
明日から約一ヶ月、再びインド・ラジャスタンの旅に出かけます。
インドの「ラブ&ピース」、いっぱい撮って(録って)きます。
2008/03/06
旅:インド ラジャスタン 2007&08
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(画像: トニー・ガトリフ監督の「ベンゴ」より。ヘレスのカンテを代表するカンタオーラのラ・パケーラ・デ・ヘレスと、ギタリスタのパリージャ・デ・ヘレスが織りなすシギリージャスは重厚感に溢れ、聴き手の内面の闇の部分を深くえぐり出す。惜しくもラ・パケーラは2004年に血栓症のため他界)
さて第二回にして最終回の超私見フラメンコ論。今回はカンテ編です。
カンテ(歌)はフラメンコの真骨頂です。インドを出発して十五世紀にはアンダルシアに辿り着いたジプシー(スペインではヒターノと呼ばれる)たちは、定住化し始めた十八世紀にはカンテ・ヒターノを確立しました(詳しい内容は本ブログの『
私説ロマ:カルベリアとインド古典舞踊、そしてフラメンコ(2)の脚注5を参照ください』)。カンテ・ヒターノは迫害に対する怒りや叶わぬ恋など人生の不条理をテーマにしたもので、カンテの歌詞にこそフラメンコの本質を見ることができます。トケ(演奏)もバイレ(踊り)もパルマス(手拍子)も、カンテを彩るだけの道具に過ぎないのです。カンテと魂があれば、それだけで本物のフラメンコが表現できてしまいます。これって凄いことではないでしょうか。トニー・ガトリフ監督の「ラッチョ・ドローム」のエンディングでは、まさにインド的な風貌のヒターナのカンテオーラ、ラ・カイータが人生の不条理を独りで切なく力強く歌い上げるといった、フラメンコの本質がよく表現されています。
フラメンコの東洋性はインドからの長い漂泊の旅で培われたものであり、日本人がフラメンコを深く愛する根底には、遠く離れたスペインのアンダルシア地方に自分の血を感じるというロマンがあるからかもしれません。本ブログの『
私説ロマ:カルベリアとインド古典舞踊、そしてフラメンコ(1)』でも少し触れていますが、フラメンコは、その苦しそうなうたい方、激しいリズムとダイナミクス(強弱法)から、しばしば日本の三味線音楽の「新内節」とも比較されます。フラメンコでは、心変わりした女をなじる男心や、つかの間の愛におびえる傷つきやすい恋心をうたっており、新内では、道ならぬ恋ゆえの死出の旅や、愛のための自己犠牲を語っている。どちらも中心のテーマは「見果てぬ夢」であり、「満たされぬ愛」なのです。
日本の演歌もフラメンコ的でもありますが、湿気具合が対照的、すなわち演歌は湿度指数が高くフラメンコは低いように思います。また双方とも深く叙情的ではありますが、演歌ではさらに叙景的な側面が混じり合って一つの妖艶な世界を作り上げています。こんなことからも演歌に比べると新内節の方によりフラメンコ的なものを感じます。三味線の音色には湿気を感じないからかもしれません。フラメンコの湿度指数の低さは、アンダルシアという乾いた土地で生まれたという背景が大きな影響としてあるようにも思います。
面白いことに、トニー・ガトリフ監督の「ベンゴ」では日本の歌謡をフラメンコ的に表現するシーンがあります。前半の酒場のシーンで、マリア・ラ・コネーハ演じる娼婦が、黒沢明とロス・プリモスの「ラブ・ユー東京」を日本語で唄っていましたが、シラブルの使い方やリズム感が日本の歌謡とは違って、フラメンコ的な歌謡に変わっていることに興味を覚えます。またこの映画のワンシーンとエンディングで使われたレメディオス・シルバ・ピサの「NACI EN ALAMO(私はアラモで生まれた)」というスローなタンゴは、普段はあまり感じないような演歌に通じる湿度指数の高さも感じられ、カンテ・フラメンコの違った側面も伺い知ることが出来ます。
もし日本人としてカンテ・フラメンコを表現するのなら、母国語で表現することは重要なのではないかと思います。カンテに説得力がなければ、秀逸なギタープレイや派手な踊りといったフラメンコのほんの上っ面の部分しか日本人には伝わらないかもしれません。雰囲気で聴けたり表現出来てしまう洋楽ポップ・ミュージックとは違い、音楽そのものの内面を理解しようという視点がないと、フラメンコは本当の意味で理解されるのはなかなか難しいように思うのです。それには流行とはまた違った普遍的な言葉が必要なのです。『極説 三島由紀夫 切腹とフラメンコ(夏目書房)』で著者の板坂 剛氏は、日本文化とフラメンコを繋ぐ面白い試みをしています。以下に文章を引用します。
『私は数年前にスペインの若いフラメンコの歌手に、(藤原)定家の句を訳して教えたことがある。彼はたちどころにその訳詞をシギリージャという暗い特異なリズム構成の曲にして歌ってみせてくれた。日本的な無常観にあふれた詩が、フラメンコの歌手のしわがれた声によく似合っていた。
何故似合うのか。もちろん定家の句だけではない。芭蕉の句も正岡子規の句も(こちらが似合いそうなのをあらかじめ選んで教えたせいもあるが)、どれを歌わせても似合った。(中略)
フラメンコには東洋的な美意識や音楽性を感じさせる部分がある、とよく言われるが、それはジプシー(ロマニ族)の民族的成立の起源がインドにあり、フラメンコの原型になるイメージもインドにあるという点からくる当然の帰結である。また、短絡的であると批判されるのを承知で書くのだが、「平家物語」から「方丈記」、そして「奥の細道」へと続く日本文学の<無常観>路線の根底に流れる仏教の影響力を考えると、その<無常観>も日本的というよりはインド的といった方がいいのかもしれないが。』 そして板坂氏は日本の歴史の中でフラメンコに近いものとして「平家物語」を挙げています。以下さらに引用。
