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roma in Italy

(画像:イタリアのローマの街中で遭遇したツィンガロ Zingaro。ツィンガロとはイタリアにおけるロム(ロマの単数形)の呼称(※1)。【左】コロッセオ前にて。喜捨用の空き缶を鳴らしながら歩くその様は、一種呪術的な雰囲気も醸し出していて不気味だった。映像作品「One Step Beyond」ローマ編より(ブログ過去記事にリンク)/【右】ナツィオナーレ通りで物乞いをする傴僂(せむし)のツィンガロ。この後スペイン、ポルトガル、フランスのストリートで多くのロマと出会い、その都度言いようのない複雑な感情に囚われた)



 さてはじめにロマの流鏑の歴史について述べたい。ロマの移動は十世紀から十一世紀前半にかけて、インド北西部のラジャスタン地方から始まり、その多くが西を目指したというのが最近の通説となっている。すなわち『インド ~ アフガニスタン ~ ペルシア ~ コーカサス(ロシア南部、グルジア、アルメニア)~ トルコ ~ バルカン ~ ヨーロッパ中央』と流鏑し、ヨーロッパ中央からは世界中に飛び散った(※2)。また、コーカサスからは中東やエジプトに拡散した支流も考えられている。
 中東やアルメニアにおける研究者の今後の成果には期待を寄せているし、個人的にはエジプトへの拡散に注目していて、(次回以降で触れることになるが)フラメンコのルーツを辿ってみると、エジプトから北アフリカ経由で南スペインに入ったロマもいるのでは、という少々強引な仮説も立てられるからである。

 言語面からみると、ロマが広く自分たちを指すときに使う語(本来は「人間」あるいは「夫」の意)はヨーロッパ・ジプシーのロマニ語では「ロム」rom、アルメニア系のロマニ語では「ロム」lom、ペルシアやシリアの方言では「ドム」dom という。これらはサンスクリット語の「ドンバ」domba との音声的な類似が見られ、現代インドで「ドム」dom あるいは「ドゥム」dum といえば、ある少数民族の特定グループのことを指す。
 サンスクリット語で「ドンバ」というのは「うたをうたったり音楽を演奏する低カーストの人間」を意味し、「ドム」は現代のインドでも生きている言葉である。彼らは下層のカーストに属し、籠つくり、鍛冶、金属細工、汚物処理、楽士、蛇つかい、舞踊、人形つかい、占い、予言といった、西に散らばったロマとも共通項の多い仕事に従事している(※3)。

 またロマニ語(※4)には、インドのサンスクリット語やヒンドゥスタン語に似通っている単語が多く含まれるとの学説もある。
 インド・ヨーロッパ語族にも属するサンスクリット語とロマニ語の関連性については、一七五三年にイシュトヴァーン・ヴァリというハンガリーの聖職者が、オランダのライデン大学で学んでいたときに、インド南西部のマラバル海岸からの留学生の言語をハンガリーのロマが理解していることを実際に発見した。
 ヒンドゥスタン語とロマニ語の比較研究をしたハインリッヒ・グレルマンの評価はまちまちであり、言語学的側面においてはまだ玉石混淆といった印象も拭えない。そしてグレルマンは、ロマを「ふしだらな女」「腐肉を食べる者」「人肉を好んで食する者」と、彼らの負のステレオタイプのイメージを作り出して、ハンガリー、スロヴァキア周辺のロマをさらなる偏見に陥れ、その誹謗中傷を払拭するのに一世紀以上の歳月を費やした。それはまるで「日本のジプシー」と言われた山窩(サンカ)の研究における、三角寛の茶番劇をも思い出させる。

 インド・ラジャスタン地方に残る民族芸能が、世界に散らばったロマとどのような関係性があるのかを、次回から自分なりの視点で紐解いていきたい。

grayline

※1. ロマは欧州各国で独自の呼称を用いられ、その多くは蔑視的な意味を含んでいるとされる(主要国を抜粋。アクセント記号は略)。

・フランス:ジタン Gitan、ツィガーヌ Tzigane、マヌーシュ Manouche
・スペイン:ヒターノ Gitano、カレー Cale
・ドイツ:ツィゴイナー Zigeuner、シンティ Sinti
・イタリア:ツィンガロ Zingaro
・ポルトガル:ツィガーノ Cigano
・ハンガリー:ツィガーニ Cigany

