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Raj_039a

 ヒジュラについては前回と同様、機会があれば是非会ってみたいと思っていた。ヒジュラ Hijras とは半陰陽者であり、男児の誕生や婚礼の祝いの場において歌や踊りで祝福するシャーマン的な芸能者であり、さらに平たく言うなら性同一性障害の男性、もっと下世話に言うならオカマである。本ブログの過去記事『私説ロマ:ヒジュラとロマ』も併せてご覧頂きたい。
 
 数日前のカルベリアの撮影に向かう途中、コーディネーターのマチュール.JR氏(サンジート・ナタック・アカデミーの館長、マーダン・モーハン・マチュール氏の息子)と会うために、ジョードプル郊外のとある結婚式場で待ち合わせをしていた。ここはガイドのニッキールが数年前に挙式した場所だ。ヒジュラについての話をニッキールに切り出してみると、彼らの結婚式の時にも大勢で押しかけてきて、歌や踊りを披露したという。さらに男児を出産した時も家にやってきたそうだ。ニッキールによれば、結婚式では五千ルピー、男児出産時には五百から千五百ルピーを彼らに支払ったという。

 ジョードプルでのヒジュラのコミュニティが時計台近くの野菜市場の中にあると言うので、取材の合間を縫って探してみることにした。喧噪あふれる昼間の市場の中を彷徨いてみるが、それらしき建物が見あたらない。軒を連ねている商売人や地元の若者たちに訊いてみるが、分からないと言われたり、クスクスと笑われ好奇の目で見られるという始末。「私はストレートだ!」とムキになって反論すると、さらにドッと笑われてしまい、前回の滞在と同じような後味の悪い結果となった。若い年齢層に取ってのヒジュラは奇異なホモセクシャルの存在と見なされているようだが、ニッキールの父親のアルーン氏が「ヒジュラは必要な存在だ」と言っていたように、年配層にはケガレを引き受けてくれる貴重な存在としてまだ受け入れる余地が残されている印象を受けた。デリーやムンバイなどの都市部で売春が生活の基盤となっている彼らだが、このラジャスタン地方ではまだ彼らを神聖視している土壌が残されていると感じた。

 なんだかんだで二日間探し回って、やっと情報を得ることが出来た。ふらふら歩いていた時にふと目に留まった香の専門店で、マックスと名乗る若い店員にたまたま話しかけたところ、目の前の路地の先にヒジュラのコミュニティがあるとの返答。店の中に入り込み、さらに詳しく彼から話を聞くことにした。彼は会話の節々で「You Know !」を連発し、ネイティブのような早口でリズミカルな英語を話すので、本当にインド人なのか?と改めて尋ねてしまうほど、インド人離れしていたのが印象的だった。

 ヒジュラは目前の路地の十数メートル先にある建物の一角で二十名ほどのコミュニティで暮らしているようだが、彼らだけの専用の住居という訳ではなく、普通の人も同じ敷地内に暮らしているそうだ。ヒジュラは日没後に行動することが多く、昼間に集団で見かけることは滅多にないという。だが仕事帰りの午前中には集団でコミュニティに戻る光景にしばし出くわすようで、昼間ですらこの市場のあちこちで単独で歩いていることもあるという。実際に腰が曲がって年老いたヒジュラが市場内を歩いているのを取材中に見たが、ぱっと見はサリーを着ている普通の老婆という印象でしかなかった。マックスが教えてくれなければ気が付かずに通り過ぎてしまうかもしれない。だが高級そうな金銀のアクセサリーをジャラジャラとかき鳴らして歩いている様は、やはり市井の人とは雰囲気を大きく違える。若いヒジュラに出会ったならば、さらにインパクトを感じたことだろう。


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 ニッキールやマックスがガイド役を申し出てくれたにも関わらす、ヒジュラのコミュニティに出向いて撮影したいという気持ちが最後まで起きなかった。今回制作する映像作品とヒジュラがどうにも線で繋がらないこと、おそらく撮影ギャラが最高値になろうこと、旅も終盤を迎えて資金が底をついていたことなどが頭に過ぎり、結局コミュニティに足を踏み入れることはなかった。
 数日前に会った音楽プロデューサーのビシュヌ・チャンドラ・プラージャパティ氏 Vishnu Chandra Prajapati の事務所で見たジョードプル・フェスティバルでのヒジュラのパフォーマンス映像があまり印象に残るものでなかった、というのがおそらく一番の理由なのだろう。不躾な言い方かもしれないが、町内会のオバさんが酔った勢いで踊ったり歌ったりしているという姦(かしま)しい印象しか受けなかったのだ。実際の彼らのパフォーマンスを目前で観るなら、また違った彼らの表現に出会えた可能性も大きいだろうが、そこまでの好奇心が湧かなかったというのが正直なところだ。
 今回の渡印の直前に、「ヒジュラ - インド第三の性(青弓社)」の著者である写真家の石川武志さんから連絡を頂いた。ちょうど同時期にラジャスタンに滞在なさるとのことで、スケジュールが会えば現地でお会いして、ヒジュラについていろいろ教えを乞うことが出来ればとも思ったのだが、お互い流動的な滞在計画だったこともあって結局すれ違いになってしまった。この時にもし石川さんと行動を共にできたら、ヒジュラに対しての先入観はおそらく脆(もろ)くも崩れ去り、新しい世界を垣間見ることができたのかもしれない。でもそんな展開にならなかったのは、私とヒジュラにはまだ縁がなかったからなのかもしれない。


(写真上:時計台近くの野菜市場の一角にある香専門店の店員マックス、リズミカルな米国黒人訛りの英語が印象的だった)
(写真下:香専門店の目前に佇むヒジュラのコミュニティの入口。この先に禁断の世界があったのだが・・・)
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 カルベリアについての情報収集をしている時に見つけた、時計台近くのハヴェリ・ゲストハウス Haveli Guesthouse ではボーパのセッションが毎夜行われているという。今回の滞在では、楽士をチャーターして自分の好きな状況下で撮影するというスタイルで進行していたのだが、素材も結構貯まってきたし、保険として撮るような気持ちで彼らのセッションを気軽に覗いてみることにした。
 夜の七時過ぎにゲストハウスの屋上の併設レストランに行くと、ちょうど楽士たちが準備している最中だった。宿のスタッフが予め彼らに話しておいてくれたようで、やりとりもスムーズに進んだ。欧米人に人気のあるこのゲストハウスは屋上から眺めるフォートの景色がとてもよく、ボーパは毎晩同じプログラムを演奏しているせいか、誰も演奏には無関心のようで観光客はフォートを背景した撮影に興じていたが、自分に取ってはその方が気兼ねなく撮影できるので却って都合がよかった。