『日本の歴史の中で、フラメンコに最も近いものは何か?と訊かれた時、私はまず迷わずに「平家物語」と琵琶法師を例としてあげることにしている。社会からつまはじきにされた人たちが、秩序の外側から人間の根源にある<摂理>の空しさを語ることになる。この図式が「平家物語」と琵琶法師のとりあわせほど鮮やかに、しかも鋭利な感性を持って成就している例は他にはない。琵琶という楽器がインドから変化を重ねながら伝わってきたものであることも、同じようにインドからスペインにもたらされたギターと同様の役割を果たしている点も興味深い。
「源氏物語」と「平家物語」の決定的な差違は、前者が支配階級の娯楽としての文学という限定された読者を対象に書かれたものであるのに対し、後者が大衆的エンターテインメントとして、極端に言えば全国民を相手にすることを前提に創られた点だろう。そして「平家物語」といえばすぐに思い浮かぶのが、あの盲目の琵琶法師の弾き語りの姿である。当時の芸能は多くの無名の大道芸人に演じられることで存続していたが、いうまでもなく彼らは賤民である。琵琶法師ももちろんそこに含まれていたが、「平家物語」の大ヒットのおかげで、卑しい身分であるにもかかわらず、貴族の前で芸を披露するまでの地位を得ることができたといわれている。(中略)「平家物語」は芸能者=賤民と聴衆の長期間にわたる伝承の中でしだいに完成されていった。』 藤原定家のシギリージャス、平家物語と琵琶法師とフラメンコを繋げる見解に大きな説得力を感じました。これはフラメンコの本質的な側面をえぐったもので、日本国内におけるカンテ表現に必要な精神ではないかと思うのです。自国の古典に目をむけるという試みは、たとえばカマロンが1979年発表のアルバム「La leyenda del tiempo(時の伝説)」の中で、フェデリコ・ガルシア・ロルカの詩の引用を5曲にしています。同じように、日本でも古典回帰によりフラメンコに通じる精神を模索してみるのも大切なことのように思います。
板坂氏は定家の句をスペイン語に翻訳してスペイン人に教えたとしていますが、はたして彼らが叙情的なものと叙景的なものの微妙な関係によって生まれる美しさという、日本の古典の持つデリケートな感覚まで本当に理解出来ていたかには疑問が残ります。逆説的に言うと「もののあはれ」こそ、日本人が古来から持っている美しい感性であり、それをフラメンコに取り入れることは日本人のフラメンコ表現として説得力がより大きなものになるように思うのです。
ここで新古今和歌集の藤原定家の句から、シギリージャスのカンテに合うものを独断と偏見で選んでみました。
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梅の花にほひをうつす袖のうへに 軒漏る月のかげぞあらそふ(四十四番)
(解説:本歌の伊勢物語の世界をイメージとしている。梅の花のにほひの香る恋の世界と、そして、離別の悲しみの涙に光る月光の世界とが 艶なるうちに展開するのである)
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霜まよふ空にしをれし雁がねの かへるつばさに春雨ぞ降る(六十三番)
(解説:帰雁の悲しみの心を形象化したものであり、いかにも定家らしい言葉遣いをしている。帰雁の弱弱しいつばさに春雨の濡れそぼつシーンを加え、さらに一層悲しさが募る)
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待つ人のふもとの道は絶えぬらむ 軒端の杉に雪おもるなり(六百七十二番)
(解説:家の軒端の杉に雪が積もっている様を眼前にして思いをはせている歌である。待ち人がやってこない寂しさを内に秘めている。その寂しさが余情として存在している。眼前の風景の重苦しさとつながっているのである)
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玉ゆらの露もなみだもとどまらず 亡き人恋うるやどの秋風(七百八十八番)
(解説:母とともに暮らした日々を思い出し、しみじみと歌ったものである。人の世の悲しみ、無常の悲しみに思いは行き着く。その時、秋風がフット吹きぬける。「秋風」という体言止がこの歌の寂しさを定着させているのであろう)
スペイン語と日本語の文法の違い、特に動詞の位置の違いから、定家の句を実際にカンテ・フラメンコに昇華するのは、そんなに簡単なことではないと思います(たとえば句を倒置するとニュアンスが変わってしまう)が、現代詩にリライトするなどして試行錯誤する価値はあると思います。また新古今和歌集以外にも、近代現代の詩にも目を向けて、例えば松尾芭蕉、石川啄木、与謝野晶子、尾崎放哉、中原中也の作品とフラメンコの相性はどうだろうか、石川啄木はシギリージャス的だけど尾崎放哉はソレア的ではないか、などと想像するのも面白いと思います。カンテ・フラメンコは日本人の持つデリケートな文学的な感性により、新しい『ジャパニーズ・カンテ・フラメンコ』として表現する余地が残されているように思うのです。【完】
2008/02/14
フラメンコ