 多くの書籍やインターネットの情報では、「ロマ(およびジプシー)」と「各国での呼称」とを同一視しているものを多く見受けるが、厳密には相違があるようである。以下にフランスとスペインの例を挙げておく。
 歴史家アンガス・フレーザー Angus Fraser によれば、ジタンは南仏に住む人々を指し、北・西フランスに住む人々はマニューシュに相当するとされている。ジタンとマニューシュは十五世紀にフランスに流入したとされる人々を祖先に持ち、これに対してロマは、カルデラーシュ Kalderash と呼ばれる集団をはじめ、東欧から数多く流入している人々を指す。
 スペインにおいては、(1)十五世紀以来存在するスペイン系ロマ(ヒターノ、カレー)(2)十九世紀後半以降に東欧から流入した人々(ウンガロス hungaros と呼ばれ、これはハンガリー人に相当する)(3)ポルトガルから流入しているポルトガル系ロマ(4)最近十五年くらいに流入している東欧系ロマ、と大きく四つに分類される。またマスコミや学術界においては「ヒターノ」から「ロマ」の呼び買えは一般的ではなく、さらに彼らは一般に「ヒターノ」という呼称を拒絶せず、むしろポジティブに捉えている。ヒターノはスペイン人のアイデンティティを持ち、東欧系ロマをルーマニア人と見なし、麻薬や人身売買をする彼らを恥として差別化している一方、東欧系ロマは自らを本物のロマとし、ヒターノを軽い存在と見なしている。このように一国内においてすら、「本家」と「元祖」のようなジプシー同士の差別意識も深く根強いものになっている。


※2. 十六世紀、大航海時代のポルトガルはロマをアフリカの植民地へ、後へブラジル、さらにインドへ強制返還しようとした。その百年後にはフランスもロマをマルティニクとルイジアナへ送っているし、イングランドとスコットランドも西インド諸島へ船で送りつけている。歴史家アンガス・フレーザーが注目するのは、この奇抜な排除の方法が歓迎されたばかりか、奴隷として労働力を提供することにもなって有益だとされた点である(ロマが船荷として送られたのはアフリカ人奴隷より早い)。なぜならロマの輸送は帝国内のことであり、厳密にいうと国外への強制移送ではなかったからである。

※3. 多くの原始社会において、その制度の「外」へとはじき出された人々の芸能が発達したのは、なにもロマだけに限ったことではない。西アフリカの語り部であり、吟遊詩人として民族伝承を楽器の弾き語りで演じるグリオ griot は、極めてラジャスタン地方の芸人に近いし、フランスのジョングルール Jongleur、スペインのロマンセーロ Romancero、ギリシャのレンベーティカ Rebetika などもその原点は明らかに流譚に追いやられた放浪者の歌であった。アジアでもスリランカのバイーラ Baila、インドネシアのクロンチョン Kroncong 等々、王族と庶民(農民)といった古代社会のシステムの外側で専門的音楽芸能集団として生きた人は、世界各地に存在したのである(リンク先はすべてWikipedia。英単語のリンク先は英語/スペイン語版)。

※4. 各国によってロマニ語の使用状況は大きく異なる。ピーター・バッカー Peter Bakker の統計によれば、アルバニア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、デンマーク、ギリシャ、マケドニア、モルドヴァ、オランダ、ノルウェー、ポーランド、ルーマニア、セルビア・モンテネグロ、スロヴェニア、スウェーデン、ウクライナなどでは約九〇%以上のロマがロマニ語を話していると想定され、フランス、ドイツ、トルコなどでは約七〇%、チェコ共和国、フィンランド、ハンガリーなどではその比率は約五〇%、そして、イギリスやスペインにいたっては、その比率はそれぞれわずか〇.五%と〇.〇一%まで低下する。
 実際には六十種類以上の方言があるとされるが、異なる方言間での意志疎通は可能であるという。ヤロン・マトラス Yaron Matras によれば、ロマニ語は大きく七つのグループに分けられ、シンティとマヌーシュの言語は北部グループとして同じ枠に入り、スペインのヒターノが話すカロ語、もしくはロマノ・カロ語はイベリアグループに入る。さらにほかの学者によれば、カロ語は、ロマ起源の単語がその土地の言語に取り入れられて発展したパラ・ロマニ語と呼ばれるグループして分類されており、ロマニ語の原形はほとんどとどめていない。


















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