 パプー・チマンラム Papu Chimanram と名乗るボーパとボーピー役の妻、そして若いドーラク奏者と妹の踊り子から成る四人編成の楽団である。パプーとドーラク奏者のケワスKewas は親子関係のようにも思えたが未確認。このセッションは準備段階から雑談を交え、終始まったりと進行してなかなか心地の良いものだった。十一歳の少女の踊り子アムリ Ammuri と挨拶を交わしたときは、どこにでもいる普通の楽士の子どもと変わらず特に印象には残らなかったのだが、化粧を施し黄色いドレスに着飾るや否や、可愛らしく変身して目を見張った。彼女の存在感はこのセッションに色を添える存在として、かなり重要な役割を果たしていると思う。


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 セッションは雑談の合間にぽつりぽつりという緩いペースで行われた。楽曲は「ビーロ・バンジャロ・レ(バンジャラ族の兄弟)」Biro Banjaro Re だけをリクエストして、あとは彼らにお任せで演奏してもらった。演奏前に楽曲の内容を丁寧に説明してくれたのは親切だ。ラーヴァンハッターを弾きながら歌うパプーの歌声も、ヴェールで顔を隠してかけ合うボーピーのパールヴァティー Parwati の歌声も共にざらついた太い声で、典型的な土着的なラジャスタン音楽そのものの印象を受けた。いざ撮影を始めてみると、歌や表現に関してはどこか物足りない印象は拭えなかったし、全体的に照明が暗かったため意図した構図で撮れない。ボーパの踊りを観るのは初めてだったこともあり、歌の傍らで踊っているアムリをクローズアップした撮影に切り替えることにした。
 アムリの舞いはグーマーを基調といたゆるやかな旋回の踊りだが、タール砂漠で観たジョーギーダンスとも違い、首を左右に器用に動かしたりメリハリの利いたリズム感が印象的である。多くの白人観光客を相手にしてきた経験からか、彼女は妙に大人びていて、いつも笑顔を絶やず、楽曲の最後にお辞儀をするといった、他の土着的な砂漠の楽士には見られなかった洗練された所作に驚かされた。むろんその分を含めてチップは上乗せしてあげた。このインドで育ちの良さそうな楽士の子どもに出会うと、なぜか安心するし、将来に一筋の期待があるかのようにも思えてしまうのだ。

 彼らはアジメール出身で、現在はアジット・バワン・ホテル Hotel Ajit Bhawan近くのガソリンスタンド周辺のテント集落で暮らしているという(集落の名前は分からないようだった)。絵解きを見せてやるから、是非遊びに来いと誘われたのだが、後日電話でアポを取ったにも関わらず(彼らも携帯電話を持っているのだ)、滞在ゲストハウスには来なくて約束をすっぽかされてしまった。当日もそれ以降も取材で忙しく歩き回っていたので、結局彼らの絵解きは観ることができなかったが、彼らのザラついた声の質感からどんな絵解きをするかはなんとなく想像できる。彼らは典型的なボーパという印象が強かった。


(写真上:品が良く可愛い笑顔が印象的な少女の踊り子アムリ(左)と、土着的な歌声を持つリーダーのパプー・チマンラム(右))
(写真下:パプー・チマンラム(右)、ボーピーのパールヴァティー(中央)そしてドーラク奏者のケワス(右))

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PAPU CHIMANRAM BHOPA (at Haveli Guesthouse in Jodhpur, 08.Mar.28)
01. Kohlu (Pabuji's Telling Story)
02. Biro Banjaro Re
03. Holi Yame Udere Gulal (Holi Song)
04. Goomar Song (the girl married to Jasol, near Barmer)

※赤文字が今回DVD作品化

Raj_037

 ジョードプルの時計台近くの商店街に、たくさんの竹に囲まれて籠(かご)や箕(み)などの竹細工を製作するコミュニティを見つけた。カルベリアの一派に竹の伐採(と石臼つくり)を生業とするメワーラ・カルベリア Mewara Kalbelia というコミュニティがいるし、日本のサンカ(山窩)やアルメニアのボーシャなど、世界の放浪民族は竹細工の製作で生計を立てていたという歴史もあるため、このコミュニティもカルベリアやジプシーと何か関連があるのではないかと思った。

 作業中の彼らに声を掛けると、英語でのコミュニケーションが難しいようで、道の向かいの店で尋ねて欲しいと身振りで伝えられる。本ブログの前回記事「#036:バングル職人ラカーラに会う」のバングル職人と出会ったのもこの出来事がきっかけだったのだ。
 バングル職人に、彼らは竹細工師のジャーティ、バーンスポード Bansphod なのかと尋ねると、ガンチャ Gancha だと言う。そして彼らはカルベリアとも関係がなく、また楽器を演奏することもないということだ。

 ガンチャはバーンスポードと同じく伝統的に竹細工師を生業としており、ラージプートを祖先と主張するアウトカーストの存在である。ヒンドゥー教を信仰している。共同体の中に宗教的な力を持っているとされるボーパ(聖職者)を抱えている。カースト会議でものごとを決める。物語や歌の豊富な口頭伝承を持っている、等でバーンスポードとの共通点を持つ。
 そしてガンチャはチットールガル(チットール)をその起源としており、現在はウダイプール、バーンスワーラー、アジメール、チットールガル、ブーンディー、ジョードプル、コーター、そしてビールワーラーの広範囲で暮らし、特にウダイプールに集中している。ノンベジタリアンだが牛肉は食べず、トウモロコシと小麦を主食とし、野菜は時々、フルーツはまれに食べるとのこと。男性はアルコール飲料、特にマフア酒を好む。彼らは村から離れた場所に小さな集落を作って暮らしている。竹籠作りの仕事は男性だけでなく女性も従事することがあり、他に使い走り(メッセンジャー)のような仕事をすることもあると言う。


(写真:ジョードプルの時計台近くで見かけた、籠作り職人ガンチャのコミュニティ)