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(画像: 練習頻度が多い教則DVD『
La guitarra flamenca de Tomatito』。このトマティートのブレリアのファルセータ(彼やカマロンのアルバムから抜粋)やソレア・ポル・ブレリアはそのまま実践にも使えそうな魅力的なフレーズが多い。パロ別にじっくり練習するならマヌエル・サラド監督、マノロ・フランコ出演の『
Guitarra Flamencaシリーズ』がよさそうだ)
There is no accounting for tastes.(たで食う虫も好き好き)ということわざがありますが、二回に渡って超私見フラメンコ論を書いてみたいと思います。まずはギター編。
少年期から音楽を始め、ポピュラー音楽に傾倒していた時期が結構長かったのですが、仕事の忙しさにかまけてしばらくは音楽活動を中断。映像を作り始めた最近になってまた音楽熱が復活してきたものの、以前のようにリスナーとして音を楽しむことにはさほど魅力を感じなくなってしまいました。もはや口当たりの良いだけのポピュラー音楽には自己のリアリティを投影できなくなったのです。自分自身を削り取って創り出す音、いわば彫刻作品のような音にこそリアリティを感じるのです。これからの人生における音楽との関わりは「世界と自分との関係」の中で生み出される、体内から溢れ出す音に耳を傾けていくことでしょう。
そんな時期にフラメンコに興味を持ったのは、そこにインドから長い放浪生活の末アンダルシアに辿り着いたジプシー(この記事ではロマ表記よりもジプシー表記を優先します)の血や誇りを見たからです。魂の叫びという点では黒人ブルースが思い出されますが、フラメンコにはさらに民族としての誇りと芸術的な完成度が見受けられます。僕自身はジプシーになることすら出来ませんが、彼らの魂や誇りを「感じる」ことはできるのではないだろうか。さらに自分で演奏してみれば、少しは彼らに近づけるのではないかと。
・・・と、前置きが長くなりましたが、独学で始めたフラメンコ・ギターがだんだんと体に馴染んできた昨今、色々な技術や感覚がモノになるにつれいろいろな疑問が浮かび、それに対処すべく方法を模索する日々です。ポピュラー音楽の経験も踏まえてこれから自分はどうやってフラメンコ・ギターと付き合っていけばよいかを、自分なりに検証してみたいと思います。
(1)フラメンコ的ドライブ感が出ない ラスゲーアード、アルサプーア、ピカード、ゴルペ等、フラメンコの特殊な奏法をマスターした後は、アーティストのファルセータやエチュードを練習しています。譜面を使ったりリスニングでコピーすることはポピュラー音楽の時代からやってきていることなので、集中して何度も繰り返し練習すれば形になるのですが、フラメンコに関しては完全コピーして弾いてみても「何か」が違うことに気付かされます。もちろんゴルペをコンパスのタイミングで鳴らすことも意識しているし、決してリズム感も歌心も酷いというほどでもないのですが、自分のグルーブ感覚が微妙にフラメンコ的でないことを思い知らされました。ジプシーが先天的に持っている三拍子の馬のリズムを、どうやって後天的に自分の体に染みこませるか、それが大きな課題としてあります。打開策として以下の三つを考えてみました。
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トケを徹底的に練習する:トケ(伴奏)を知らないでソロを弾くと、今までのポピュラー音楽のノリが無意識に出てしまい、フラメンコ的ドライブ感が出てこない。トケを習得すれば、ソロを弾いている時にも自分の内側でトケが鳴っているような感覚で演奏できるのではないか。
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コンパスを体で覚える:たとえばブレリアの基本コンパス「1 - 2 -
3 - 4 - 5 -
6 - 7 -
8 - 9 -
10 - 11 -
12」を演奏中に「いち、に、
さぁ〜ん」と頭で数えているうちはなかなかフラメンコ的ドライブ感が出てこない。その12拍をひとつのかたまり(パターン)として感覚的にゆらぎを体得できれば、フラメンコ的ドライブ感が出てくるのではないか。ゴルペも意識することなくコンパスと同じタイミングになるだろう。
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パーカションやパルマスでごまかさない:上記二点を習得しない内から、CD音源などでパーカッションやパルマスを流して練習しない。パーカッションやパルマスを入れることによってフラメンコ的ドライブ感は出るが、それにごまかされて、本当のギターの力量が見えずらくなってしまう。ギターだけでフラメンコ的ドライブ感が出せるまでは、メトロノームの方が有意義だろう。
(2)パロとコンパスがよく分からない ブレリアやシギリージャス、ソレア、タンゴなどは決めのフレーズが特徴的なので、数を聴いているとだんだんと分かってくるのですが、たとえばモダンなカマロンのカンテを聴いてすぐにパロが思いつかないものが多々あります。そしてその時のコンパスもよく分からず、パルマスもアレンジが複雑でお手上げになってしまい、混乱することもしばし。
この解決策はトラディショナルなカンテをたくさん聴き込んで基本を知ることが大切です。同じパロでも地方によっていろいろあるので、ブレリアならブレリアだけ地方ごとにいろいろなカンテを聴くといった方法がさらに効果的のようです。
