
1967年、ジョン・レノンはTM(Transcendental Meditation、超越瞑想)に参加するため、インドのリシュケシュのヨガ聖者マハリシ・マヘシ・ヨギの元を訪れた。マハリシが、女優のミア・ファローら同行した女性信徒に不貞を働きかけようとしたところから、ジョンが激怒して「セクシー・セディ」を発表したのは有名な逸話である。俗人性が露呈されたマハリシをあえて「セクシー」とするジョンのアイロニーは秀逸だし(なお「セディ」は「サドゥ」から作ったジョンの造語)、淡々とした楽曲のクールさがかえって彼の怒りの奥深さを物語っているようだ。
そんなジョンとは対照的に、当時ビートルズと一緒に同行したビーチ・ボーイズのマイク・ラブは、マハリシにより深く傾倒していき、彼を讃える「アナ・リー、ザ・ヒーラー」を発表、その後はマハリシ国際大学の学生になるほどのめり込んでいった。
マハリシが俗人だったのか否かは分からない。俗人には不貞に見える行為が、聖人には梵我一如思想の実践だったのかもしれないし、ビートルズがマハリシと訣別した理由は、彼の俗人性に失望したからではなく、アシュラム(修行場)において、ジョンや彼の取り巻きたちが麻薬を吸ったために、マハリシが撤去を求めたという当時のアシュラム関係者の証言もある。だが聖なるリシュケシュは現在に至るまで、世界の富豪のパトロンや性的享楽で繁栄してきたこともまた真実なのである。畢竟インドの精神世界も、この不条理な現代世界の縮図なのである。そのカオスの中、いかようにして聖なる領域にたどり着くかは、もはやストイックな自己との格闘においてのみ他ならない。
さて時は2008年1月。日本で初めてのサドゥの写真集
『サドゥ〜小さなシヴァたち/柴田徹之(彩図社)』が発刊になった。柴田さんは、南アジアを中心とした写真を撮っている写真家であり(彼のホームページ「chaichai」は、本ブログ右段のリンク参照)、またライフワークの一環として17年間サドゥを追いかけてきた。サドゥとは、解脱の道を歩むべく、世俗を捨て聖地を巡礼しながら一生を終えるヒンドゥー信者である。観光地で屯(たむろ)する金銭目当てのインスタントなサドゥとは似て異なる、世俗を超越した真摯な彼らの生き様がこの写真集からうかがい知れる。ダルマ(社会的正義、名声)、アルタ(財、金)、カーマ(愛欲、その対象つまり女性)と呼ばれる神への三つの債務を弁済し、モークシャ(解脱)への模索者としての彼らの姿が、この写真集では生き生きと表現されている。
誇り高い彼らは真のセクシー・セディである。無味無臭な存在感。頼りなさげなのに力強くもあり、性すらも超越した存在。ニヴィリッティ・マールガ(※1)を基調としながらも、プラヴリッティ・マールガ(※2)の要素をも多分に取り入れる。つまり、現世を完全に否定してしまうわけではなく、輪廻の世界よりの離脱(解脱)あるいは精神的至福をも得ようというタントリズムこそが、彼らセクシー・セディたちの世界観の入り口なのである。さらに高次の境地では、彼らは人里を離れニヴィリッティ・マールガをより重視する段階に入る。
解脱への道のりは辛く厳しく、志し半ばにして途中で諦めてしまう修行者も多いときく。実際に解脱まで辿り着くサドゥは、おそらくかなり少ないと思われる。そして俗世に舞い戻った多くの落ちこぼれサドゥは、奇術や占術を見せ物にしたり、観光サドゥとして生きる道を見出す。こんな落ちこぼれサドゥに対しても市井の人々は聖なる対象と見なし、(多少は疎ましく思いながらも)食事や金銭などの施しを与えるといったことからも、インドの懐の深さをうかがい知る。
タントリズムは、その起源をヴェーダ期あるいはそれ以前にもちながらも、インド思想史の中ではもっとも遅く有力になった思想・宗教形態である。ヒンドゥー教の経典の歴史は通常、ヴェーダ、ウパニシャッド、プラーナ(神々の系譜)、そしてタントラという順に考えられている。インド仏教の経典は、プラーナとタントラの時代に並行して編纂され、仏教においても厖大な数のタントラ経典が著された。
タントリズムは、その古い起源から続くものであれ、後の歴史の中での土着的要素の影響のせいであれ、非アーリア的要素をもっているが、かといって、タントリズムが常に正統派バラモンの勢力と反目したというわけではない。バラモン階級に属するタントリストたちが、非タントラ系の哲学の体系に劣らぬほどの精緻な体系を作りあげ、その体系の見事さを正統派バラモンたちが認めたという例もある(もっとも、多くのバラモンたちによるタントリズム一般に対する蔑視は、今日もなお続いている)。
