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The-Heart-of-Hindu15

 冒頭のヴィシュヌ神のマントラを呟くビシュヌ派のサドゥは、パラカシュ・シャネイ Parakash Shanei。ガジェンダルギリ・ババのテントにて撮影。マントラは一マラ(一〇八回)を単位とするので、さすがに延々と公開するわけにはいかず、二種類のマントラの切れ目部分のみを抜き出した。彼は撮影を止めた後も延々とマントラを唱えていたので、かなり本気でやっていたようだ。「Sha」「Shu」などの開拗音の繰り返しは、聞いていて爽やかな気持ちにさせられる。自分で唱えるとさらに心地良くなる。

 ガネーシャ神のマントラ「ガム ガナパタイェー ナマハ」Gam Ganapataye Namaha のシーケンスで、マノージギリは「ガネーシャ神はユッダ(戦争)のパワーだ」と言っているところが興味深い。ガネーシャ神は通常、「障碍を除去して成功に導く神」「商売繁盛をもたらす幸運な神」「智慧を司る学問の神」「文化や芸術を司る技芸の神」等として、インドはもとより世界でもポピュラーな神様なのだが、マノージギリはガネーシャ神を「戦争で戦う万軍の主」や「性的精力の象徴」というインドの古い神話から引用しているようだ。
 マノージギリはガネーシャ神の別名として、ヴィグネーシュワラ Vigneshwara(障碍除去)、カールティック Kirti-c(音楽の神)、ヴィグナハルタ Vignaharta(障碍除去)の三つを挙げているが、参考までに戦力やパワーを持つ別名を以下に列記しておきたい。

【戦争やパワーを感じさせるガネーシャ神の別名】
 ・ビーマ Bheema(巨大)
 ・デヴァンタカナシャカリン Devantakanashakarin(破壊屋)
 ・ドゥルジャ Durja(無敵の神)
 ・ガダダーラ Gadadhara(鎚矛の武器)
 ・マハガナパティ Mahaganapati(全能の神)
 ・ヴィーラガナパティ Veeraganapati(英雄)
 ・ヴィカット Vikat(巨大)
 ・ヴィシュワラージャ Vishwaraja(世界の王)


 さて、いよいよ奇跡のナガサドウ、ガネーシャギリの登場である。もちろんCGで作られたバーチャルな存在ではなく、実際にこの御姿で生きているのである。彼と初めて会ったときには、左半分の顔が長くただれているその奇抜なルックスにしばし呆然としてしまった。そんなサドゥがいることは知人から聞かされていたものの、実際に対面すると、異界に紛れ込んでしまったのではないか、はたまたスターウォーズのロケ中なのかと、現実味が湧かなかった。だがしばらく時を一緒に過ごして気心が知れるようになってからは、この奇抜なルックスもごく自然に受け入れられるようになった。

 身長は一六〇センチくらいだろう。意外と華奢で小柄だったが、足は際立って大きかった。体中、特に臀部に大きな腫瘍があるのが目立つ。寡黙だが性格はとても穏やか。澄み切った瞳がとても印象に残っている。やはり写真に撮られる事が好きではないようで、カメラを向けると直ぐに視線を逸らしたり、その場を離れてしまうことがよくあったが、ヨガのブルックシャ・アーサナ(立木のポーズ)の構えで写真を撮らせてもらった時には、このファミリーの一員として受け入れられたようで嬉しかった(写真は本作品の特典として配布中)。鼻風邪を引いていて終始辛そうだった。ヨガや瞑想で「気」を自在にコントロール出来そうにも思うのだが、聖者でも風邪を引くところにどこか人間臭さを感じた。
 章の最後の映像では、仰向けのパドマ・アーサナ(蓮華坐)を披露してもらった。やっぱり足が大きいのが目立つ。ちなみに密教では、右足を左腿上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる組み方を「降魔坐」(ごうまざ)、その反対の組み方を「吉祥坐」(きちじょうざ)と言い、前者が修行中の姿をあらわす坐法、後者が悟りを開いた者の坐法とされている。ガネーシャギリは降魔坐で結跏趺坐している。

 マノージギリによれば、インドでガネーシャギリと同じ顔を持ったサドゥは他にいないと言う。まさに彼は奇跡のサドゥと呼ぶに相応しい。生まれた時から先天的に左半分の顔はただれていたそうだが、成長するにつれてそのただれ具合がますます下に長く伸びて今の状態になったとのこと。医学に詳しい訳ではないが、体中にも腫瘍が多くみられることから、ハンセン病もしくはそれに関連した病なのではないかと想像される。ちなみにインドは世界で最もハンセン病の新規患者数が多い国である(2007年データ)。
 以前にアメリカのテレビ局が彼の取材に来たことがあるそうだ。そして私がリシケシュに行っている間にも、日本のテレビクルーが取材に訪れたと、後でマノージギリが上機嫌だったが、ガネーシャギリは不在のため撮影には参加しなかったそうだ(カメラ嫌いが理由なのかもしれない)。この模様は後日テレビ東京の特番で放映されて、私もたまたま観ていた。引き取っている孤児を乗せてマノージギリがリンガ芸を得意気に披露していた映像が、可笑しくもあり懐かしくもあった。

 サドゥの生い立ちを尋ねることは禁句という暗黙の了解があるようなので、ガネーシャギリの生い立ちについても不明だが、おそらく不可触民出身だと思われる。以前の記事「チャピター13:ミーナルの沐浴」でも話題にした、オースラリア人プロダイバーのプレーム氏にガネーシャギリの映像を見せたところ、「二十年程前、プネーを旅した時に同じような顔をしたアンタッチャブル(不可触民)を見た事がある。せむしの男性のフルートに合わせて、ドーラクでリズムを叩いていた女性だ。皮膚のただれ具合はガネーシャギリほどではなかったけどね」と、偶然にしては出来すぎたような話を聞かされた。ひょっとしたら、彼女の息子がガネーシャギリだということもあり得るのかもしれない。しかもプネーは、ガネーシャ信仰が特に篤いマハーラーシュトラ州にある。
 奇異な外見を持った人を崇め奉る風習は、古い時代の日本でもあったようだが、インドでは今でもそれが大切に保存されている。サドゥになるまでのガネーシャギリの人生が、偏見や差別にさらされた壮絶なものであっただろうことは想像に難くない。だが彼はそれによって人生の大きな難題をクリアしてしまったのである。ガネーシャギリは神にもっとも近い存在となるべく、選ばれた希有な聖者なのだ。

 「ガネーシャ神はパワーだ!」というマノージギリの言葉から、BGMは力強い楽曲をシタールをメインで作ってみた。ポップな音楽表現をしばらく封印していたのだが、今回は映像がそれを必要としているように思えたので柔軟に対応した。自分で作曲したり演奏することにもある種のこだわりを持っていたが、最近はそれに縛られないようにしている。今の自分には筋を通すことよりも、柔軟さを優先させたい。映像と対峙した時に、自分が一番良いと思える方法を採れば良いのだ。


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