(3)自分でファルセータを作ってみる 僕自身は他人の楽曲、たとえばパコ・デ・ルシアやトマティートの楽曲を人前で演奏しても、あまり満足感は得られないと思います。自分の表現ではないからです。下手でもいいから自分の楽曲で感情表現することが目標です。
フラメンコの場合は、ポピュラー音楽の作曲メソッドとはちょっと違うように思います。コードの押さえ方も独特なものが多く、コード進行も多様性があるというわけでもなく、伝統に則ってパターン化されているようにも思います。
ゴッホが浮世絵を模倣したように、好きなアーティストの楽曲やファルセータをたくさんコピーするのは大切でしょう。これはポピュラー音楽と同じです。でもただ闇雲にファルセータや楽曲を機械的にコピーするだけでは応用が利かないので、それを細かく分析することも必要です。ギタリストたちのフレーズのクセを見極めたり、印象的なフレーズはブツ切りにして他のパロに意識的に採り入れてみるのも良いかもしれません。ゴッホが浮世絵の模倣を経て試行錯誤の末、自分のスタイルを確立するのと似ていますね。
フラメンコで多用されるスケールは、教会旋法のフリジア旋法(T - m2 - m3 - P4 - P5 - m6 - m7)に長3度の音を加えた旋法(T - m2 - m3 - M3 - P4 - P5 - m6 - m7)であり、現在のコンポジット・モードでは「スパニッシュ・8ノート・スケール」と呼ばれているものです。M3の音がアラビックなテイストを感じさせる重要な音になりますね。このスケールをギターのフレット上で覚えるのが一番良いですが、例えばトマティートは「毎日かなり練習はするけど、スケール練習もエチュードの練習もしない」とインタービューで語っていて、彼が一体どんな方法で練習や曲作りをしているのか気になります。
とにかく自作の楽曲で表現しない限りは、僕はフラメンコという音楽にカタルシスを得られないのではないかと思います。
(4)独学で出来るのだろうか 近くに学べるところがあればスクールに通うことに越したことないです。ギター経験のない超初心者ならばなおさらです。ただ僕の場合は、近くにスクールがないために独学せざるを得ない状況で始めました。
最初はCD付きの教則本を購入しましたが、全く使いものになりませんでした。ラスゲアードの分解写真を見るだけでラスゲアードは弾けるようになりません。エチュードもある意味ではクラシック・ギターの奏法だけで弾けてしまうようなものばかりでした。初級のエチュードなんてつまらない曲ばかりだし、後で使えそうなフレーズもほとんど無いですね。
その後、インターネットでフラメンコのメソッドを動画で公開している親切な愛好家の方々のサイトや、YouTubeの動画を参考にして、基本的な奏法をマスターしました。それらを観るまではラスゲアードの弾き方は全く理解できませんでした。時間を割いてかなり練習しましたが、ここまで約二ヶ月を要しました。ここまでの基礎レベルはスクールで先生から教わった方が断然上達が早いと思います。
その後、
オスカル・エレーロのDVDの基礎編(ii)と(iii)を購入し、DVDによるメソッドでかなりしっかりと奏法を理解することが出来ました。やはり実際に演奏をしている映像を見るとかなり分かりやすいです。独学で始めるならこのDVDはオススメです。ラスゲアードなどの基本奏法を理解できると一気にフラメンコの世界が拡がります。現在は『
La guitarra flamenca de Tomatito』など、アーティストが実際に自作曲で使っているファルセータやエチュードを練習しています。これによりフラメンコの楽曲の構成や細かな理解が一層深まりました。ここまでで約五ヶ月です。
今となっては自分はスクールに通う必要はなかったと判断しています(通えば上達は早かったとも思いますが)。多くのスクールでは基礎を教えた後に楽曲やファルセータの練習に入ると思いますが、その時点でやることは市販の楽譜や各アーティストの教則DVDでやるのと同じ事になってしまうからです。譜面を先生から渡されて「じゃ来週までに練習してきて」の繰り返しになると、もはや金をドブに捨ててしまうようなものです。そこまで出来るようになれば、あとは独学で始めても良いのではないかと思います。魅力的なファルセータやレマーテの作り方を伝授してくれたり、精神的な面で語り合えるほどウマのあう先生ならばこの限りではないですけど。
独学のために自分を客観的に観られなくて困った時は、自分の演奏をビデオ撮影して、インターネットのフラメンコ関連のコミュニティにアップロードして、愛好家からの意見を仰ぐ方法もあるかと思います。独学では判断が独りよがりになりがちなので、客観的に判断してもらえる環境はとても貴重です。
(5)スペインに行けばもっと上手くなるか どうせやるなら本場で学びたいとは誰しも思うことでしょう。実際に僕も学校を調べ行動に移そうと思った時期もありますが、結局はすぐに飛び出すことは止めました。スペインは今までに何度か訪れてますし、スペインに行けばフラメンコがもっと分かるようになるというのは幻想だと思っているからです。
