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Raj_007

 ジャイサルメール市街を出発して四十五分ほどでカノイ村に到着した。市街からこの村までは舗装された一本道で、気温さえ高くなければリクシャーでも充分に来られる距離であろう。ひっそりと落ちついた趣の閑静な集落をさらに奥へと突き進み、シンプルな石造りの小さな家屋の前にジープを停めた。ドライバーのアユーブがこの村で一番オススメするマンガニヤールの楽士、クーダバックス Khudabacks の家である。楽士たちと挨拶を交わし、六畳ほどの家屋の中に案内される。みんな陽気で友好的に応対してくれたため緊張も和らいだ。とある社団法人の招致で日本でも演奏したことがあると名刺を見せてもらう。日本公演は彼らにとって楽しい経験だったそうだ。
 砂漠の楽士たちは、ヴァルナに属さないアウトカースト(アチュート、アンタッチャブル)の存在である。インド人の浄不浄の概念は目に見える汚れとはまた違った、カーストから派生する精神的・観念的な側面が強い。大戦後の一九四七年のインド独立時にカースト廃止、四九年にアウトカースト撤廃が制定されたものの、何千年も続いてきた宗教的イデオロギーが、法の力ごときでそう簡単に変えられるわけはなく、現在でもカースト制度はインド社会の重要なシステムとして、地方や村落部を中心に依然その力を持ち続けている。
 このカノイ村でも象徴的な光景を目の当たりにした。平民カーストであるコーディネーターのカマルは絶対に部屋の床に座ろうとはせず、楽士とも目を合わさず距離を置いて窓の枠に腰掛けて外ばかり見つめているし、ドライバーのアユーブも部屋の奥には入りたがらずに入り口近くで待機している。私は楽士たちに会えた喜びで舞い上がっていたので、居心地の悪そうな二人をあまり気にしないようにした。


 楽士たちにインタビューをして、楽器についていくつか情報を得ることが出来た。マンガニヤールの使用楽器については、本ブログの過去記事「私説ロマ:マンガニヤールの使用楽器」をご参照いただきたいが、今回新たに分かったことを以下に追記しておきたい。

● 村で唯一のサーランギ奏者であるサダク・カーンは残念ながら二〇〇六年に死去。彼の弾いていた弓奏楽器サーリンダ Sarinda(サーランギを一回り小さくした楽器)を実際に見せてもらったが、音も酷く外観も古ぼけていて誰にも弾かれていないという印象を受けた(サーランギについては、ランガを話題にした後記事で詳しく述べる予定です)。マンガニヤールが用いる弓奏楽器ではカマイーチャが知られているが、こちらも後継者がだんだんと減り、今では数える程度の老人しか演奏する者がいなくなったという。

● 打楽器カルタール Kartal はシッサム Seasam やロヒダ Rohida (Tecomella undulata) と呼ばれる木を材料としており、演奏技術の取得には最低でも六ヶ月以上の期間を要するとのこと。

● メンバーの打楽器奏者グルジャ・カーン Guljar Khan によると、両面太鼓ドーラク Dholak には山羊の皮を使用しているが、面積の大きな打面にはオスの皮を、もう片側の小さな打面にはメスの皮を使用している。演奏面の皮の裏側にはマサラを塗布するが、彼のマサラは自転車のチューブを焼いたものにマスタード・オイルを混ぜたものを使用しているそうだ。マサラとは本来「混ぜ合わせたもの」を意味する言葉であり、他にも米の糊やタリマンドの樹液、マンガンなどの金属粉を混ぜた黒いペースト状のものだったりと、プレイヤーの音の好みよって配合するものが変わるのがインド的で面白い。


 楽士たちが楽器を代々継承するのは、単に経済的な理由からだけではないように思われる。クーダバックスが弾くハルモニウム Harmonium は曾祖父の代から永く継承されてきたものであり、楽士にとっての楽器とは単に演奏する道具というだけでなく、民族としての血を継承する重要なアイデンティティに他ならない。奏でる音の歴史や重みを深く感じさせられる。前回撮影したディーヌ・カーン Dinu Khan の例を挙げれば、彼の弓奏楽器カマイーチャは七世代、三百年以上に渡って引き継がれていたものだった(過去映像作品:「manganiyar, rajasthan folk - vol.1(YouTube)」をご参照)。ディーヌのカマイーチャは壊れていたため音はアバンギャルドだったが、代々受け継いできた楽器を捨てることは血統を捨てることと同義であるかのように思える。

 このタール砂漠では理想の父親像はまだ生きている。親から子へと受け継がれていくべきものが、今の過剰な情報化社会の日本には果たしてどれだけ残されているのだろうか。平面的な情報で肥大化している脳に、血が貴重な経験として立体的に注がれる余地が果たしてどれだけ残されているのだろうか。クーダバックスが代々受け継いできた古びたハルモニウムを目の前にして、少し考えさせられてしまった。(次回に続く)


(写真:カノイ村のマンガニヤール、クーダバックスのメンバーたち)


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