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 サーランギ奏者のハニーフ・カーン Hanif Khan 率いる、ハニーフ・カーン・ランガ・パーティ Hanif Khan Langa Party は、メインボーカル、ハルモニウム、アルゴザ、ドーラク、カルタール三名、少年の踊り二名から成り、総メンバー数が十名と大所帯だ。このランガのセッションは大人数のためワンカメで撮るには困難を伴う。もちろん同じ演奏を何度か撮影して後で編集すれば、マルチアングルで撮ったのと同じ効果は出せるのだが、同じ演奏を繰り返すことで彼らのテンションが下がることは極力避けたいのだ。そして作家性のある音楽ドキュメンタリーという観点からは、自分の目の動きをワンカメで表現した方が作品にリアリティが出てくると思うのだ。

 今回はマンガニヤールとの差異を明確に表現したかったので、彼らにはスーフィー色の強い曲を演奏してもらうことにした。スーフィーとはイスラム神秘主義のことであり、イスラム教の世俗的権威よりも、思想・哲学や芸術などの直接的・精神的な体験を重視する宗派である。もちろんマンガニヤールでも自らの音楽をスーフィーだと明言している楽士にも出会った。この辺りの微妙なニュアンスは、部外者である自分には知る由はないのだが、ランガのスーフィズムはマンガニヤール以上にどこか切実さを持っているように思えるのだ。
 
 一曲面はスーフィーにはお馴染みの「ダマーダム・マスト・カランダール」Damadam Mast Kalander だ。同じ曲をすでにカノイ村のセッションで収録したことを告げると「マンガニヤールとの違いを感じて欲しい」と彼らが挑発してきた。これは面白い展開だ。
 ランガの特徴として、歌い手がどんどん切り替わり、キメのフレーズは皆で大合唱という点が挙げられよう。このダマーダム・マスト・カランダールも前半で歌い手が何度も入れ替わり、ジワジワと感情を盛り上げていく。そのコントロールが絶妙なのだ。マンガニヤールが疾走感溢れるシャープな演奏であるとするなら、このランガはテンポを落としてより重厚感を重視した、いぶし銀のような渋みのある演奏だった。メンバーが一丸となって大合唱を続け、ジワジワと天への階段を駆け上り、熱気が最高潮に達しついに神の御前にまで辿り着く。その時間は実に十一分と結構な長さだったのだが、時間の流れを全く感じさせないほど深く演奏にのめり込んでしまった。
 インドの伝統音楽であるヒンドゥスターニ音楽(北インド)やカルナータカ音楽(南インド)では、さらにもっと長い時間を費やして、神の領域へと近づいて行くのである。

 マンガニヤールの楽士の中には、自分たちをパキスタンのカッワーリと同等と見なされるのを嫌がる人もいるそうだが、このランガの演奏の方がよりカッワーリに近い印象を受けた。恰幅の良いメインボーカルのビカエ・カーン Bhikae Khan の天まで届きそうな太い歌声は、カッワーリの王者、ヌスラット・ファテ・アリ・ハーン Nusrat Fateh Ali Khan を思い出させるほどである。
 さらにドーラク奏者のサクール・カーン Sakur Khan は、演奏が佳境に入って来るとトランス状態になり、『ウッドストック1969』でサンタナのバンドでドラムを叩いていた若き日のマイケル・シュリーブ(当時十九歳)のごとく、一人だけどこか違う世界に居るかのような恍惚とした表情になるのが印象的だった。


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 次から次へと息つく暇もなく畳みかけるように楽曲が進行していく。楽曲のクライマックスになると、両端でカルタールを叩いていた二人の子どもたちがいきなりステージ中央で舞いを始めるのも、マンガニヤールには見られなかったパフォーマンスだ。これがランガの特色なのか、彼らの楽団独自のものなのかは分からないが、スーフィーを特徴づけるセマー(旋舞)とは違うアプローチで、アッラーとの合一を試みているという印象すら受けた。リハーサルの時に見た子どもたちの舞いは、正直自分のカメラワークには邪魔のようにも思えてしまったが、セッションが進むにつれ、純真な彼らの舞いが神と下界を繋ぐのに重要なシャーマン的役割を果たしていることを感じさせられた。
 セッションが進むにつれ、セッションを見物していたコーディネーターのマチュール.JRやガイドのニッキールがだんだんと興奮してきている。二人ともヒンドゥー教徒であるにも関わらず、ムスリムのビカエ・カーンの問いかけるようなボーカルに反応して、楽曲との一体感、恍惚感を感じているようだった。歌詞の内容が分かればもっと彼らを理解できるのにと残念だったが、演奏を聴くだけでもただならぬ恍惚とした表現の世界に溶け込むことは出来る。

 五曲を終える頃には約束の演奏時間の三十分を過ぎてしまったが、ランガたちのテンションがかなり上がってきた。ここで終わるのは残念だと思っていたら、マチュール.JRが「さらに延長する。金の事は気にしないで」と言う。私以上に彼らの方が盛り上がってきてしまったのだ。陽が落ちて辺りはすでに真っ暗。電球一個の灯りだけでなんとか被写体が確認できる程度。これではさすがにビデオ撮影続行は無理だが、音だけでも記録しておきたいので、セッション最後までビデオは回しておくことにした。
 ガイドのニッキールが特に感銘を受けていたのは、最後から二曲目の「ラガン・ラガイ・フムセ・マン・キ・ラガウ」Lagan Lagai Humse Man Ki Lagau というハルモニウム奏者独りによる弾き語りだった。詩の美しさを重視するイスラム芸術と市井の人との関わりは北アフリカを旅した時にも強く感じたが、それがこのインドでも見られて感銘深いものがある。ヒンドゥーの観客までも虜にするムスリムのランガ。ただ者でない。

 一時間ほどでセッションは終了。辺りはもう真っ暗だ。今回のセッションは、今までの砂漠ののんびりとした状況とは全く雰囲気の違う緊張感の中で行われ、人間性の尊厳や神への愛などのテーマを基調とし、個我からの解放、精神的共同体における一体感や神への合一など、まさにこれぞスーフィーといったパワフルなセッションを目の当たりにして、終始鳥肌が立ちっぱなしだった。
 しかし十人の演奏をワンカメで撮るということに必死で、映像で彼らと対話することもままならず、どこか一人だけ取り残されてしまったような気持に陥ったことも否めない。スーフィー音楽の演奏を耳や目で感じ、楽しむことは出来たとしても、文化的土壌の違う自分が精神的な面で入り込める余地はないのではないかと、少し寂しい気持ちになったこともまた事実である。
 だがこのランガのセッションは今まで追ってきたラジャスタン音楽の最後を締めくくるのに相応しい演奏であったことは間違いない。すべての楽士のセッションを終えて、今回の撮影を作品化することを決心した。


(写真上:マチュール邸のルーフトップセッション。サクール・カーンのタイトなドーラクが特に印象に残った)
(写真下:スーフィーの真髄を見たりといっても過言ではない、重厚感のある素晴らしいセッション。写真上下とも映像作品『ザ・ラジャスタン~砂漠の表現者たち』より)

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BHIKAE KHAN & HANIF KHAN (at Mathur's House in Jodhpur, 08.Mar.25)
01. Hichki (Reharsal)
02. Damadam Mast Kakander
03. Suran Di Satayan
04. Bulle Shah
05. Kardo Kardo Beda Par
06. Algoza & Khaltar Solo
07. Sarangi Solo
08. Ladli Lumba Lumba
09. Lagan Lagai Humse Man Ki Lagau (Gajal)
10. Jab Deku Bane Ri Lal Pili

※赤文字が今回DVD作品化


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