ねても「一緒だ」と大ざっぱに答えるのが常なので、相手が知的な学者でもない限り正確な答えを期待できない。アルゴザについて後で調べてみたが、インターネットの情報も玉石混淆だ。
 またサタラのドローン用の笛は(1)トニックを鳴らすもの(2)五度下を鳴らすもの、の二種類があるらしいが、アルゴザに関しては未確認である。ちなみにアルゴザもサタラも縦笛だが、バンスリ Bansuri という六~七穴の横笛もそれらとよく似ている外観で一層ややこしい。
 アルゴザはラジャスタン州(特にトンクとアジメール)、パンジャビ州、マハーラーシュトラ州で使用され、別名をジョディー Jodi (Jori)、ナゴザ Nagoza (Ngoza) とも呼ばれ、サタラもアルゴザと同じ地域(特に砂漠地域)で使用され、グジャラート州のサウラシュトラやパキスタンのシンドではパワ Pawa とも呼ばれている。
 
 フランスのガイドブックにモーハンの工房が紹介されているらしく、彼のアルゴザは欧州観光客の土産として人気があるらしい。もはや世界区のアーティストとなったムサフィールなどのプロフェッショナルな楽士は、さらに鳴りが良いとされるムールサガル村の タガレムブヒール Tagarembheelr のアルゴザを好んで使用するそうだが、後述するようにモーハンのアルゴザもかなり魅力的な音を出していた。モーハンのアルゴザの言い値は六千ルピーから一万ルピーだったが、これはタガレムブヒールの価格設定と同等であることから、おそらく三千ルピーから五千ルピーが妥当でないか、と後でコーディネーターのカマルから聞かされた(【注】これらの価格は当時の調査によるものであり、必ずしも相場を示すものではありません)。

 部屋の一角の棚に大量の出荷待ちのアルゴザが袋詰めで置いてあるのが気になり、週に何本程売れるのかと尋ねてみる。

 「あまり売れない」
 「では一ヶ月では?」
 「売れない。今月は一本も・・・」

 モーハンと息子のハリシャンカールが苦笑いする。いきなりの訪問で最初は些(いささ)か冷ややかな対応だった彼らだが、この笑いを機に互いの緊張が解けた。周りの空気が和んできた頃を見計らい、モーハンがアルゴザを演奏してくれるという。彼が二本のフルートで音を出すや否や、殺風景な部屋が急に生き生きとした空間に変わり始めた。新緑の香りが漂ってきそうな軽やかで艶っぽい音色だ。エラン・ヴィタール Elan Vital(生命の躍動)というフランス語がなぜか頭に浮かぶ。一本は軽快なメロディを奏で、もう一本はサーキュラー・ブリージング(循環呼吸)によるドローン(持続音)を鳴らす。プーンギー(ビーン)Pungi (Been, Bin) など、インドの他の吹奏楽器でもこのサーキュラー・ブリージングが多用されるが、難易度はかなり高い。ローランド・カーク、ソニー・ロリンズ、デューク・エリントン楽団のハリー・カーネイなど、ジャズ・ミュージシャンの管楽器奏者がこぞってこの技術を取得したくなるのも肯ける。

 後で撮影したビデオ映像をプレイバックしてみたら、寄り過ぎて撮ったためにアウト・オブ・フォーカスになっている箇所が目立つ。今回のインドでの初セッションということで緊張してしまったのだ。撮影前にもマイクが全く認識せずに困っていたら、マイクのキャノン端子がカメラ側と繋がっていないことをハリシャンカールに指摘されて赤面したこともあった。かなり気負っていたのだろう。(次回に続く)


(写真:楽器職人モーハンによるアルゴザの演奏には、楚然たる色気を感じた)