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 ジョードプルの旧市街、シティポリス近辺にはバングル職人の工房と店が密集しているエリアがある。バングルとはインドやアフリカの女性が用いるアクセサリーであり、おもにブレスレットとして手首にはめる装飾品として普及している。インドではラカーラ Lakhara (Lakhera, Lakhwara, Lakoshkkar, Lakhapati) と呼ばれるコミュニティがバングル、腕輪、ネックレスなどのアクセサリーの製造と販売を担っている。
 ラカーラのラク Lakh とは、塗料原料に用いられるカイガラムシの分泌する樹脂状物質のことを意味し、バングルを着用したいというパールヴァティー神の願いを叶えるために、シヴァ神によってラカーラが創造されたと伝えられている。多くはジャイサルメールに暮らすが、ウダイプール、ビールワーラー、そしてチットールにも集中している。

 取材をさせてもらった男性はヒンドゥー教徒ではなくムスリムだそうだ。ジョードプルのこの一角では、ラカーラのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の割合は半分半分とのこと。この取材撮影はある出来事がきっかけとなって彼と出会い(次回で触れます)、コミュニティが密集しているシティポリス近辺のエリアからは少し離れた時計台近くの彼の作業場で行った。

 すりこぎのような道具を用いて、ゴムの木から抽出した数色の塗料を炭火で溶かして塗り込み、それを回転させながら木ベラで細く伸ばし、適当な長さに切って円状に繋げて完成。一個作るのに所要時間はわずか四十秒程度。このようなゴム製のシンプルなデザインのバングルの場合、日に百二十個程度作ることが可能だと言う。だが金属製のものや、派手なデコレーションを施した豪華なモデルは大量生産というわけにはいかないようだ。

 ジョーギーやカルベリアの女性たちは、このバングルをかなりオシャレにコーディネートしていて、映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』でも、その美しい装飾品をアップでじっくりとご覧頂くことができる。また少数民族の既婚女性が上腕部にはめる象牙(もしくはプラ製)の腕輪は、アクセサリーであると同時に婚姻期間を示すものであり、結婚後、年次毎に増やしていく。十個装着されていれば、結婚歴十年と言うわけなのだ。


(写真:バングル職人ラカーラの制作風景。手慣れた作業で鮮やかなバングルをどんどん仕上げて行く)

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 ラジャスタン地方は砂漠の土地であるため、水はたいそう貴重なものである。ジャイサルメールにはガディサール湖という大きな人造湖があり、ジョードプルの旧市街でも数カ所で貯水池を確認した。郊外でも湖をいくつも見かけ(人造湖か否かは不明)、砂漠の民にとっての貴重な水源となっている。

 ラジャスタン地方の水道の普及がどれほどなのか分からないが、宿泊施設など人の出入りが多い施設には、屋上などに黒い大きな貯水タンクが置かれている。月に一度やって来る政府の給水車から水を購入するというシステムになっている。五百リットル(通常のタンクの容量)で二百ルピー。

 砂漠の村落部では貯水タンクなどという利器はないため、涼しい早朝や夕方に水を汲んだ素焼きの壺を頭に載せて歩く女性たちを多くみかけた。壺は口が狭く胴が広い構造のため気化熱が奪われて、暑い砂漠の土地でも驚くほどよく冷える。初めて飲ませてもらった時には、冷蔵庫から出してきたのかと思ったほどだ。

 また壺は貯水のためだけでなく、楽器としても使われる。南インドのカルナーティック音楽で使われるガタム Ghatam は直径三十センチほどの素焼きの壺で、口や側面を指や手のひらで叩いて様々な音色を出す打楽器である。さらにマトカ Matka はガタムよりも口が小さく、少々甲高い音が出る。ジャイサルメールやジョードプルの民族博物館で、ガタムよりもさらに大きな壺の楽器をいくつか見た記憶があるのだが、名前は失念してしまった。壺はインドだけでなく、イランのジャフレ、ナイジェリアのウドゥなど、中東やアフリカの砂漠地帯でもしばし用いられる重要な打楽器なのである。

(写真:砂漠地方ではなくてはならない水タンク)

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 半信半疑のまま、アポと取った翌日にカルベリアの時計台無料イベントの打ち合わせをすることとなった。サダルマーケットの時計台はジョードプルのランドマークであり、その周辺にはマーケットが密集していて人の往来が激しいこの街で一番繁盛しているエリアでもある。ホーリーやジョードプル・フェスティバルもここでステージが組まれ、その音楽プロデューサーも今回会うことになったビシュヌ氏が担当しているのだ。

 滞在ゲストハウスから歩いて数分のところに、音楽プロデューサーのビシュヌ・チャンドラ・プラージャパティ氏 Vishnu Chandra Prajapati の事務所があった、寺院を思わせるような広々としたスペースの一角に小さな椅子と長机が立ち並んでいる。小学校も併設しているらしく、彼は教師も兼業しているとのこと。
 自己紹介を交え、これまでの事の経緯を説明して、新しく撮影するカルベリアを探していることを告げる。ビシュヌ氏もジョードプルでは、カルベリアのコミュニティはカル・ナートの村以外には存在しないと言う。
 さらに「カルベリアのイベントをやるつもりだったが、昨日連絡を取ってみたのの、急な話でダンサーが集まらなさそうだ。悪いがこの話は流してもらいたい」とビシュヌ氏から告げられる。初めから実現するとも思っていなかったので、特に落胆はしなかった。これがいつものインド式コミュニケーションなのだ(だがこの記事を書いている今となっては、どうやってカルベリアたちを集めようとしたのかを尋ねればよかったと思う、おそらくカル・ナートの伝だとは思うのだが・・・)。

 ガイドのニッキールが勝手に嘘をついた「職業はテレビ局のレポーター」をどうやって訂正しようかと思い、「昔バイトでやっていた程度だ」と適当に流しておくことにした。ニッキールは、数日前のサンジート・ナタック・アカデミーの館長のマーダン・モーハン・マチュール氏との打ち合わせの直前にも「自分が全部仕切るから何も話さないで欲しい。英語を話せないことにしておいて欲しい(元からそんなに堪能ではないが)」と打診されたが、いざ打ち合わせが始まると、そんな約束とは裏腹に全く普通に会話をしながら進行していった。ニッキールが何を考えているのか時々分からないことがある。
 