ヒンドゥー・タントリズムは9世紀ごろから活発になり、12世紀〜13世紀に全インドに勢力を広げた。一般的には(一)シヴァ神をとくに崇拝するシヴァ派、(二)ヴィシュヌ神をとくに崇拝するヴィシュヌ派、(三)ドゥルガーやカーリーなどの女神を崇拝するシャークタ派、の三つに分類され、仏教タントリズム同様、現世拒否の態度が緩和される中で、儀式の機能を一層重視し、シンボルをもちい、その意味するものを直証しようとする。ヴェーダの宗教では忌避されていた要素、たとえば、血、骨、皮といったものが、儀礼においてよりいっそう積極的にもちいられ、重要な象徴意味を与えられた。とくにシャークタ派では、血の儀礼が重視され、動物供養が盛んに行われ、その伝統は今日でも残っている。
このようにヒンドゥー・タントリズムは(仏教タントリズムも)、それまでは忌避されていた「不浄なるもの」をシンボルとして積極的にもちいることによって、自らの儀礼空間の中に過度の緊張をわざと作り上げる。その緊張は「浄」と「不浄」の区別あるいは「聖なるもの」と「俗なるもの」との区別を生み出すのに役立つのである。
サドゥはシャイヴァ・シッダーンタ(※3)をその哲学体系とするシヴァ派に属するが、前述した柴田さんの写真集『サドゥ〜小さなシヴァたち』では、アゴーリと呼ばれる若いシヴァに固執する人食いサドゥ集団や、旅人をカーリー神の生け贄とする黒魔術集団サギー教など、異端な集団にも触れられており、その過激な極右思想にもタントリズムの底知れぬ奥深さを垣間見たのであった。
タントリズムはその神秘主義思想から、知的なヨーロッパ人の興味の対象とされてきた。ヨーロッパ人の神秘主義に対する関心の大きさは、近代でも鈴木大拙が「禅」を神秘主義に変容(という表現が適切かどうかは分からないが)したことにより、一躍ヨーロッパで「ZEN」ブームが巻き起こったことからもうかがい知ることが出来よう。
タントリズムは、ローマカトリックにも通じる儀式的性格という共通項を持ちながらも、マンダラやタントラ・ヨーガなどタントリズム独自の高度に組織だった瞑想体系といった側面が、知的なヨーロッパ人には斬新なものとして映ったのである。だが、南方熊楠との交流でも知られる真言僧の土宜法竜は、そんなヨーロッパ人のようなエキセントリックな見方でなく、正しい密教としてのタントリズムのあり方を真剣に悩み、チベット仏教やスェーデンボルグの思想にまで傾倒していくこととなった。当時の土宜のチベット仏教に対する正確な理解は、ある意味では河口慧海のそれにもまさっていたといわれている。
(以降の文章は、土宜の追い求めた仏教タントリズム(真言密教)の視点から展開)
土宜法竜は正しい密教としてのあり方として、密教のもつ「秘密性」の本質を理解することを切実にもとめていた。大日如来が「秘密仏」と呼ばれるのはなぜか。真言密教では、大日如来は宇宙の本体そのものと同一であることが説かれている。と、すれば、宇宙の本体そのものの「秘密性」とはなにか。真言密教の考える「秘密性」が、ヨーロッパの神秘主義思想の中で説明しきれるものとは、彼には思えなかった。しかし、もしそうであるならば、真言密教は、その「秘密性」の根源をはっきりと説明できなければならない。
ロンドンの大英博物館で出会って以来の友人、南方熊楠はこの土宜の疑問に、後に南方曼陀羅を形成することとなる(一)不思議の体系、(二)マンダラの構造、(三)縁の倫理、の三つの側面のうちから「不思議の体系」を持って書簡で応えた。
南方熊楠は世界行脚を終え、三十四歳(明治三十三年)で熊野那智に隠棲し始めたころに、この「秘密」の本体を「不思議」として言いあてようとしている。彼はそこで、ふたつの種類の不思議を見分けようとしている。すなわち(一)人智によって知ることのできる物不思議(これは物質の領域にみいだされる不思議である)、心不思議(アーラヤ識の上にかたちづくられる真理や思考の働きのこと)、事不思議(精神現象が、物質の領域とまじわるところにつくりだされてくる出来事の全体をさしている)、理不思議(これは言語表現が宇宙の不思議をとらえることのできる、その不思議をさしている)と、(二)それをはるかにこえた「大日如来の大不思議」である。