スペインで出来て日本で出来ないことはもちろん多いと思いますが、日本で出来ることも多いと思います。日本で出来ることを充分にやってからスペインに行っても遅くはないだろうと。それも留学という形でなくても構わないと思ってます。ヒターノ(ジプシー)が高い授業料を払ってまで学校でわざわざ奏法を習うでしょうか?インドの貧しい子供ですら英語が堪能なのはなぜでしょうか?彼らは人から人へ、親から子へと技術や知識を継承しているからです。ヒターノやインドの子供までとは言わないまでも、過剰な情報化社会である日本でなら、父親の代わりとなるメソッドは探せばいくらでもあります。ちなみに僕はデザインを職業にしていましたが、全くの独学で覚えました。それを職業としてやってこれたのは「熱意」にほかなりません。だから他のことも独学でできると思うのです。
効果的に学ぶ方法は例えば、自分のギター演奏のレベルがある程度のレベルに達してから渡西し、現地のマスターに評価してもらい悪い点やクセを短期間で集中的に直してもらうことは如何でしょうか。これなら一ヶ月も現地滞在すれば結構いろいろなことが出来そうです。
スペインで学ぶ以外にも、メソッド体系がしっかりと確立されているアメリカで学ぶのも良いかと思います。またインターネットでも英文サイトまで含めれば、フラメンコのメソッドに関してかなりの情報が得られます。今ではネット上でタブ譜付きの楽譜も入手可能ですし、タブ譜閲覧用のソフトウェアも色々選べるようです(マック用では
GuitarProや
tableditなどがオススメ)。
以前グラナダに数日滞在したときの話です。とあるタブラオにてフラメンコのライブ撮影を交渉する予定だったのですが、現地で風邪をこじらせてしまい実現には至りませんでした。日没後の街中のバルから漏れてくるパルマスと楽しそうなカンテ、アルバイシンの小さな広場で観たジプシーの子供たちのバイレなど、市井の人たちが楽しむ光景にはとても心惹かれました。ギターがなくてもフラメンコはフラメンコ。そしてカンテが主役とはいえ、バイレだけでもやはりフラメンコを感じました。体一つあればそれが表現になってしまう。単純なことなのに凄いことだと思いました。
僕が心惹かれるのは、ヒターノたちがストリートで自分たちのために楽しんでいるシンプルなフラメンコであることを確信しました。 次にアンダルシアに行くときは是非ともブレリアの発祥地ヘレスを訪れてみたいです。普段は静かな町ですが夜になるとバルでフラメンコを楽しむ人々で賑わいをみせるとのこと。異国の東洋人が一人でその輪の中に入っていくのはちょっとためらいますが、行ってみないことにはどうなるか分かりませんよね。
(次回予定『誰も書かないフラメンコ論【カンテ編】』/木曜更新)
2008/02/07
フラメンコ
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1967年、ジョン・レノンはTM(Transcendental Meditation、超越瞑想)に参加するため、インドのリシュケシュのヨガ聖者マハリシ・マヘシ・ヨギの元を訪れた。マハリシが、女優のミア・ファローら同行した女性信徒に不貞を働きかけようとしたところから、ジョンが激怒して「セクシー・セディ」を発表したのは有名な逸話である。俗人性が露呈されたマハリシをあえて「セクシー」とするジョンのアイロニーは秀逸だし(なお「セディ」は「サドゥ」から作ったジョンの造語)、淡々とした楽曲のクールさがかえって彼の怒りの奥深さを物語っているようだ。
そんなジョンとは対照的に、当時ビートルズと一緒に同行したビーチ・ボーイズのマイク・ラブは、マハリシにより深く傾倒していき、彼を讃える「アナ・リー、ザ・ヒーラー」を発表、その後はマハリシ国際大学の学生になるほどのめり込んでいった。
マハリシが俗人だったのか否かは分からない。俗人には不貞に見える行為が、聖人には梵我一如思想の実践だったのかもしれないし、ビートルズがマハリシと訣別した理由は、彼の俗人性に失望したからではなく、アシュラム(修行場)において、ジョンや彼の取り巻きたちが麻薬を吸ったために、マハリシが撤去を求めたという当時のアシュラム関係者の証言もある。だが聖なるリシュケシュは現在に至るまで、世界の富豪のパトロンや性的享楽で繁栄してきたこともまた真実なのである。畢竟インドの精神世界も、この不条理な現代世界の縮図なのである。そのカオスの中、いかようにして聖なる領域にたどり着くかは、もはやストイックな自己との格闘においてのみ他ならない。
さて時は2008年1月。日本で初めてのサドゥの写真集
『サドゥ〜小さなシヴァたち/柴田徹之(彩図社)』が発刊になった。柴田さんは、南アジアを中心とした写真を撮っている写真家であり(彼のホームページ「chaichai」は、本ブログ右段のリンク参照)、またライフワークの一環として17年間サドゥを追いかけてきた。サドゥとは、解脱の道を歩むべく、世俗を捨て聖地を巡礼しながら一生を終えるヒンドゥー信者である。観光地で屯(たむろ)する金銭目当てのインスタントなサドゥとは似て異なる、世俗を超越した真摯な彼らの生き様がこの写真集からうかがい知れる。ダルマ(社会的正義、名声)、アルタ(財、金)、カーマ(愛欲、その対象つまり女性)と呼ばれる神への三つの債務を弁済し、モークシャ(解脱)への模索者としての彼らの姿が、この写真集では生き生きと表現されている。
誇り高い彼らは真のセクシー・セディである。無味無臭な存在感。頼りなさげなのに力強くもあり、性すらも超越した存在。ニヴィリッティ・マールガ(※1)を基調としながらも、プラヴリッティ・マールガ(※2)の要素をも多分に取り入れる。つまり、現世を完全に否定してしまうわけではなく、輪廻の世界よりの離脱(解脱)あるいは精神的至福をも得ようというタントリズムこそが、彼らセクシー・セディたちの世界観の入り口なのである。さらに高次の境地では、彼らは人里を離れニヴィリッティ・マールガをより重視する段階に入る。
