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The-Heart-of-Hindu04

 ハシシは大麻の花穂や葉から取れる樹液を圧縮して固形状の樹脂にした大麻樹脂のことであり、手もみによって作られるものをチャラスと言う。単に大麻の花穂や葉を乾燥させた乾燥大麻をマリファナと呼び、インドではガンジャと呼ばれている(さらに詳細は ウィキペディア:大麻 にて)。
 マノージギリが手にする棒状のチャラスは、通常のマーケットでは入手はできず、サドゥのテント村周辺に屯している密売人から入手している。このチャラスを市販のタバコの葉と混ぜて吸引していた。

 日本では戦後のGHQの政策で法律に大麻栽培の罰則が設けられ、大麻の吸引、所持、販売は違法行為とされており、インドでも八十年代に法律で禁止とされたが、サドゥの大麻喫煙に関しては暗黙の了解という雰囲気が漂っている。古代インドの時代では宗教的な権威者が大麻を宗教上の儀式に用いて、聖職者だけがそれを利用することが出来たという。サドゥがチャラスやガンジャを服用するのは、シャーマニズムの影響からとも言われるが、このような特権の名残もあるのかもしれない。
 ちなみに幻覚性植物を聖なる植物とし、信仰の対象にしている宗教や民族は世界各地で多くみられる。宗教においては、とげのない小さなサボテンのペヨーテを用いる米国ネイティブ・アメリカン・チャーチ、ブラジルのアヤワスカを使うカトリック系教会、サドゥと同じく大麻を用いるジャマイカのラスタファリズムなどが挙げられ、シャーマニズムにおいても、メキシコのマサテク族のマジックマッシュルーム、アンデス地方のサンペドロ・サボテン、西アフリカのイボガ、シベリアのベニテングタケなどの幻覚性植物が儀式において用いられる。また民族においては、コロンビアやペルー、ボリビアに住む先住民インディオや労働者が、コカインの原料であるコカの葉を興奮剤として日常的に服用していたり、東南アジア、東アフリカ、中東でも、興奮作用のある植物を嗜好品として摂取する習慣がある。ケシ(芥子)栽培をするタイ北部やラオスに住む少数民族の中には、あへん中毒に陥っている者も少なくないと言う。

 ソフトドラッグの善悪は、所属するコミュニティの都合に左右されており、絶対的な価値基準はない。オランダのようにハードドラッグへの流出対策としてソフトドラッグを合法化している国もあれば、医療大麻の合法化を打ち出す国も増えており、さらに前述したように、民族や宗教的イデオロギーが伴えば善ともなる。結局は自己の価値判断に委ねられる事柄なのだ。
 断っておきたいのは、本チャプターは大麻の吸引を推奨する目的ではなく、サドゥの生活風俗を紹介する目的で制作したのである。本映像に感化され大麻吸引を試してみたところで、経典の重さや厳格な修行、ヒンドゥそしてサドゥであることの切実さが伴わなければ、結局は上っ面をかすめるだけの戯れ事に過ぎないであろう。
 多くのサドゥは肉を食せず、アルコールを口にせず、性欲も昇華している。唯一の嗜好品がハシシであり、彼らにとってのハシシ喫煙は、単なるファッションや現実逃避という薄っぺらな意味ではなく、瞑想やヨガと同じベクトル上にあり、神との対話のためのひとつの手段でもある。一見退廃的に見えるこの光景ではあるが、そこには聖なるものに直結する、ある種の厳格なストイシズムが存在しているように思えるのだ。

 時空を越えたさらなるディープな宗教的体験を得たいがために、LSDやヘロインなどのハードドラッグに手を染める者もいるようだが、果たしてそれは宗教的な「道」と言えるものなのか疑問が残る。結果に重きを置く西洋合理主義の視点だけで東洋思想を解釈しようとする風潮に、どこか違和感を覚えてしまう。近年ネオ・ヒッピーやトラヴェラーと呼ばれる新世代のヒッピーも出現しているが、彼らも東洋思想をファッションとして取り入れているだけに過ぎず、六〇、七〇年代のムーブメントの焼き直しといった感が強い。彼らを題材とした映画や音楽の行く末が、「破壊」や「自滅」を示唆しているものが多いことからもそれが伺える。聖なる領域はデカダンとストイシズムのギリギリの境界線上に存在し、収まりどころがなかなか難しいものなのかもしれない。
 ハードドラッグによる薬物の服用で意識を変性させることと、観想瞑想などのストイックな修行により脳内物質の分泌を活性化させて意識を変性させることが、結果として同じ到達地点であったとしても、後者の方法で自力で到達することそのものに価値があるように思える。人生は結果そのものよりも「過程」こそが重要だと思うのだ。過程を経ずして安易に到達した場所で、果たして精神的な安寧が得られるものなのだろうか。果たして仏陀だったらどちらの道を選んだであろうか。
 サドゥたちがハードドラッグにまで手を出さないのは、それによる擬似的な神秘的体験を望んでいないからだと思われる。彼らにとっての真なる神秘的体験とは、修行によるストイシズムの中で到達すべき「道」、すなわち「知識による道」(ジュニャーナ・マールガ)、「行為による道」(カルマ・マールガ)、「信愛の道」(バクティ・マールガ)の三つの道から、最高実在であるブラフマンに到達することで得られるという認識ではないだろうか。そしてハシシなどのソフトドラッグは、コミュニティ内の結束を強めるためだったり、「自分がほどける」「我を薄める」ための手段であって、むしろアルコールを摂取することを堕落と考えているようだ。
 
 マノージギリが喫煙の小道具を喩えるシーンで、チラム(吸引パイプ)を比喩する “Mother” の訳に戸惑った。「お袋」と「女神」を候補に挙げたが、結局両者の組み合せで対処した。当方のヒンディやサンスクリットの語学力が乏しかったり、マノージギリの英語で聞き取り辛いものがあったりで、他に翻訳を見送った箇所が多少あることをお許し頂きたい。

 挿入曲は自作のインストゥルメンタル。楽器および制作環境を一新した影響もあって、欲しい音を瞬時に作れなくなってもどかしかったが、まぁ妖艶な雰囲気は出せただろうか。



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