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The-Heart-of-Hindu16

 “アラティ・シヴ・ジ・キ”Arti Shiv Ji Ki という楽曲は“オーム・ジャイ・シヴ・オームカーラ”Om Jai Shiv Omkara とも呼ばれていて、ヨーガ聖者 スワミ・シヴァナンダ Swami Sivananda が作った美しい宗教歌である。夕方のアラティ(礼拝)の時間になると、繁華街シヴゥ・ムルティ Shiv Murti やハリ・キ・パウリー Hari Ki Pauri で、これでもかという程繰り返し流されていたので、特に覚える気はなくとも知らぬ間に海馬の奥にインプットされてしまった。

 シバ神への礼拝を唄ったこの宗教歌をマノージギリが唄っているのを聴いていると、どこか懐かしく切ない気持ちになった。諸行無常、いや風流という方が適切かもしれない。マノージギリの唄は、オリジナルのアラティ・シヴ・ジ・キの歌詞とは全く違うようだ。彼自身が創ったものなのか、他にそういった楽曲が存在するのかは不明だが、いずれにせよ飾らない純朴な唄声には心底癒された。

 マノージギリの表情を時間軸で感じてもらいたいため、編集もワンショットのままで、さらに別の日に収録したものと二種類のテイクを繋ぎ合わせてみた。最後のマントラも意味は分からないものの、なぜかしら懐かしさを感じてしまったし、ヒンドゥの神々に対する切実な想いがひしひしと伝わってきた。


Sadhu Sings "Arti Shiv Ji Ki", Haridwar India : An extract from "The Heart of Hindu" DVD



The-Heart-of-Hindu15

 冒頭のヴィシュヌ神のマントラを呟くビシュヌ派のサドゥは、パラカシュ・シャネイ Parakash Shanei。ガジェンダルギリ・ババのテントにて撮影。マントラは一マラ(一〇八回)を単位とするので、さすがに延々と公開するわけにはいかず、二種類のマントラの切れ目部分のみを抜き出した。彼は撮影を止めた後も延々とマントラを唱えていたので、かなり本気でやっていたようだ。「Sha」「Shu」などの開拗音の繰り返しは、聞いていて爽やかな気持ちにさせられる。自分で唱えるとさらに心地良くなる。

 ガネーシャ神のマントラ「ガム ガナパタイェー ナマハ」Gam Ganapataye Namaha のシーケンスで、マノージギリは「ガネーシャ神はユッダ(戦争)のパワーだ」と言っているところが興味深い。ガネーシャ神は通常、「障碍を除去して成功に導く神」「商売繁盛をもたらす幸運な神」「智慧を司る学問の神」「文化や芸術を司る技芸の神」等として、インドはもとより世界でもポピュラーな神様なのだが、マノージギリはガネーシャ神を「戦争で戦う万軍の主」や「性的精力の象徴」というインドの古い神話から引用しているようだ。
 マノージギリはガネーシャ神の別名として、ヴィグネーシュワラ Vigneshwara(障碍除去)、カールティック Kirti-c(音楽の神)、ヴィグナハルタ Vignaharta(障碍除去)の三つを挙げているが、参考までに戦力やパワーを持つ別名を以下に列記しておきたい。

【戦争やパワーを感じさせるガネーシャ神の別名】
 ・ビーマ Bheema(巨大)
 ・デヴァンタカナシャカリン Devantakanashakarin(破壊屋)
 ・ドゥルジャ Durja(無敵の神)
 ・ガダダーラ Gadadhara(鎚矛の武器)
 ・マハガナパティ Mahaganapati(全能の神)
 ・ヴィーラガナパティ Veeraganapati(英雄)
 ・ヴィカット Vikat(巨大)
 ・ヴィシュワラージャ Vishwaraja(世界の王)


 さて、いよいよ奇跡のナガサドウ、ガネーシャギリの登場である。もちろんCGで作られたバーチャルな存在ではなく、実際にこの御姿で生きているのである。彼と初めて会ったときには、左半分の顔が長くただれているその奇抜なルックスにしばし呆然としてしまった。そんなサドゥがいることは知人から聞かされていたものの、実際に対面すると、異界に紛れ込んでしまったのではないか、はたまたスターウォーズのロケ中なのかと、現実味が湧かなかった。だがしばらく時を一緒に過ごして気心が知れるようになってからは、この奇抜なルックスもごく自然に受け入れられるようになった。