解脱への道のりは辛く厳しく、志し半ばにして途中で諦めてしまう修行者も多いときく。実際に解脱まで辿り着くサドゥは、おそらくかなり少ないと思われる。そして俗世に舞い戻った多くの落ちこぼれサドゥは、奇術や占術を見せ物にしたり、観光サドゥとして生きる道を見出す。こんな落ちこぼれサドゥに対しても市井の人々は聖なる対象と見なし、(多少は疎ましく思いながらも)食事や金銭などの施しを与えるといったことからも、インドの懐の深さをうかがい知る。
タントリズムは、その起源をヴェーダ期あるいはそれ以前にもちながらも、インド思想史の中ではもっとも遅く有力になった思想・宗教形態である。ヒンドゥー教の経典の歴史は通常、ヴェーダ、ウパニシャッド、プラーナ(神々の系譜)、そしてタントラという順に考えられている。インド仏教の経典は、プラーナとタントラの時代に並行して編纂され、仏教においても厖大な数のタントラ経典が著された。
タントリズムは、その古い起源から続くものであれ、後の歴史の中での土着的要素の影響のせいであれ、非アーリア的要素をもっているが、かといって、タントリズムが常に正統派バラモンの勢力と反目したというわけではない。バラモン階級に属するタントリストたちが、非タントラ系の哲学の体系に劣らぬほどの精緻な体系を作りあげ、その体系の見事さを正統派バラモンたちが認めたという例もある(もっとも、多くのバラモンたちによるタントリズム一般に対する蔑視は、今日もなお続いている)。
ヒンドゥー・タントリズムは9世紀ごろから活発になり、12世紀〜13世紀に全インドに勢力を広げた。一般的には(一)シヴァ神をとくに崇拝するシヴァ派、(二)ヴィシュヌ神をとくに崇拝するヴィシュヌ派、(三)ドゥルガーやカーリーなどの女神を崇拝するシャークタ派、の三つに分類され、仏教タントリズム同様、現世拒否の態度が緩和される中で、儀式の機能を一層重視し、シンボルをもちい、その意味するものを直証しようとする。ヴェーダの宗教では忌避されていた要素、たとえば、血、骨、皮といったものが、儀礼においてよりいっそう積極的にもちいられ、重要な象徴意味を与えられた。とくにシャークタ派では、血の儀礼が重視され、動物供養が盛んに行われ、その伝統は今日でも残っている。
このようにヒンドゥー・タントリズムは(仏教タントリズムも)、それまでは忌避されていた「不浄なるもの」をシンボルとして積極的にもちいることによって、自らの儀礼空間の中に過度の緊張をわざと作り上げる。その緊張は「浄」と「不浄」の区別あるいは「聖なるもの」と「俗なるもの」との区別を生み出すのに役立つのである。
サドゥはシャイヴァ・シッダーンタ(※3)をその哲学体系とするシヴァ派に属するが、前述した柴田さんの写真集『サドゥ〜小さなシヴァたち』では、アゴーリと呼ばれる若いシヴァに固執する人食いサドゥ集団や、旅人をカーリー神の生け贄とする黒魔術集団サギー教など、異端な集団にも触れられており、その過激な極右思想にもタントリズムの底知れぬ奥深さを垣間見たのであった。
タントリズムはその神秘主義思想から、知的なヨーロッパ人の興味の対象とされてきた。ヨーロッパ人の神秘主義に対する関心の大きさは、近代でも鈴木大拙が「禅」を神秘主義に変容(という表現が適切かどうかは分からないが)したことにより、一躍ヨーロッパで「ZEN」ブームが巻き起こったことからもうかがい知ることが出来よう。
タントリズムは、ローマカトリックにも通じる儀式的性格という共通項を持ちながらも、マンダラやタントラ・ヨーガなどタントリズム独自の高度に組織だった瞑想体系といった側面が、知的なヨーロッパ人には斬新なものとして映ったのである。だが、南方熊楠との交流でも知られる真言僧の土宜法竜は、そんなヨーロッパ人のようなエキセントリックな見方でなく、正しい密教としてのタントリズムのあり方を真剣に悩み、チベット仏教やスェーデンボルグの思想にまで傾倒していくこととなった。当時の土宜のチベット仏教に対する正確な理解は、ある意味では河口慧海のそれにもまさっていたといわれている。
(以降の文章は、土宜の追い求めた仏教タントリズム(真言密教)の視点から展開)
土宜法竜は正しい密教としてのあり方として、密教のもつ「秘密性」の本質を理解することを切実にもとめていた。大日如来が「秘密仏」と呼ばれるのはなぜか。真言密教では、大日如来は宇宙の本体そのものと同一であることが説かれている。と、すれば、宇宙の本体そのものの「秘密性」とはなにか。真言密教の考える「秘密性」が、ヨーロッパの神秘主義思想の中で説明しきれるものとは、彼には思えなかった。しかし、もしそうであるならば、真言密教は、その「秘密性」の根源をはっきりと説明できなければならない。
ロンドンの大英博物館で出会って以来の友人、南方熊楠はこの土宜の疑問に、後に南方曼陀羅を形成することとなる(一)不思議の体系、(二)マンダラの構造、(三)縁の倫理、の三つの側面のうちから「不思議の体系」を持って書簡で応えた。
南方熊楠は世界行脚を終え、三十四歳(明治三十三年)で熊野那智に隠棲し始めたころに、この「秘密」の本体を「不思議」として言いあてようとしている。彼はそこで、ふたつの種類の不思議を見分けようとしている。すなわち(一)人智によって知ることのできる物不思議(これは物質の領域にみいだされる不思議である)、心不思議(アーラヤ識の上にかたちづくられる真理や思考の働きのこと)、事不思議(精神現象が、物質の領域とまじわるところにつくりだされてくる出来事の全体をさしている)、理不思議(これは言語表現が宇宙の不思議をとらえることのできる、その不思議をさしている)と、(二)それをはるかにこえた「大日如来の大不思議」である。