 ビシュヌ氏はイベントが出来なくなったことを侘び、先月の二月に開催されたばかりのジョードプル・フェスティバルの映像をVIDEO-CD(インドではこの規格がまだ多い)で観せてくれたのだが、オーディエンス・ショットにも関わらず、予想以上に興味深い内容だった。クラシックカーでのパレード、サハナイ Shanai というチャルメラの様な音を出す吹奏楽器と打楽器ドーラクの合奏(この楽士はランガではないそうだ)、特産物や工芸品の展示即売会の様子などなど。
 そして夜間の部の特設ステージによる、ラジャスタン地方の様々な民族芸能のパフォーマンスが非常に強く印象に残った。フェスティバルの定番、カル・ナート・カルベリアのパフォーマンスも観られたが、大真面目にプーンギーを吹いているカル・ナートが先日のセッションとは別人のように見えて可笑しかった。ビシュヌ氏は彼らをチャーターした金額を聞いて「よくそんな安値で応じてくれたものだ」と感心していた。
 ヒジュラのコミカルな歌や舞も面白かったが、一番印象に残った芸能はファイヤーダンスだった。軍服を着て横ばいになり、腰廻りに火をつけ、メラメラと燃えさかる火に包まれて愛の歌を歌うこの危険なダンスは、かなりのインパクトがあった。これは実際に観たらさぞかし感銘を受けるに違いない。

 ニッキールは都合で退席したたものの、ビシュヌ氏と雑談を交えながら、結局一時間以上映像を観せてもらった。ラジャスタンの大規模な芸能フェスティバルでは、ジャイプル・ヴィラーサト・ファウンデーション Jaipur Virasat Foundation (JVF) とメヘラーンガル・ミュージアム・トラスト Mehrangarh Museum Trust の共催により、二〇〇七年から開始された「第一回ラージャスターン国際民族祭 Rajasthan International Folk Festival (RIFF) 」が十月にジョードプルのメヘランガル城塞で開催されたのが記憶に新しいが、毎年二月に開催されるこのジョードプル・フェスティバルは町内会イベントのような、より親しみやすいプログラムで楽しそうだ。

 別れ間際に、日本でイベントをやる機会があれば是非相談して欲しいとビシュヌ氏から名刺を渡され、フランス語も堪能でさらにダライ・ラマにも謁見したことがあるという、立ち振る舞いが少し大人びた彼の息子に途中まで送ってもらった。


(写真:人なつこいガイドのニッキール(左)と精悍な印象を受けた音楽プロデューサーのビシュヌ・チャンドラ・プラージャパティ氏(右))

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Vishnu Chandra Prajapati (President of Cultural Development Society)
Near Mehta Market, Naya Bass,
Jodhpur, Rajasthan, INDIA


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 カル・ナート・カルベリアのセッションを終えて、カルベリアの撮影に関してはまだ消化不良という気持ちが残っていたので、新たに撮影のための情報収集を始めた。ガイドのニッキールや、コーディネーターのマチュール.JRは、ジョードプルでのカルベリアのコミュニティはカル・ナートが暮らす村だけだと言う。おそらく国営のインフォメーションや民族資料館を調べても同じことを言われるだろうとも。あとは村の周辺に点在する小さな集落を訪問するしかない。でもそれがどこにあるのかは、皆よく知らないようだった。

 さらに情報収集すべく、旧市街の時計塔近くで白人観光客に人気のあるハヴェリ・ゲストハウス Haveli Guesthouse を訪問した。後日併設のレストランでボーパのセッションを撮影させてもらったのだが、このゲストハウスに、民族音楽について詳しいスタッフがいるという。入口の事務室に通され、紹介された男性に尋ねる。カルベリアはカル・ナートのコミュニティ以外では、どんな村に暮らしているいるのかという問いに、彼はバナール Banar、サラワス Salawas、ウメド・ナガール Umed Nagar の三箇所の地名を挙げた。気になっていた工芸の村、ビシュノイBishnoi には楽士は暮らしていないという。

 インドで得た情報はひとつを過信すると振り回されるのは前回身をもって知ったので、一旦ここは冷静になる。これが有用な情報かどうか、さらに楽士などにも尋ねて回ってみたところ、サラワスにはジョーギーの集落が、そしてウメド・ナガールにはボーパの集落があるようで(バナールは不明)、これらの村周辺にはカルベリアはいないのではないかという結論に達した。実際に現地に行って調べてみればより確実に分かるのだろうが、居ないと言われている場所にわざわざ行って確認するのはどうも気が乗らないし、時間の無駄のようにも思えるので止めてしまった。だが、ひょっとしたらサラワスのジョーギー集落にカルベリアが住んでいるのかもしれない。興味がある方は是非訪問してみて欲しい。

 そんな苦労を知ってか、ガイドのニッキールが知り合いの音楽プロデューサー、ビシュヌ・チャンドラ・プラージャパティ氏 Vishnu Chandra Prajapati を紹介してくれると言う。毎年二月に開催され、ラジャスタンのアーティストたちが四方八方から集まってくる一大イベント、ジョードプル・フェスティバルの総元締めでもある。すぐさま電話でアポを取ってくれたようだが、なんとカルベリアを集めてサダルマーケットの時計台の麓でイベントを開催してくれるとまで言っているそうだ。しかもギャラは必要なしとのこと。半信半疑ながらも(おそらく実現しないだろうという気持ちの方が強い)、この成り行きを見守って行くことにした。
 なぜ私のためにそこまでイベントを開催してくれるのだろうか、これはどう考えてもおかしいとニッキールを問いつめたところ、「日本からテレビ局のレポーターが来ていることにした」とニコニコしながら言う(ニッキールはいつも愛想の良い好人物である)。「嘘は良くない!」とたしなめるが、「自分の言う通りにしておけば大丈夫だ」と平然と言いのける。(次回に続く)


(写真:ジョードプル・フェスティバル2008のポスター。ビシュヌ氏の名前が記されている)

