the art of flamenco
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『フラメンコの芸術/ドン・E・ポーレン著、青木和美訳(ブッキング)』

 ずっと読みたいと思っていた『フラメンコの芸術/ドン・E・ポーレン著、青木和美訳(ブッキング)』がようやく復刊された。昨年春に復刊ドットコムのリストで発見してすぐさま注文、十〇月復刊予定から三度も発売延期になって、忘れかけたころの今年一月最終日にやっと届いたという次第。ポーレン三部作の内、ディエゴ・デル・ガストールらの素顔を描いた『ひとつの生きかた』も同時復刊しているので、こちらも読んでおきたいところ。

 さて本著『フラメンコの芸術』だが、とにかく著者のフラメンコに対する情熱が伝わる一冊だ。「伝説のフラメンコ・バイブル」と評されるのも頷ける。ともすればこういったフラメンコ論は自己満足的・独善的な内容に偏りがちなのだが、著者の審美眼には時に深い愛情すら感じさせられる。
 カンテ、バイレ、トケにおける技術面をバランスよく取り扱っており、フラメンコ各分野の表現者の相互理解においても必須な一冊ではないだろうか。ディエゴ・デル・ガストールのセッション風景、巨匠ルシエールたちの集合写真、ジプシーのバイレの衣装などレアな写真も満載で、古き良き時代のフラメンコの雰囲気も堪能できる。
 また本文中にガリシア・ロルカの詩がいくつか原文で掲載されているのも嬉しい(平凡社ライブラリーの『ジプシー歌集』は翻訳メインで、原文表記は Romance Sonambulo(夢遊病者のロマンセ)一作が巻末付録にあるのみ)。

 自分が特に感銘を受けたのは、フラメンコの歴史とその精神に重きを置いた「第二部 フラメンコの芸術」だ。
 十八世紀には「人の生き方」であったフラメンコがいかにして商業主義に毒されていったのか、二十世紀半ばにほとんど壊滅的だったフラメンコ界がどのような経緯を経て復興に至ったかなど、フラメンコの貴重な歴史の変遷を垣間みられる。
 ポーレンが言うように、フラメンコの古き伝統や精神に敬意を払うことはもちろん大切であるものの、時代と共にその表現も変容していかなければフラメンコは生き残れないこともまた真実だとも思うのだ。「ホンモノ」は時代と共にその定義が変わっても良いのではないだろうか。ポーレンのように極右的な懐古主義に陥ることは、極論で言えば「文明に毒された現代人はニセモノ、自然と共存していた石器時代の人間こそがホンモノ」とすら換言できてしまう危険性を孕んでいる。
 フラメンコはまだ生きている。そしてプロフェッショナルだけでなく、熱狂的なアフィシオナード(愛好家)たちが、これからのフラメンコの将来の進路を決めると言っても過言ではないだろう。ポーレンの遺言を切実なものとして受け止めた表現者だけが、次の時代を切り開く手がかりを持っているのである。

 思うにフラメンコの東洋性とは、その技巧面だけでなく、精神的な面でも繋がっているのではないだろうかと思える。一神教的世界観の中で培われたアンダルシア民謡をベースとして、インド北西部から長い旅路を経てやって来た無宗教のジプシーが昇華させた心の叫びには、一神教の切実さを超えてしまった「何か」が包含されているように思えてならない。
 俗人の勝手な想像に過ぎないが、たとえばカンテ・ホンドのシギリージャスの絶妙な「間」を、ぼくはチベット大乗仏教の到達地点である「空性」と重ね合わせてしまう。シギリージャスの「間」はカンテもトケも止んだ「無」の領域。だがそこには何も存在していないのではなく、ありとあらゆる存在が凝縮されている。その豊潤な無の領域こそが、聞き手を言葉にできないような深い感動に誘う。さらにカンテとトケが切実に絡み合って楽曲が大きなうねりをもった存在へと昇華する様は、ダーキニーと交わることで解脱へと至る、チベット密教の無上ヨーガタントラの領域と重ね合わせてしまう。
 心底素晴らしい表現とは、突き詰めれば生死と表裏一体の危険な領域での闘いでもある。真のフラメンコの精神とは、他のどんな分野の切実な表現とも重なるように思えてならない。

 この書籍が執筆された六〇年代からさらに半世紀近く時を経た現在、ポーレン氏(〇七年に他界)から見ればもはや真のフラメンコは消滅してしまっただろうこの時代にも、人知れず粋な音を出している表現者がアンダルシアのどこかにまだ潜んでいて欲しいと思う。そしていつの日にかそんな人たちと時間を共有できれば本望である。

 本を閉じた後、ふと堀越千秋氏の「フラメンコ狂日記」のヘレス・デ・フロンテーラの章を思い出した。著者が夏の深夜に外から聴こえてくる歌声に誘われるがままに入った、パブの奥のパティオでの光景である。
 フエルガやフィエスタでの楽しげなフラメンコもよいが、自分が真に欲しているのはこんな切実な美しいフラメンコなのかもしれない。


 広いパティオに裸電球一ツが灯って、その下に二十人ほどの男ばかりが輪になって、じっと黙ってうつむいて座っているのだった。右端にヒゲを生やした若い男がギターを弾き、中ほどの若い男がシギリージャをヘレス流に「激唱」していた。終わると、次なる男がまたシギリージャを唄い出し、それを受けてまた別の男が唄った。そしてふと、ソレアーが唄われると、また次々とソレアーが唄われた。
(中略)
 ソレアーとシギリージャばかりが唄われた。皆、しーんと下を向き、それぞれの唄(カンテ)を実に注意深く味わっていた。「オレ!」の声もごくひかえ目に、手拍子(パルマ)も拍手もない。カンテ・ホンド(奥深い唄)だけが物凄い勢いで唄われ、秘技のように真剣に味わわれていた。
(『フラメンコ狂日記/堀越千秋(主婦の友社)』)







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【2009/02/05 18:11】 | #[ 編集]














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