人間はこの宇宙の中に、それにつつまれるようにして生きている。ただ生きているのではなく、彼が「実存」しているとき、人間の知性の前には、さまざまな「不思議」があわらになってくる。世界の「秘密」が開かれてくるのだ。だから、人間が実存しているときには、彼は世界の「秘密=不思議」を開きながら、さらに奥にある「秘密」の中に入り込むようにして生きていることになる。この世界に顕在化しているこれらの「不思議」については、これを人間の知性の力によって追跡し、究めていくことが可能なようにできている。それというのも、人間の認識作用自体が、アーラヤ識を土台にして形成されたもので、アーラヤ識の存在構造は、物質現象の存在構造(それは時間と三次元空間の中へ顕在化したものである)とパラレルな関係にあるので、人間が人知を究めて、アーラヤ識の本体の認識にたどりつくことができたときには(そんなことが、いつできるかはわからないが)、物不思議をはじめとするさまざまな世間宇宙の不思議は、無数の理の集積体として認識される可能性をもっているのだ。しかも、その無数の理の集積体というものは、一種の全体性をもっていて、どの部分、その入口から入っていっても、ついにはその理の集積が織りなす、巨大なネットワークの中に踏み込んでいけるようになっている。
だが、宇宙という全体運動そのものである「大日如来の大不思議」については、そうはいかない。それはアーラヤ識の外部にあるので、知性の働きがそれをこえることができないかぎり、そこに辿りつくことはできないのだ。それは宇宙の「秘密」が底なしであることをしめしている。人間がこの底なしの「秘密」にむけて、自分の実存を方向づけることができたとき、彼はもっとも深々とした可能性をもって、この世界を生きることができるだろう。その「秘密」は、ちっぽけな粘菌のような生き物にさえ、はっきりとしめされている。森羅万象あらゆるものが、底なしの「秘密」に対する感受性を保ちつづけるかぎり、人間は実存する。その意味でも、人間はダイナミックな存在なのだ。彼は「秘密」の中にあって、「秘密」を開きつつ生きるダイナミックなプロセスそのものなのである。
熊楠が、密教思想をベースにした壮大な表現論、生命論、科学論の構築をより深めていくのが、この熊野那智で隠棲生活を始めたころであった。このころの彼はめったに哲学や宗教の本を読まず、昼は粘菌を探し山中を駆け回り、夜は閑寂な世界の中で思索に集中していた。時としては深夜に幽霊があらわれ(それは熊楠の父母であったり、青年時代に同性愛的感情を持っていた友人だったとされる)、探したいと思っている粘菌の居場所などを教えてもらうことをたびたび経験し、彼は「脳力の高まり」によって、霊的現象をつくりだす人間の知覚構造をこえた高次元実在を確信するようになった。
孤独なこの隠棲時代は、プラヴリッティ・マールガからニヴィリッティ・マールガへの変容でもあった。それはサドゥがより精神的至福へと至る解脱への道に似ている。熊楠もタントリズムのよりセクシーな領域に突入していたのだ。そして多くのセクシー・セディたちがするように、彼も衣類を脱ぎ去り自然と一体となった身で生活をしていたという。底なしの「秘密」に対する感受性を保ちつづけ、宇宙と自己との同一性をあまねく体感したからこそ、大乗仏教の思想と科学の学理を結合させ、後に南方曼陀羅というダイナミックな思想の展開に辿り着いたといっても過言ではない。タントリズムの唱える「実践」の重要性を、彼は身を持って体現させたのである。
那智の隠棲時代の南方熊楠に、ぼくはサドゥを見たのである。
【参考・引用文献】
・はじめてのインド哲学/立川 武蔵(講談社現代新書)
・ヒンドゥー教 インドの聖と俗/森本 達雄(中公新書)
・森のバロック/中沢 新一(せりか書房)


※1. ニヴィリッティ・マールガ:寂滅の道。人間の通常の営みを、否定さるべき「俗なるもの」として規定し、その否定の結果、顕現してくる精神的至福(悟り)を得ようとする態度。家や名声を捨てたヨーガ行者たちの歩むのは、この道であった。
※2. プラヴリッティ・マールガ:促進の道。われわれの心作用、行為、あるいは現世を否定するのではなく、積極的に富や名声を獲得すべく自らの生のあり方を活性化するもの。
※3. シャイヴァ・シッダーンタ:シヴァ聖典派。シヴァ神をたたえるシヴァ聖典(シヴァ・アーガマ)に基づく哲学学派。シャイヴァ・シッダーンタは、パラマ・シヴァ(最高シヴァ)とパラー・シャクティ(すぐれた力)との二大原理を設定し、この男性原理と女性原理との活動によって、宇宙の生成と構造を説明する。シャクティは力(男神の本質としての力)、妃を意味する。シヴァ神にはシャクティ(力)がある。この力は、パラー・シャクティとしてシヴァとともにあったり、世界の原因としてのマーヤーであったり、展開の結果としての非精神的な物質であったりする。つまり、シヴァ神と個我とが存在する場である世界の形成は、シャクティのあらわれであるマーヤー(幻)による。マーヤーが段階を追って展開し、霊魂(プルシャ)に身体、感官、感官の対象などを与えて、世界現象をかたちづくるのである。
2008/01/25
雑記
