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The-Heart-of-Hindu05

 冒頭のジャータ(ドレッドヘア)が印象的な少女は、マノージギリの子どもではなく、引き取った孤児だと言う。さらに二人の男児も引き取っているそうだ。通常サドゥは子ども同伴で出家することはないようなので、こういったケースは珍しいのかもしれない。

 「ヨガとヨギは違う」というマノージギリの言葉に少し戸惑った。一般的にヨギはヨガをする人、またはヨガの達人として知られているが、マノージギリはそんな単純な意味では捉えていないようだ。ヨガとは神そのものの境地への到達であり、ヨギとは体内を浄化し、気を通り易くするための健康法としてストレッチをする人々のことを示しているように思える。呼吸法(プラーナーヤーマ)はもとより、食生活や戒律、精神的な面でのストイシズムを伴って、始めてヨガへの道が開かれるといった認識なのではないだろうか。実際マノージギリは、未公開映像でも「ヨガはインドでも数えるくらいしか存在しないんだよ」と語っていた。
 彼が言うところのヨガとは、誰のことを示すのか不明だが、ラーマクリシュナやラーマナ・マハリシのような大物聖者がふと頭を過った。しかしながら、サドゥはこういった著名な聖者には無関心なようであり、実際マノージギリも、大きなアシュラムを所有している宗教ビジネス的な聖者に関しては否定的な見解を示していた。私自身もリシケシュに滞在した時に、商業ヨガセンターと宗教ビジネスが軒を連ねているその佇まいを観て失望したことは否めない。マノージギリが思うところのヨガとは、コミュニティ内で語り継がれているような、一般の人に知られていない伝説的なサドゥのことなのかもしれない。

 そもそもヨガとは、インドでは心身の鍛錬によって肉体を制御し、精神統一して人生究極の目標である「解脱」(モークシャ)に至ろうとする伝統的な宗教的行法のひとつである。その語源は「馬にくびきをかける」という意味の動詞ユジュ Yuj から派生した言葉であり、馬を御するように心身を制御するということを示唆しているようである。ヨガの歴史はかなり古く、インダス文明の時代のモヘンジョ・ダロの遺物からは「瞑想をする行者像」という結跏趺坐をしている印章が出土している。この印章に刻まれた行者はシバ神の象徴とも言われているが、ひょっとしたらサドゥを示してるのかもしれない。(さらなるヨガの詳細は ウィキペディア:ヨーガ にて)

 サドゥが行うハタ・ヨガは、肉体を駆使し深い瞑想の中で行われる動的なヨガであり、マノージギリからも、シールシャ・アーサナ(頭立ちのポーズ)、ロラ・アーサナ(耳飾りのポーズ)、ブルックシャ・アーサナ(立木のポーズ)など様々なアーサナを披露してもらった。体が柔らかく贅肉のない痩身のマノージギリのアーサナは、まるでしなやかな桃の若木のようでもあり、同性から見ても美しいなぁと思えたほどだ。
 ハタの「ハ」は太陽そして男性エネルギーを、「タ」は月そして女性的エネルギーを意味しており、エネルギーの気道をあらわしている。この陽と陰との考え方が東洋的な思想そのものであり、中国の『易経』では「元気」はまず陰と陽に別れると説いているし、韓国の国旗には、この陰と陽のうねりを描いた「太極」(たいきょく)という図が描かれている。西洋では陰陽の考えを持たなかったので、あらゆるものを作り出したのは創造主である絶対神だと考えられているのに対して、陰陽によってすべてが生み出されると考える東洋思想には、そもそも創造神に当たるものが必要ないのだ。