人間はこの宇宙の中に、それにつつまれるようにして生きている。ただ生きているのではなく、彼が「実存」しているとき、人間の知性の前には、さまざまな「不思議」があわらになってくる。世界の「秘密」が開かれてくるのだ。だから、人間が実存しているときには、彼は世界の「秘密=不思議」を開きながら、さらに奥にある「秘密」の中に入り込むようにして生きていることになる。この世界に顕在化しているこれらの「不思議」については、これを人間の知性の力によって追跡し、究めていくことが可能なようにできている。それというのも、人間の認識作用自体が、アーラヤ識を土台にして形成されたもので、アーラヤ識の存在構造は、物質現象の存在構造(それは時間と三次元空間の中へ顕在化したものである)とパラレルな関係にあるので、人間が人知を究めて、アーラヤ識の本体の認識にたどりつくことができたときには(そんなことが、いつできるかはわからないが)、物不思議をはじめとするさまざまな世間宇宙の不思議は、無数の理の集積体として認識される可能性をもっているのだ。しかも、その無数の理の集積体というものは、一種の全体性をもっていて、どの部分、その入口から入っていっても、ついにはその理の集積が織りなす、巨大なネットワークの中に踏み込んでいけるようになっている。
だが、宇宙という全体運動そのものである「大日如来の大不思議」については、そうはいかない。それはアーラヤ識の外部にあるので、知性の働きがそれをこえることができないかぎり、そこに辿りつくことはできないのだ。それは宇宙の「秘密」が底なしであることをしめしている。人間がこの底なしの「秘密」にむけて、自分の実存を方向づけることができたとき、彼はもっとも深々とした可能性をもって、この世界を生きることができるだろう。その「秘密」は、ちっぽけな粘菌のような生き物にさえ、はっきりとしめされている。森羅万象あらゆるものが、底なしの「秘密」に対する感受性を保ちつづけるかぎり、人間は実存する。その意味でも、人間はダイナミックな存在なのだ。彼は「秘密」の中にあって、「秘密」を開きつつ生きるダイナミックなプロセスそのものなのである。
熊楠が、密教思想をベースにした壮大な表現論、生命論、科学論の構築をより深めていくのが、この熊野那智で隠棲生活を始めたころであった。このころの彼はめったに哲学や宗教の本を読まず、昼は粘菌を探し山中を駆け回り、夜は閑寂な世界の中で思索に集中していた。時としては深夜に幽霊があらわれ(それは熊楠の父母であったり、青年時代に同性愛的感情を持っていた友人だったとされる)、探したいと思っている粘菌の居場所などを教えてもらうことをたびたび経験し、彼は「脳力の高まり」によって、霊的現象をつくりだす人間の知覚構造をこえた高次元実在を確信するようになった。
孤独なこの隠棲時代は、プラヴリッティ・マールガからニヴィリッティ・マールガへの変容でもあった。それはサドゥがより精神的至福へと至る解脱への道に似ている。熊楠もタントリズムのよりセクシーな領域に突入していたのだ。そして多くのセクシー・セディたちがするように、彼も衣類を脱ぎ去り自然と一体となった身で生活をしていたという。底なしの「秘密」に対する感受性を保ちつづけ、宇宙と自己との同一性をあまねく体感したからこそ、大乗仏教の思想と科学の学理を結合させ、後に南方曼陀羅というダイナミックな思想の展開に辿り着いたといっても過言ではない。タントリズムの唱える「実践」の重要性を、彼は身を持って体現させたのである。
那智の隠棲時代の南方熊楠に、ぼくはサドゥを見たのである。
【参考・引用文献】
・はじめてのインド哲学/立川 武蔵(講談社現代新書)
・ヒンドゥー教 インドの聖と俗/森本 達雄(中公新書)
・森のバロック/中沢 新一(せりか書房)


※1. ニヴィリッティ・マールガ:寂滅の道。人間の通常の営みを、否定さるべき「俗なるもの」として規定し、その否定の結果、顕現してくる精神的至福(悟り)を得ようとする態度。家や名声を捨てたヨーガ行者たちの歩むのは、この道であった。
※2. プラヴリッティ・マールガ:促進の道。われわれの心作用、行為、あるいは現世を否定するのではなく、積極的に富や名声を獲得すべく自らの生のあり方を活性化するもの。
※3. シャイヴァ・シッダーンタ:シヴァ聖典派。シヴァ神をたたえるシヴァ聖典(シヴァ・アーガマ)に基づく哲学学派。シャイヴァ・シッダーンタは、パラマ・シヴァ(最高シヴァ)とパラー・シャクティ(すぐれた力)との二大原理を設定し、この男性原理と女性原理との活動によって、宇宙の生成と構造を説明する。シャクティは力(男神の本質としての力)、妃を意味する。シヴァ神にはシャクティ(力)がある。この力は、パラー・シャクティとしてシヴァとともにあったり、世界の原因としてのマーヤーであったり、展開の結果としての非精神的な物質であったりする。つまり、シヴァ神と個我とが存在する場である世界の形成は、シャクティのあらわれであるマーヤー(幻)による。マーヤーが段階を追って展開し、霊魂(プルシャ)に身体、感官、感官の対象などを与えて、世界現象をかたちづくるのである。
2008/01/25
雑記
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