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さてフラメンコ・ギターですが、昨年末のブログ関連記事を公開した直後に購入してしまいました。
まずは新品のレスター・デヴォーをオーダーしようと思い、ホームページから問い合わせてみたところ、やはり2年半から3年程の待ちで、しかも完成時には2007年比の10〜15%の値上げを見込んでいるとの返答。日米の経済も先行き不透明なこのご時世、待つことよりも値上げの方が辛いので、新品デヴォーは一旦保留に。
そして最近気になっていた
アーロン・グリーンとコンタクトを取ってみることを考えました。デヴォーと同価格帯のグリーンの日本国内での情報は皆無ですが、米国の関連フォーラムではデヴォーと同等かそれ以上の評価もある様子。でも自分が実際に両者を弾き比べた訳でもないので、情報をそのまま鵜呑みにするのは危険な面もあり、グリーンも一旦保留に。
その後、米国でコンディションの良さそうな中古のデヴォーを二本売りに出しているのを発見。一本は現地ミュージシャンの個人出品の2006年モデル、もう一本は別ギターの件で以前から何度か問い合わせをしていた
La Falsetaの委託販売の2002年モデル。
両者ともかなり綿密にメールでのやりとりを繰り返し、結局La Falsetaで2002年の木ペグ仕様のデヴォーを購入しました。実際に試奏した上で納得したギターを買うつもりだったため、リスクの大きい個人輸入での購入は自分でも驚きです(今までにたくさんのギターをオークションで売却してきましたが、現物を見ない上での購入は自分は絶対にしないと思っていただけに・・・)。二本のデヴォーとも、問い合わせには迅速かつ誠意ある対応で、信頼出来る相手だったことは幸いでした。両者とも複数のデヴォーを所有しており、このギター作家に対する愛情をひしひしと感じたことも購入の決め手となりました。
個人輸入はインターネット時代以前から何度も利用していますが、ギターに関してはリスクが大きすぎるので、他人には絶対に薦められませんけどね・・・。 年末に国際郵便為替にて送金、年始にテキサス州のLa Falsetaに届いた後すぐにFedExで発送してもらい、一月中旬には日本に届きました。税金については楽器は非関税で、消費税と
通関手数料 地方消費税のみ。税金支払いは電話連絡で指示を受け、銀行振込にて(カード決済も可)。FedExの税金支払いは以前は後払いだった記憶があるので、システムが変わったのかもしれません。現地発送から5日後に届きました。気圧や温度差等による輸送中の破損が懸念されましたが、梱包も万全で付属のTKLハードケースもギターにジャストサイズだったので、全く問題はありませんでした(真夏の運搬ならさらに不安が倍増だけど)。
新しい弦が張ってあったため、不安だった木ペグの精度についてはしばらく使っていかないとまだ分からない面もあります。チューニングにはコツが要るようで、ヘッド方面に力を入れながらペグを回し調弦しないと、木ペグが緩みチューンがすぐにベロベロに下がってしまいます。おまけにこのペグがかなり硬い。後でバイオリン用のコンポジション(または白墨)を塗布してみます。
マシンの方が使い勝手は良さそうですが、見た目は木ペグの方が「らしい」ですね。デヴォー自身も木ペグからマシンへの改造を自分で制作したギターで試したところ、音質の違いは分からなかったと報告しているし、彼も一本だけ選ぶなら木ペグにすると公言しています(アリアギターの海外クラシックギター製作家リストの
レスター・デヴォーのコラム後半でも、木ペグの精度について触れられています)。
全体的に作りがしっかりしていて、大きめの音量やブライトでモダンな音色、ラスゲアードのキレも自分には予想通り、いやそれ以上のギターでした。かなり歯切れの良い鋭角的な音を出してくれます。スペインのギターとはまた違った雰囲気を持っており、完成度の高いギターという印象を受けました。薔薇を散りばめたロゼッタのデザインも美しい・・・。デヴォーの美学や人となりが伺える一本です。
650mmが候補だったので655mmは少し長いかなとも思いましたが、さほど気にはなりませんでした。ブリッジの5弦辺りに円形状のラッカーの剥がれと、ブリッジに多少の修理跡があるという二点の不具合を予め了承していたものの、現物にはリペアが施してあって、全く修復跡も分からないほど完璧に直してありました。
想像以上に良いコンディションで、素晴らしいギターでした。さらに弾き込んでこのギターに不満が出る程にならないと、演奏者としてはまだまだ発展途上なのでしょうけどね。
しばらくはブレリアを中心に練習していこうと思ってます。難関はリズム感覚。アンダルシアの各地方のカンテをしっかり聞き込んでコンパスの違いを体に染みこませないと、フラメンコのフィーリングを出すのはなかなか難しそうですね。
● Lester DeVoe Negra 2002 Spec・ Top:European Spruce
・ Back & Sides:East Indian Rosewood
・ Neck:Spanish Cedar
・ Fingerboard:Ebony
・ Tuners:Pegs
・ Scale:655mm
・ Nut:53mm
・ Finish:Lacquer
2008/01/16
フラメンコ
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