 さてこのハタ・ヨガでは、ヒンドゥの持つ人体の不浄を浄めるための行法がいくつもあり、一六~一七世紀にスヴァートマーラーマが著した『ハタ・ヨーガ・プラディーピカー』という、一三世紀にゴーラクナートが大成したハタ・ヨガを体系的に解説した実践書には、身体の浄化をもたらす秘法として「六つの行法」が挙げられている。
 例えば「ネーティ」は柔らかな紐を一方の鼻腔から口腔に通し、ひもの両側を持って静かにしごく。次にもう一方の鼻腔で同じことを繰り返す。これは頭の中をしずめ、霊的な直観を与えるのに有効な行法である。「トラータカ」は、まばたきをせず、心をしずめ、微小な標的を涙が出るまでじっと凝視する行法で、眼の諸病を無くし、怠惰等を封じるという効果がある。さらに腹筋を使って消化をよくする「ナーウリ」(布を飲み込んで胃を清掃する「ダーウティ」、水中で肛門に竹筒を挿入して腸内を洗浄する「ヴァスティ」も併用)、速い呼吸を繰り返して頭をすっきりさせる「カパーラ・バーティ」があるが、極めつけは水中で肛門から大腸を引き出し、洗浄をした上でふたたび体内に戻すという「バヒシュ・クリタ」。この行法の修得には経験豊かなグルのもとでも八年はかかるという。

 さらにハタ・ヨガの中の一つクンダリーニヨガは、尾骨のムーラーダーラ・チャクラに眠っている宇宙エネルギーのクンダリーニを目覚めさせ、そのエネルギーが頭頂のハスラーラ・チャクラを押し開けた時に、最高の歓喜と至福の境地である「解脱」を体験するとされるヨガなのだが、本DVDの特典映像の『マノージギリ:セックスとクンダリーニの関係』でも触れられているので、是非ご覧いただきたい。
 解脱とは、ヒンドゥ教においては輪廻転生の鎖から解放されることであり、そのためには「知識」による解脱が必要とされる。ここで言う知識とは世間的な知識ではなく、魂の永遠性をはっきりと認識すること、つまり絶対者とひとつであるような自分の本質をはっきりと認識することである(特典映像でのマノージギリは、この知識を "knowledge" と英訳しているが "wisdom" の方が相応しいように思う)。古代インドのヴェーダの思想では、宇宙の根本原理であるブラフマン(梵)と、自己の中心であるアートマン(我)の合一のことであり、「梵我一如」と言われる。この知識の道(ジュニャーナ・マールガ)に加え、行為の道(カルマ・マールガ)、信仰の道(バクティ・マールガ)も解脱への道であるが、知識によって輪廻の束縛から解放されるという考え方は、キリスト教などの一神教とは根本的に異なる思想である。
 中国の道教でもクンダリーニヨガに相当する修行がある。自然界の「精」を体内に取り入れて、それを「気」として整えて行く。体の中、たとえば下腹部の丹田といわれる辺りに「胎」を宿し、そのエネルギーを「気」で整え、頭頂の「天門」から出すという「出神」がそれに当たる。
 
 映像前半のオーム・ナマシヴァヤの唄と後半のガヤトリー・マントラは、マノージギリ自身によるパフォーマンスである。
 ガヤトリー・マントラ Gayatri Mantra (サヴィトリ讃歌)は数あるマントラの中でも特に重要なマントラである。ガヤトリーというのは、各行八音節からなる三行詩のことであり、とくに『リグ・ヴェーダ』全讃歌の精髄とみなされるこのサヴィトリ讃歌は遍(あまね)く世に光と熱を送って万物を「刺激・鼓舞する」太陽エネルギーを神格化したサヴィトリ神を称え、その加護を祈るマントラである。今回収録してきたマントラの中でも、このガヤトリー・マントラは特に音楽的にも美しく、ゆったりとした抑揚が心地よく、さらに自分で唱えると頭蓋骨が共鳴して気持ちがよいことこの上ない。ヴェーダのもっとも聖なる句と言われていることに大いに納得。翻訳は英訳されたものを参考にして、オリジナルを逸脱しない程度に意訳してみた。


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