 身長は一六〇センチくらいだろう。意外と華奢で小柄だったが、足は際立って大きかった。体中、特に臀部に大きな腫瘍があるのが目立つ。寡黙だが性格はとても穏やか。澄み切った瞳がとても印象に残っている。やはり写真に撮られる事が好きではないようで、カメラを向けると直ぐに視線を逸らしたり、その場を離れてしまうことがよくあったが、ヨガのブルックシャ・アーサナ(立木のポーズ)の構えで写真を撮らせてもらった時には、このファミリーの一員として受け入れられたようで嬉しかった(写真は本作品の特典として配布中)。鼻風邪を引いていて終始辛そうだった。ヨガや瞑想で「気」を自在にコントロール出来そうにも思うのだが、聖者でも風邪を引くところにどこか人間臭さを感じた。
 章の最後の映像では、仰向けのパドマ・アーサナ(蓮華坐)を披露してもらった。やっぱり足が大きいのが目立つ。ちなみに密教では、右足を左腿上に乗せ、左足を右腿の上に乗せる組み方を「降魔坐」(ごうまざ)、その反対の組み方を「吉祥坐」(きちじょうざ)と言い、前者が修行中の姿をあらわす坐法、後者が悟りを開いた者の坐法とされている。ガネーシャギリは降魔坐で結跏趺坐している。

 マノージギリによれば、インドでガネーシャギリと同じ顔を持ったサドゥは他にいないと言う。まさに彼は奇跡のサドゥと呼ぶに相応しい。生まれた時から先天的に左半分の顔はただれていたそうだが、成長するにつれてそのただれ具合がますます下に長く伸びて今の状態になったとのこと。医学に詳しい訳ではないが、体中にも腫瘍が多くみられることから、ハンセン病もしくはそれに関連した病なのではないかと想像される。ちなみにインドは世界で最もハンセン病の新規患者数が多い国である(2007年データ)。
 以前にアメリカのテレビ局が彼の取材に来たことがあるそうだ。そして私がリシケシュに行っている間にも、日本のテレビクルーが取材に訪れたと、後でマノージギリが上機嫌だったが、ガネーシャギリは不在のため撮影には参加しなかったそうだ(カメラ嫌いが理由なのかもしれない)。この模様は後日テレビ東京の特番で放映されて、私もたまたま観ていた。引き取っている孤児を乗せてマノージギリがリンガ芸を得意気に披露していた映像が、可笑しくもあり懐かしくもあった。

 サドゥの生い立ちを尋ねることは禁句という暗黙の了解があるようなので、ガネーシャギリの生い立ちについても不明だが、おそらく不可触民出身だと思われる。以前の記事「チャピター13:ミーナルの沐浴」でも話題にした、オースラリア人プロダイバーのプレーム氏にガネーシャギリの映像を見せたところ、「二十年程前、プネーを旅した時に同じような顔をしたアンタッチャブル(不可触民)を見た事がある。せむしの男性のフルートに合わせて、ドーラクでリズムを叩いていた女性だ。皮膚のただれ具合はガネーシャギリほどではなかったけどね」と、偶然にしては出来すぎたような話を聞かされた。ひょっとしたら、彼女の息子がガネーシャギリだということもあり得るのかもしれない。しかもプネーは、ガネーシャ信仰が特に篤いマハーラーシュトラ州にある。
 奇異な外見を持った人を崇め奉る風習は、古い時代の日本でもあったようだが、インドでは今でもそれが大切に保存されている。サドゥになるまでのガネーシャギリの人生が、偏見や差別にさらされた壮絶なものであっただろうことは想像に難くない。だが彼はそれによって人生の大きな難題をクリアしてしまったのである。ガネーシャギリは神にもっとも近い存在となるべく、選ばれた希有な聖者なのだ。

 「ガネーシャ神はパワーだ!」というマノージギリの言葉から、BGMは力強い楽曲をシタールをメインで作ってみた。ポップな音楽表現をしばらく封印していたのだが、今回は映像がそれを必要としているように思えたので柔軟に対応した。自分で作曲したり演奏することにもある種のこだわりを持っていたが、最近はそれに縛られないようにしている。今の自分には筋を通すことよりも、柔軟さを優先させたい。映像と対峙した時に、自分が一番良いと思える方法を採れば良いのだ。

The-Heart-of-Hindu14

 マノージギリはお洒落なナガババだ。彼らは物欲も滅尽しており所有物はとても少ないため、身につける小物が非常に際立って見える。ルドラクシャ(菩提樹の実)のネックレスを愛用の帽子にデコレートするために、針縫い作業を始めたマノージギリを撮影。こういう生活感のあるサドゥの姿は録っていて楽しい。