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 綺羅(きら)を飾った美しい女性ダンサー、クマーリとアンキの二人が激しく旋回を始めると、黒い民族衣装が独楽のように独特な模様を描き出す。カルベリアが二人揃って同じ振り付けで踊る場合があることは知識として知ってはいたが、実際に観るのは今回が初めてだった。他で観たものは、多くはひとりでの踊り、二人の場合でも互いの振り付けは割とラフな感じだった。
 クマーリとアンキの嬋媛(せんえん)な踊りは息もぴったりで隙がない。観客に向かって縦方向にリニアに踊りながら、ステージの際まで来ると花びらのように左右に散らばり、再度元の位置からまたリニアに前に向かって踊るといった所作を繰り返す。かなりストイックに練習に費やしているのだろうが、そういった努力の欠片も見えないほど完成されている。顔を隠したヴェールから、嫣然(えんぜん)なる微笑みがときおり見受けられるのにも奥ゆかしさを感じる。
 印象に残ったのは腕から指先にかけての柔軟で緻密なしなやかさだ。若さが弾けるシャープな踊りだったジャイサルメールのカルベリアの少女とは、その表現力が異なっている。少女の踊りにはどこかコブラの威嚇を感じさせるような激しい力強さがあったが、このジョードプルの二人の踊りは、激しさよりも柔軟さ、獲物を牙でひと突きした後に毒が効き始めるのを待っているかのような優雅さを感じさせられた。神往(しんおう)の気韻に満ちた、この美しく妖艶な舞踊にしばし釘付けになってしまった。

 酩酊状態のカル・ナートはまるで二匹の大きなコブラを操るかのように、上下左右と体をくねらせて吹奏楽器プーンギーを奏でている。蛇は本来聴覚を持っておらず、実際は演奏者の体の動きに順応しているに過ぎないのだが、ジョーギーもカルベリアもその迷信じみた技術を使って今まで生き永らえてきた。蛇に咬まれた人の治癒としてもこのプーンギーを奏でることもあるそうだ(一説には彼らが所有する蛇の毒は予め抜いてあるとも言われる)。傍目には非科学的なこの治癒法には効力はないと思われがちだが、ボーパが家畜の病気の治癒のために夜通し絵解きをするのと同じように、カーストの外部に弾き出された彼ら砂漠の表現者たちには、忌み嫌われながらも特別な霊力が備わっているとされ、時には不浄を引き受けてくれる存在として廻りから必要とされてきた。そしてカルベリアは踊ることによって、引き受けた不浄の浄化作用をさらに自らに施しているのかもしれないとすら感じてしまった。


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 カル・ナートのプーンギーの演奏は相変わらず駄々っ子だったし、長さ三、四メートルのステージでは彼女たちがリニアで縦方向に移動する動きが制限され、あともう一歩でも踏み出せるともっと美しいのにと歯痒く思うこともあった。だがこの本場のカルベリアダンスをやっと観られたことだけでも、大いに貴重な体験だった。集中力を切らした撮影のため、作品化に際しての今回のセッションでは、ワンショットで見せたいという意図とは裏腹に多くのカット割りを編集時に入れざるを得なかった。

 近年ジョードプルの若い女性が踊るカルベリアダンスは世界的に知られるようになり、その価値も稀少かつ高くなってきている。ジョードプルの旧市街でも、中堅ゲストハウス規模のレストランでは彼らのショーにはまずお目にかかれなかった。彼らの魅力的な演奏と舞踊を観るためには、毎年二月に行われるジョードプル・フェスティバルなど地元の大規模なフェスティバルや、二〇〇七年の十月に開催が始まったばかりのラージャスターン国際民族祭 Rajasthan International Folk Festival (RIFF) 、そしてアジット・バワン・ホテル Hotel Ajit Bhawan やランバンカ・ホテル Hotel Ranbanka などの高級ホテルのディナーショーに行くのがよいと思われる。


(写真上/下:カルベリアダンスを踊るアンキ(左)とクマーリ・サムダ(右)。上下写真とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)

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KALU NATH KALBELIA (at C-Village in Jodhpur, 08.Mar.24)
01. Kessariya Bana
02. Kalyo Kud Paro Mela Me (Pink Dress)
03. Goomer Dance (Pink Dress)
04. Poongi Solo
05. Kalbelia Dance (Black Dress)
06. Louvariya Song

※赤文字が今回DVD作品化

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 夕方になるとこの屋上にも強い風が吹き付けてきた。マイクにウィンドシールドを装着したり、ローカットスイッチをオンにするが、これほどの強風だと劇的な効果は期待出来ないだろう。独りで作業するのが困難だと思う瞬間。

 セッションはケサリヤ・バーナ Kessariya Bana からスタートした。スーラム・ナート Suram Nath の演奏する小さなシンバルのような打楽器マンジーラがグルーヴィーなビート感を醸し出す。マンジーラは主に寺院での宗教儀式で用いられる。リーダーのカル・ナートでなく、アチャール・ナート Achal Nath が吹奏楽器プーンギーを演奏している。とにかく体が自然に動き出してしまうようなゴキゲンなサウンドだ。ラジャスタンの楽士は、ライブセッションのことを「パーティ」と呼び、自らの楽団名にも「~パーティ」と名付けることも多い。このカルベリアたちのビート感溢れるはじけた演奏を聴いていると、まさにこの乱痴気騒ぎのパーティという言葉がぴったりハマっているなと思わずにはいられない。


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 最初の一曲は何事もなく終えたのだが、以降のセッションには落胆させられた。
 
 ケサリヤ・バーナが終わり、その後二曲演奏してもらったものの、プーンギー奏者のアチャール・ナートに対して、リーダーのカル・ナートが演奏中にダメ出しする。その度に演奏が中断、当然撮影も中断し、私はガイドのニッキールと顔を見合わせて苦笑。同じことが二度、三度続くと撮影に対する集中力がガクンと落ちてしまうし、それは楽士に取っても同じことだろう。酩酊状態のカル・ナートはとにかくやりたい放題。おまけにアチャールに「こんな風に吹けばいいんだよ!」と、人を小馬鹿にしたような居丈高な態度で上下関係を誇示するのにもウンザリしてしまう。まるで練習風景を撮っているようだ(見方によってはそれも面白いのかもしれないが)。たしかにアチャール・ナートの演奏には大人しい印象を受けたのだが、全く聴けないほど酷い演奏でもない。
 やがて痺れを切らせたのか、リーダーのカル・ナートは「オレが吹いてやる」と言わんばかりに、いきなりアチャールからプーンギーを奪って独奏を始めた。リズム隊は慌てて彼の演奏に合わせる。しかし酩酊状態のせいかこの独奏が全く酷いもので、サーキュラー・ブリージング(循環呼吸)すらマトモに出来ていない。先ほどの居間の打ち合わせで初めて観た時と同じようなやんちゃな演奏だ。カル・ナートの出す音の方が太くてブライトだし、酩酊も相まってビジュアル的には面白いのだが、フレーズすらマトモに聴き取れなくて、何をやっているのか分からないこともあった。アチャール・ナートの方が音楽的にはまだマシである。そんなアチャールはカル・ナートの横で寂しそうに体育座りをしている。なんだか滅茶苦茶なセッションになってきた。
 今まで観てきた中で一番酷いセッションではないかと感じた。楽曲が最後まで通してマトモに演奏されないとは・・・。最高のギャラを払っているのに、最低のセッションになるとは全く想定外だった。撮影も集中力が欠けてしまい、ステージに子どもが乱入し始めて、もはやどうでもよくなってきた。このセッションは捨てて「別のカルベリアをどこかで見つけないと・・・」と諦念の境地に陥った。

