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The-Heart-of-Hindu17

 冒頭の笛を吹くシーンは、マノージギリの遊びの部分。いや、サドゥの生活自体は遊びみたいなものだから、やっぱり生活の一部と言ったほうがよいだろう。そもそも神々は、道徳的な理想をこの世で実現させるのではなく、万物を創造し帰滅させるという営みの全過程を「遊び」と捉えており、まさにサドゥはその実践者であるのだ。

 続く放浪民のフルートとドーラクの軽快なセッションは、リシケシュのラムジュラにて撮影。幼少の頃に聴いたような祭囃子を思い出す懐かしいサウンド。混雑している狭いストリートの一角で、誰にも気に留められることなく淡々と演奏していたにも関わらず、躍動感溢れるそのサウンドに深い感銘を受けた。
 ジプシーなどの放浪民は音楽などの芸能を生業とすることが多く、中世における日本でも「河原乞食」と呼ばれていた被差別民は、屠畜や皮革加工業、鍛冶職人、材木伐採などの他に、音楽や芸事を河辺や神社の見世物小屋で披露する芸人もいた。彼らのような差別された人々は農業に従事することができなかったため、人々が喜びそうな芸をすることで生計を立てるようになり、これがプロ芸能としての成り立ちとなったのである。

 そもそも音楽も瞑想や読経と同様に、過去や未来という時間を断ち切って「今」だけを味わうためのものだと思う。リスナーであれパフォーマーであれ、「音」そのものと一体となる至福のひとときを経験することがある。この時まさに「今」に居続け、自分がほどけた状態となり「私」の輪郭が薄まる。音楽も人間の根元的な生命力を躍動させる、大きな力を持っていると感じずにはいられない。

 ハリドワールやリシケシュも音楽に溢れている土地だった。宗教的なバジャンはあちこちで演奏されていたし、放浪民や市井の人々によるエネルギーに溢れた素晴らしい演奏にも何度も出くわした。
 今でも録っておけばよかったと後悔している音がある。ハリドワール滞在初日に、撮影機材を持たずにハリ・キ・パウリー Hari Ki Pauri 周辺をロケハンのために彷徨っていたのだが、盲目で小柄なせむしの男が路上でマンジーラ(フィンガーシンバル)をもの凄い勢いで打ち鳴らしていた姿にふと惹きつけられた。「今回の作品のオープニングはこれだ!」と感じ、翌日も同じ場所に行ってみたものの、彼はその場所には居なかった。その後同じ場所に何度か訪れたり、周辺の人に尋ねたり、他の場所も探し回ったのだが、結局再会することは出来なかった。マンジーラの演奏者は町中のどこでも見かけたのだが、彼以上の演奏にはついに出会えなかったのだ。逃した魚は大きかった・・・。【教訓】ロケハンでも撮影機材は持ち歩こう。


The-Heart-of-Hindu17b

 放浪民のフルートとドーラクのセッションの話題に戻りたい。
 神々の肖像と共に、シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカールやシルディ・サイ・ババといった聖者の肖像が飾られているシーンを演奏中にカットインしたが、このシーンを撮影中、山際素男氏のインドの不可触民に関する著作のことを思い出していた。山際氏の著作は西尾幹二氏の「人生の価値について」(新潮選書)で知り、そのセンセーショナルな内容に衝撃を覚えたのだが、今回の渡印直前にも「不可触民―もうひとつのインド」「不可触民の道」の二冊を読み、さらなる衝撃が蘇った。

 列車や車で行けないほどの奥地の村社会で、不可触民が遭遇している理不尽な差別や拷問という悲惨な現状、ガンジーは理念以上の存在ではなかったという絶望感、仏教への改宗により救いの糸口は見つかったように思われたが、改宗ごときでヒンドゥ教のドクマからは簡単には逃れられないという事実。そんな壮絶な現実を山際氏の著作から伺い知り、言葉を失ってしまった。ヒンドゥ教の「浄・不浄」の概念における不浄感は、まさに不可触民が背負っていかねばならない重すぎるほどのカルマなのだ。ブラフミンと不可触民という対極の存在が絶妙なバランスを保って共存している限り、いくら憲法で否定されたとしても、カースト制度が廃れることはあり得ないことなのだろう。

 ガンジーに対する不可触民の絶望感を知って、彼らとっての聖者とは一体どれほどの存在価値があるのだろうかと考えさせられた。リシケシュのような聖地や、著名な観光地に暮らす不可触民ならまだしも、一般の人すら簡単に行けないような奥地の村に暮らす不可触民たちは、自らの人間性をガタガタに破壊されないために、いったい何を救いとして「今」を生きているというのだろうか。

 西尾幹二氏の言うように、「人権」とは先進国だけで信じられている幻想ではないのだろうか。ことにフランス革命以来の欧米世界がもっぱら旗印にしてきた「神話」に過ぎないのではないだろうか。日本でも明治維新までは人民に権利があるという発想は持っていなかったし、その人権もフランス革命のように血と汗と涙で勝ち取ったものではなく、欧米列強の国々との外交上の方便として便宜上制定されたものである。はたして我々日本人は、本当に人権というものを理解して、日々暮らしているのだろうか。人権を振りかざすことよりも、諦めてしまう状況の方が多くないだろうか。

 最後に余談となるが、この放浪民のセッションが行われた撮影場所のすぐ近くの大きなアシュラムで、インド音楽のコンサートの模様を撮影していた時に、ステージ上に置いていた三脚を過って落としてしまい、直下の床に設置してあったドイツ人のオーディオレコーダーを直撃、破損させてしまうトラブルを起こしてしまった。ドイツ人は顔を真っ赤にして激怒してしまい、現地での対応が大変だったのだが、後で修理費を弁償する約束を取り交わし、帰国後に海外旅行保険を利用して、最近になってやっと全ての処理を無事に終えることができた。
 申請書類作成や保険会社とのやり取りに結構な手間暇を費やしたものの、先方からの資料は電子メールで送付してもらい、こちらからの弁償金は PayPal のユーロ建てでカード決済したりと、インターネットのおかげで諸経費がほとんどかからなかったのが助かった(実質費やした金額は、PayPal の送金手数料 4.95ユーロ のみである)。便利な世の中になったものである。


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