 座っているマノージギリを上から俯瞰で録っていると、彼の頭頂部が綺麗に禿げ上がっているのに気づかされた。頭頂部のサハスラーラ・チャクラまでの気の通りを良くするために剃っているのだろうか。日本のとあるお坊さんは、髪の毛が生えてこないように卵白を頭に塗って、手ぬぐいで熱が出るほどこすって毛穴を焼いて処理しているそうだが、頭頂は処理できても左右側部の毛穴からはどうしても髪が生えてきてしまうらしい。
 ジャータ Jata(ドレッドヘア)にしているサドゥも多く、インド人は直毛に近いため灰や泥をまぶして作り上げるそうだ。ジャマイカのラスタファリズムにも影響を与えているという説もある。ラスタファリズムで用いられるガンジャはインドから持ち込まれたらしく、今でもお互いに切っても切れない関係が続いているようだ。実際サドゥのテントでは、マントラ以外にもボブ・マーリーのCDがよく流されていて、ボブはヒンドゥの神々と同じベクトル上に存在しているかのような、カリスマ的な扱いだった。
 前述したようにマノージギリの頭頂部は見事に禿げ上がっているが(実はチェーラの時代から)、左右側部をジャータにしている。釈迦とラスタファリズムの折衷なのが面白い。

 背景の唄は、サントシュ・シンによる “ハヌマン神と山羊の唄”。サントシュ自身が曲名を知らなかったため、彼の説明から便宜上このタイトルにした。この録音が撮影初日の記念すべき一番最初の音楽セッションとなった。サントシュはハリ・キ・パウリー近くの対岸の放浪民テントが密集しているエリアで、公衆トイレの料金係をしている。彼の声も力強くてなかなか素敵だ。チャピター01:灰を塗るマノージギリ でも述べたが、マノージギリはハヌマン神にゆかりが深いことから、この唄を選んだというわけ。なんとなく物語風。唄の意味が分かるとなお良かったが。

 最後は、帽子デコレート作業が完了した後のマノージギリの音声付きのシーケンス。「カッカッ」という独特な笑い声は、猿の鳴き声を模倣している。眼鏡を装着する際に「お前の眼鏡姿と同じだ」とツッコミ。マノージギリが眼鏡をかけているシーンは本編の他のシーケンスにも何度か出てくるが、(眼鏡姿が多い)日本人向けの映像だからという、彼ならではのジョークらしい。


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● オマケ映像:マノージギリお気に入りのミネラルウォーター

 DVDの特典映像に入れられなかったオマケ映像を本ブログで公開。
 マノージギリの大好きなミネラルウォーターは、コカ・コーラ社が製造販売している「KINLEY」。テント内にも箱買いで常時ストックがあったほど。現地で入手できるミネラルウォーターを片っ端から試してみたところ、たしかにこれは試したものの中では美味だと感じた。
 だがインドのコカ・コーラやその他の飲料メーカーは、数年前に農薬や殺虫剤購入で大騒ぎになったことが記憶に新しく、国内製ミネラルウォーターの品質に関しては少しまだ疑心暗鬼な面も残る。さらにインド各地のコカ・コーラ社の工場は地下水をどんどん枯渇させており、周辺住民の井戸が干上がって生活に支障が出ているという深刻な水不足問題も浮き彫りになっている。裕福層や観光客のためのミネラルウォーターが、ボトル入り飲料など買う余裕のない住民から生活水を奪っている現状を考えると複雑な気持ちにもなる。

The Mineral Water "KINLEY" Sadhu Likes : An outtake from "The Heart of Hindu" DVD (0'23")


The-Heart-of-Hindu13

 ミーナルは、聖者シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール Sri Sri Ravi Shankar が主催するバンガロールの The Art of Living で瞑想の講師をしている沈魚落雁な女性である。リシケシュのラムジュラから五キロほど南下したスワミ・スワッタントラナンド・アシュラム Swami Swatantranand Ashram にてラヴィ・シャンカールの講演が開催されるため、わざわざバンガロールの事務局からやってきたそうだ。

 リシケシュのガンガーはハリドワールのそれよりも水温が低く、流れも急である。ラクシュマンジュラから少し上流側では、ゴムボートによるラフティングが盛んに行われているが、現地のインド人によると、この界隈では毎日と言っていいほど、水遊び中に流されて溺死するという事故が多発しているそうだ。実際、滞在したゲストハウスで隣室だったオースラリア人のプロダイバーのプレーム氏からも、「河で泳いでいたら三人の大男が流されてきた。二人は助けられたけど、一人はダメだったよ・・・」という話を聞かされたこともあった。