 諦めと怒りが心頭に達してきたため、側で観ていたガイドのニッキールに「彼らは本当にプロフェッショナルなのか?」と皮肉たっぷりに言ってしまった。するとニッキールも同じように感じていたらしく、さらに彼がコーディネーターのマチュール.JRに告げる。全部で四曲演ったところで、ダンサー二人が退場した。マチュール.JRがメンバーの誰か(おそらくベレー帽の男性)に私たちの不満を告げたのかもしれない。苛つきながらも、次の展開を待つことにした。
 十分ほど経ってダンサーたちは例のカルベリアの黒い衣装で再登場した。ジャイサルメールの少女たちが着ている民族衣装に比べると、装飾が豪華で洗練されている。今までの嫋(たお)やかな彼女たちの存在感とは明らかに違う、どこか重厚感すら伴った緊張した空気が辺り一面を漂い始めた。

 カル・ナートがお決まりの進駐ラッパのような攻撃的なイントロをかき鳴らし始めた。私は少しの期待を抱いてカメラを構える。カルベリアを世界区に押し上げた伝説のカルベリアダンスがいよいよ始まったのだ。(次回に続く)


(写真上:「ケサリヤ・バーナ」を唄う美しいクマーリ・サムダ(左)と、マンジーラでグルーヴィーなリズムを刻むスーラム・ナート(右))
(写真下:威勢良くプーンギーを吹くリーダーのカル・ナート(左)と、彼にたしなめられて寂しそうなアチャール・ナート(右)。上下写真とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)

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 屋上に上がると十畳ほどの小綺麗なスペースがあった。カルベリアの踊りは縦方向にリニアに激しく移動するのが特徴だが、この屋上の縦スペースは三、四メートルほどしかない。ここで彼女たちはしっかりと踊れるのだろうかと一抹の不安が残る。ふと屋上から視界の先に小さな湖が見える。あの湖畔でセッションしてもいいかなと思ったが、楽士がすでに準備を進めてしまっているので、もはや言い出すこともできずそのまま続行することにした。

 今回は楽士本人とのギャラ交渉でなくコーディネーターのマチュール.JRとの交渉となった。おそらく彼がブローカー的役割を果たしているのだろう。できれば楽士と直接交渉したかったのだが、ジョードプルの楽士たちにとってマチュール家は特別な存在であるようだし、マチュール.JRが割と良心的な価格設定でチャーターしてくれていたことに後で気付かされた。結局このカルベリアのセッションは、今までの中で最高値のセッションとなってしまったのだが、それでも後で知り合った地元の音楽プロデューサーに言わせると「よくそんなに安値で彼らをチャーターできたものだなぁ」と感心されたほどだった。マチュール.JRは見た目の厳つさとは裏腹に、今回のために結構融通を利かせてくれていたのかもしれない。

 ラジャスタン地方では大きなステージをこなすレベルの大物ミュージシャンの場合、通常一人当たり最低千ルピー程度のギャラを請求されるようだ。ジャイサルメールでコーディネーターのカマルに紹介してもらった、現地で特に人気のあるマンガニヤールとカルベリアの十人からなる複合グループのギャラは一万ルピー以上だった。日本円に置き換えれば大した金額ではないのだが、インドの物価からすればかなりの大金である。金額云々もそうだが、ワンショットで十人を撮るのは至難の業だったこともあり、結局この話は流すことにした(だがこのジョードプルでも、後で十名と大所帯のランガをワンショットで撮影することになってしまったのだが・・・)。(次回に続く)


(写真:コーディネーターのマチュール.JRと(左)、ガイドのニッキール(右)。カル・ナートの豪邸の応接間にて)

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 周辺のシンプルな造りの家屋との格差に少々狼狽しながらも、凝ったデコレーションが施された門をくぐり十畳ほどの居間に案内された。

 居間の棚にはたくさんのトロフィの数。国内外のフェスティバルやコンテストで頂いたものだそうだ。彼らがいかに成功し、国内外で名声を獲得してきたかが伺い知れる。そして壁の一角には、今回のセッションに参加するカルベリアダンサー、クマーリ・サムダ Kumari Samda のフランス公演の写真がパネルで展示されている。池畑慎之介(ピーター)を思わせる、スレンダーでとても美しい女性だ。
 マチュール.JRとニッキールと雑談を交えて待っていると、子どもが瓶ジュースでもてなしてくれた。チャイでの歓迎を受けるのはよくある事だが、瓶ジュースは始めての経験だ。他愛もないことなのだが、インドの金持ちのセンスを感じる。

 やがて深紅のドレスに身を包んだ美しい女性が二人部屋に入ってきた。ひとりは展示写真のご本人クマーリ・サムダ、もうひとりはアンキ Anchi というお方だ。さらに続けてグループのリーダーのカル・ナート・カルベリア Kalu Nath Kalbelia が妙にハイテンションで入ってきた。ホーリーからすでに二日が経過しているが、どうやら昼間から酒を飲んでベロンベロンに酔っぱらっているようだ。ホーリーで投げ合ったピンクの塗料で白い衣装の大半が染まっているが、なぜかそれが何とも言えずヒップな感じに見えてしまう。そしてもうひとり(名前は失念)紳士的で物腰の柔らかな上品そうな男性も入ってきた。彼はベレー帽を被り、小綺麗なファッションに身を包み、南フランスのリゾート地で寛いでいるハイソな大金持ちといった雰囲気を醸し出している。インドでこんな洗練された人に会ったのは始めてだった。この家の中だけは別世界、まさに俗埃(ぞくあい)離れた壺中の天地のようだ。南ヨーロッパのリゾート地の如く洗練されており、むろん居心地も悪くない。
 リーダーのカル・ナートは超ゴキゲンで、いきなりハードケースから吹奏楽器プーンギー(ビーン)を取り出し得意げに吹き出すが、酔っぱらっているせいか息が長く続かず、サーキュラー・ブリージング(循環呼吸)が全く出来ていない。多少不安な気持ちにさせられるが、ようやく本場のカルベリアたちに出会えたという喜びの方が強く、早く彼らのセッションを観てみたいと思った。