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 ジャイサルメールに着いて、まず最初に楽器職人、特に打楽器職人に会ってみたいと思った。動物の皮を剥ぎ、木製の筐体に張り付ける技術を持つ打楽器職人ダグバール Dagbar の工房を探してみるものの、残念ながら今回の滞在では見つけることができなかった。
 でもロハール族 Lohar の楽器職人、モーハン・ラル・ロハール Mohan Lal Lohar の工房は訪問することができた。ロハール族は鍛冶屋を生業とするジャーティで、典型的なジプシーの移動形態である荷馬車で周遊生活するガドゥリヤ・ロハール族 Gadulia Lohars とは同族であり、違いは定住か否かにある。

 ジャイサルメールの街の北部には、カラカール・コロニー Kalakar Colony と呼ばれる、マンガニヤールとボーパの楽士が暮らす芸人居住区があり、そのコロニーのさらに西側に位置するロハール族のコロニーの一画にモーハンの自宅兼工房があった。扉を開けて中に入ると小さな庭の先に工房が見える。ストリートでひしめき合ってテントで鋳造をしているロハール族に比べ、モーハンの工房の作業スペースは広く、道具類も整頓されており、彼がロハール族の中でも裕福な暮らしをしていることが伺い知れる。

 あいさつを交わすや否や、早速敷地内の棟に案内される。棟は茶室ほどの広さで、簡易ベッドが一台あるだけのシンプルで清潔な内装だ。息子のハリシャンカールが通訳を担ってくれた。モーハンは鉄を鋳造して作るモールチャンはもとより、木材を材料とするアルゴザ、カルタール、ムルリまでも製作するという。だが他のロハール族の楽器職人たちが皆、木製の楽器までも製作するとは限らないようだ。
 モーハンは取材当時四十二歳。十五歳から楽器製作を始め、実に二十七年のキャリアを持つベテラン職人である。(次回に続く)


(写真:ロハール族の楽器職人、モーハン・ラル・ロハールと彼の工房)

#001:車窓にて

 デリーからジャイサルメール行きの夜行列車 DLI JSM EXPRESS に飛び乗り、ホッと一息ついたものの、気持ちはどこか沈んでいる。前年と同じ時期に、同じ目的で、同じ場所に向かうといった多少ウンザリとした気持ちと、今回はどうしても失敗できぬという憔悴感があふれ出す。やがて列車は定刻より十五分遅れでデリーを出発。無骨な軋み音を立てながら、インド北西部の砂漠の地ラジャスタン地方へと向かい始めた。
 車中、この旅で初めて音楽を聴いてみたくなった。持参した携帯音楽プレイヤーの六千曲近くのストックの中から無作為に一曲だけ選曲してみる。ボブ・ディランの「ラヴ・マイナス・ゼロ」。


 My love she speaks softly, (彼女はしずかにしゃべり)
  She knows there's no success like failure, (失敗みたいな成功はないし)
   And that failure's no success at all. (失敗は成功でないことを知っている)

(ボブ・ディラン全詩集/片岡ユズル・中山容訳)

 前年の同じ時期にラジャスタンを訪れ、そして失敗した。現地で細菌性の酷い下痢に悩まされ、撮影はおろか楽士たちとの交流すらままならなかった。悔しさと失意を背負って一年後に再チャレンジ。成功などハナから期待していない。だが成就せねばならぬ。このプロジェクトは誰から何と言われても(いや誰も何も言わないだろうが)、完成させねばならない。
 「たったひとりで音楽映画が作れるのか」「いや無理だ」「やってみなければ分からぬ」「でも壁だらけ」・・・・こんな自問自答を繰り返しながら無為に日々を過ごす。ひとりでは何もできないことなど充分に承知している。だがこれは自己完結せなばならぬプロジェクトなのだ。こんな負け戦にあえて挑もうとする、己の退っ引きならない精神とは一体何なのだろうか。

 かくして敗者復活の音楽旅は始まったのである。

(写真:デリー近郊のスラム街。DLI JSM EXPRESSの車窓より)


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