 ミーナルの撮影はスワッタントラナンド・アシュラム近くの岸辺で行ったのだが、ここも結構な水流で、しかも刺す程の強烈な冷たさ。こんな状況にも関わらず子どもたちは平気で水遊びしているし、ミーナルも十分以上足を水に浸している。私も試してみたけど三分と持たなかった。さらに彼女は流されないよう一人の女性にサポートしてもらいながら、頭まで水に潜りはじめた。下流域のハリドワールですら河の流れは結構速く大変そうだったが、ここでの沐浴はさらに過酷さが増している。ハリドワールは格が高い聖地とされているが、精神的な浄化力はさらにリシケシュ以北の上流が強そうだと感じさせられた。
 ミーナルの濡れた髪が太陽の光に反射して、艶やかな色気を醸し出している。彼女と水の女神ガンガーが重なった瞬間。あぁインド女性ってやっぱり美しいなぁとしみじみ感じさせられた。沐浴後、岸に上がって歯をカタカタと鳴らして震えているミーナルの手を握らせてもらうと、びっくりするほど冷たく、体温が全く感じられない。沐浴は荒行なのだと思わずにはいられなかった。

 後半に流れる女性の美しいソロボーカルは、サンプリング音源を使用して制作。残念ながらミーナルではない。別サンプルからブレス部だけを抽出し、小節の間に追加してリアル感を出した。ガンガーの水音は、同じ場所で 96kHz/24bit で別録りした音源を使用。あまり主張し過ぎないようにイコライジング処理で低音域と高音域をカットしたが、ヘッドフォンで聴くとまだ高ヘルツ側のノイズが少し残っているかもしれない。心地よい水音と雑音とは紙一重なのである。

The-Heart-of-Hindu12

 ラーマ王子の妻シータ姫を意味するシータラムは、サドゥとは別のグループに属するビシュヌ系の放浪民である。彼はリシケシュのマハリシ・マヘシュ・ヨギ・アシュラムの近くの川岸でテント暮らしをしており、マハリシのアシュラムでのガイドの仕事を生業としている。ちなみに「シータラーマ」の方が一般的な言い方のようだが、現地で実際に多く耳にした「シータラム」表記を採らせて頂くことにした。Ganesha → Ganesh のように、ヒンディ語ではサンスクリット語の末尾の母音が省略されることがある。

 マハリシ・アシュラムでの撮影を済ませての帰り道、河岸にぽつりと建っていた黒ビニール製のテントの前にサドゥらしき老人が佇んでいるのをふと見かけたので、興味本位で近づいてみた。小屋の中に導かれ、埃っぽい絨毯の上に腰を下ろす。名前を尋ねると「オレの名はグルだ!」と意味不明の返事。ちょっとヤバい人に当たったかなぁと不安になる。さらにいきなり鎌を眼の前で振りかざし「こうやって客を脅す奴がいるけど、オレは心配ないよ」と・・・。あぁやっぱりちょっとマズかったかなぁと軽く後悔。
 巻貝を素っ頓狂な音で鳴らし、「歯がほとんど抜けてしまったから、変な音しか出ないんだよ・・・」と照れ笑いをする。屈託のない笑顔を見たら、だんだんとこの老人に興味が湧き始め、礼拝や数珠を使ったジャパ・ヨガの光景、チャイを作る光景など、色々と撮影させてもらうことにした。間近で聞こえるガンガーの水音も心地よく響いて、平和なひとときだ。

 本作品の編集では、彼を寡黙な印象に仕立ててみたのだが、実際はかなりの饒舌家。寂しかったのか、一人で勝手に喋りまくっていた。そのうち「この前来た観光客は、オレがこんなボロ家に住んでいるってんで、五百ルピーとか千ルピーとか気前よくバクシーシしてくれたんだよなぁ」と、明らかに勝手に高額のバクシーシを期待し始めて上機嫌になっている始末。まいったなぁ、こりゃ後で揉めそうだなぁと不安が過るが、構わずに平静を装い(まぁ喧嘩になっても負けることはないだろうし)、気持ち程度のバクシーシを残して帰ろうとした時、老人が「千ルピー置いてけ!」と案の上烈火の如く怒り出した。予想通りの展開(苦笑)。
 「失望したよ。あんた偽物聖者なのか?」「他の聖者はもっと紳士だったぜ」と、こちらも煽るように応戦。結局すったもんだを繰り返して、こちらが最初に差し出した金すら受け取らないほど相手が意固地になってきたので、後味の悪いままテントを後にするしかなかった。

 その直後、近くの広場で暮らしている放浪民たちと撮影セッションを楽しんでいたら、さきほど揉めたシータラムがツカツカとやって来て(やっぱり寂しいのか?)、「く~ぅく~ぅぺう」「あふぅ~」と意味不明のことばを言い始めた。おそらく日本語で「くるくるパァ~」「アホー」と言いたかったのだろう。その子供じみた所作に思わず吹き出しそうになるものの、必死で堪え、怒った振りをして大声で一言「チェロ!」(失せろ)と一喝。老人は何やらモゴモゴと捨て台詞を吐きながら、その場を立ち去っていった。
 なんだかよく分からないシータラムのテント滞在となってしまったが、でもこの老人はどこか憎めない。彼のこころは子どものように純粋無垢だったのだ。


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