 セッションはリーダーのカル・ナートの所有するこの豪邸の屋上で行われることとなった。(次回に続く)


(写真:部屋の壁に展示されていたクマーリ・サムダのフランス公演の写真。燃えるような赤い民族衣装が印象的だ)

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 サンジート・ナタック・アカデミーで打ち合わせをした同日の夕方に、カルベリアの撮影をすることになった。

 カルベリア Kalbelia はナート族 Nath であるジョーギーのサブカーストに属し、ラージプートを祖先と考え、蛇つかい、ひったくり、強盗、窃盗、手相見、魔術そして踊りで稼ぐ生活を続けているため、社会からの賎視を受けている。当然、土地は持たずに門付けをしながらの放浪生活が中心であるが、一時的には、村から離れたところに留まる。彼らの信仰はヒンドゥー(特にシヴァ神)である。彼らの舞踊は、カルベリアダンスとして伝統的に広く知られており、少女が踊るものである。彼らの生活は他のコミュニティーから距離を保ち、孤立している(参考資料「ジプシーの来た道/市川 捷護(白水社)」※一部を修正引用)。
 さらにカルベリアは、ダリワル・カルベリア Daliwal Kalbelia とメワーラ・カルベリア Mewar Kalbelia のふたつのグループが確認されており、ダリワル・カルベリアはサペラ Sapera、プーンギワーラ Poongiwala、ジョギーラ Jogira として知られており、パーリーに多く暮らしているが、アジメール、チットールガル、そしてウダイプールにも暮らしている。音楽を演奏したり、カルベリアダンスを踊ったりするのは、このダリワル・カルベリアであるようだ。メワーラ・カルベリアは竹の伐採と石臼つくりを生業とし、ウダイプールに多く暮らし、チットールガル、ビールワーラーにも暮らしている。

 ジャイサルメールで観たカルベリアダンスは少女が踊るものとされていたが、ここジョードプルでは若い女性が踊るものとされている。またジョードプルでのカルベリアのコミュニティは今回訪問する近郊の村たった一箇所だけであるらしく、それ以外ではジャイサルメールの場合と同じく、村と村の間で点在して暮らしているらしい。(ウダイプールでの調査をしていないので断言は出来ないが)観光客が多く集まる都市部のカルベリアは、観光収入を確保するためにも若い女性のより洗練された民俗舞踊を売り物として、政府の手厚い庇護の下で活動しているように思える。

 ガイドのニッキールのヒーロー・ホンダ(インドでのホンダの商標名)のバイクにまたがり西方面へと走る。途中、アカデミーの館長であるマーダン・モーハン・マチュール氏の息子(以後「マチュール.JR」と表記)と合流し、二台のバイクでさらに西へ向かう。ニッキールの友人でもあるマチュール.JRは今回はコーディネーターを担ってくれた。マチュール家とジョードプルの楽士との繋がりは非常に強いものがあり、今回のカルベリアと後で紹介されたランガの楽士たちは、彼らが特にプッシュしていたアーティストだと後でガイドのニッキールから聞かされた。二日前のホーリーでは、このマチュール家に大勢のカルベリアが集い、深夜までパーティーで飲めや踊れやで盛り上がっていたそうだ。事前に知っていれば、是非とも現場を観てみたかった。

 ジョードプルから四、五十分バイクを走らせて、C村(村名は、映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』のライナーをご参考ください)に到着する。犬がワンワンと吠え威嚇してきたため、少し恐怖を覚えるが、静かな農村といった長閑な佇まいだ。路地をくねくねと走ると、やがて周辺のみすぼらしい家屋とは明らかに異なる、数件の小綺麗な邸宅が立ち並ぶエリアに到着した。ここがジョードプルで唯一のカルベリアのコミュニティだという。インドの住宅事情から考慮すれば、かなり洗練された大邸宅と言っても過言ではない。

 この洗練された建物を目の前にして、もはやカルベリアとアウトカーストが線で繋がらなくなってしまった。カーストの縛りや職業ジャーティは近代化により、都市部を中心としてだんだんとその意味を失い始めており、たとえば熱心に勉強して一流大学で学位を取れば、カーストの上下に関係なくビジネスチャンスは獲得できるし、また工業化により固定した世襲的職業の継承も廃れてきている。さらに政治の世界でも一九九七年から二〇〇二年まで大統領を務めたコチェリル・ラーマン・ナラヤナンを筆頭として、アウトカースト出身の政治家が何人も進出している。だが保守的な村落部ではカーストによる支配は依然強く、ラジャスタン地方でもそのイデオロギーは日常生活の中で根強く残っているのもインドの現実なのである。

 このカルベリアの豪邸を目の当たりにして、太古からインドを秩序立ててきたカースト制度の存在意義を改めて考えてさせられてしまう。(次回に続く)


(写真:C村のカルベリアのコミュニティにそびえ立つ豪華な邸宅。セッションはこの家の屋上で行われた)

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 ホーリーが明けて、いよいよ撮影モードに入る。ガイドのニッキールの弟のスニールと共にウメイド・パーク近くのツーリストセンターに行くが、あいにく休日で閉館。さらに情報収集のために彼の勤務する生命保険会社の上司の家に招待される。アパートメントのような集合住宅の一室に通され、居間で打ち合わせをする。スニールと彼の上司は終始ヒンディー語で会話をしていたので、何を相談しているのかよく分からない。「政府からの補助金や教育機関からの奨学金を使っての撮影なのか」とだけ質問されたが、もちろん私費による私的調査である。どんな収穫があったのかよく分からないまま、打ち合わせは三十分ほどで終了。

 日を改めて、今度はガイドのニッキールと共に、ツーリストセンターの隣にある国営のサンジート・ナタック・アカデミー Rajasthan Sageet Natak Akademi を訪問した。一階が民族資料館になっていて、二階と三階は民族音楽関連のオフィスになっている。館長のマーダン・モーハン・マチュール氏 Madan Mohan Mathur を紹介される。恰幅が良く見るからに裕福そうだが、物腰柔らかで紳士的な男性だった。彼と小一時間会話をして、カルベリアとランガのアーティストを紹介して頂けることとなった。マチュール氏は日本の芸能にも興味があるようで「能」に関する英語書籍目録をメールで送って欲しいとのリクエストを受けたので、帰国後アマゾンのURLと共に関連資料の一覧を送付しておいた。彼はボーパのような「女形」の芸術に興味があるとも語っていたが、はてそれならば「能」ではなく「歌舞伎」の方が適当ではないだろうかと後で気付いたが、まあいいか。


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 館内にある録音スタジオも見学させてもらうことが出来た。ここで楽士たちの演奏を録音をしてCDのマスタリング制作まで行うという。ミキサー室を覗いてみるが、パソコンの他に機材らしきものはオープンリール、アンプ、カセットテープデッキやCDプレイヤー程度でとても潤沢な環境とは言えないが、録音室はしっかりと防音設備も配備されており、最小限の設備でそれなりに上手くやっているのだろう。エンジニアの男性に「撮影したテープを後でダビングさせてもらないか」と相談される。映像フォーマットの違い(NTSCとPAL)を理由にやんわりと断ったが、とんでもないことを容易く頼まれてちょっと辟易してしまった。まあ悪意はないのだろうけど。

 館内の見学を終えてマチュール氏の部屋に戻ると、二人の若く美しい女性と打ち合わせしている最中だった。ガイドのニッキールが、彼女たちはカルベリア Kalbelia だという。彼女たちは刺繍を施したあの独特な黒い衣装ではなく、オシャレな模様の洗練されたサリーを着ていたが、相変わらず鼻輪や、バングル、ネックレスやアンクレットなどのアクセサリーをたくさん着用しており、嬋媛(せんえん)な存在感が際立っている。ジャイサルメールでは「カルベリア=少女の踊り子」という認識でいたが、ここジョードプルでは若い女性が踊るものとされているようだ。
 打ち合わせをしている彼女たちを後ろからしばし眺めていたが、ため息が出るほどに美しい。時おり体を動かした時に鳴る、金属のアクセサリーが擦れる鋭角的な音がとても艶めかしく聞こえた。彼女たちのセッションを撮影させてもらえるのかと期待したのだが、どうやら別の仕事の打ち合わせのようで少し悲しくなる。
 美しい彼女たちとアウトカーストがどうしても線で繋がらない。それは同日の夕方に行われたカルベリアのセッションでさらに強烈に感じることとなった。


(写真上:国営サンジート・ナタック・アカデミー)
(写真下:館内の録音スタジオにて。パソコンの傍らで、オープンリールとカセットテープデッキがあるのが懐かしい)

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Rajasthan Sageet Natak Akademi
Town Hall Campus
High Court Road
Jodhpur Rajasthan, INDIA 342001


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 ジャイサルメールを離れジョードプルに向かった。当初の予定ではバールメールを経由して、さらにマンガニヤールとボーパを撮影したり小さな集落を訪れてみたいと思っていたのだが、ジャイサルメールで出会った楽士たちだけで充分に映像素材が撮れたので、予定を急遽変更し、ランガとカルベリアの本拠地であるジョードプルに直行することにした。さらに時間が取れればウダイプールやグジャラート州の方まで足を延ばしてみたいとも考えていた。
 ジョードプルへはバスで移動。運賃は鉄道の2Aクラスの四分の一、百五十ルピー程度と安く、鉄道よりも一時間早く五時間で現地に着く。さらに鉄道では午後十時ころの遅い到着のため、昼間に現地に到着できるという利点からもバスを選んだ。

 滞在を決めた旧市街のゲストハウスで、今回の旅の目的を説明しガイドの斡旋を頼んでみると、初老の物腰柔らかなオーナーのアルーン爺の長男ニッキールが二つ返事で受けてくれることになった。ニッキールは現地の楽士についてはさほど詳しくはなかったが、人脈の広さとその穏やかな人間性により、安心してガイドを任せられる優秀な逸材であった。彼らの誠実そうな人柄に惹かれるところがあり、当初予定していた新市街での滞在を取りやめ、前回同様に喧噪溢れる旧市街に宿を構えることにした。

 チェックインした日はホーリーの前日だった。ストリートのあちこちでは、若い男たちが円形の大きな片面太鼓ダフ Daf を夕方ごろから威勢の良いリズムで叩き出し、すでに結構な賑わいを見せている。さらにホーリー当日のストリートでは昼過ぎまで色水や色粉を投げ合ったりするので、とても撮影どころではなくなる。さらに子どもたちは待ちきれずに前日から色水を掛け合っており、私もちょっとした外出時にいたずらで水を掛けられてしまった。この時期は旅疲れを取り除くためにも部屋で静養して、ホーリー明けから本格的に動き出そうという心づもりでいた。そういえば前回の滞在でも、ホーリー当日は酷い下痢で寝込んでいた。

 夜の十時頃になるとゲストハウスの階下が妙に騒がしくなってきた。打楽器ドーラクを打ち鳴らし、普段はストイックな生活を送っているが、今夜ばかりは無礼講と酒でベロベロに酔っぱらった男たちが大勢で楽しげに大合唱している。ゲストハウスのオーナーのアルーン爺を中心とした平民カースト(ヴァイシャ)のホーリーを祝う前夜祭の集いである。訊けばファルグン Falgun という春の訪れを祝う楽曲で、軍人が歌う軍歌のようなものだという。昼間は物腰柔らかで紳士的だったアルーンも、この時ばかりは酒の勢いに任せて大いにハメを外していたのが可笑しかった。同じ宿に滞在していたスロヴェニアの白人カップルたちとこのリベラルな光景をしばらく眺めていた。
 このような賑やかな集いは滞在中に何度か遭遇し、今回のようにドーラクのシンプルなリズムに合わせて皆で合唱するものばかりだった。彼らは毎月何らかの祭で盛り上がっているように思える。祭こそが「生」を感じる最高の表現なのだと言わんばかりに。


(写真:ファルグンを歌い祭を祝う平民カーストの人たち。中央で手を挙げているのがゲストハウスのオーナーのアルーン爺。映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)


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