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The-Heart-of-Hindu13

 ミーナルは、聖者シュリ・シュリ・ラヴィ・シャンカール Sri Sri Ravi Shankar が主催するバンガロールの The Art of Living で瞑想の講師をしている沈魚落雁な女性である。リシケシュのラムジュラから五キロほど南下したスワミ・スワッタントラナンド・アシュラム Swami Swatantranand Ashram にてラヴィ・シャンカールの講演が開催されるため、わざわざバンガロールの事務局からやってきたそうだ。

 リシケシュのガンガーはハリドワールのそれよりも水温が低く、流れも急である。ラクシュマンジュラから少し上流側では、ゴムボートによるラフティングが盛んに行われているが、現地のインド人によると、この界隈では毎日と言っていいほど、水遊び中に流されて溺死するという事故が多発しているそうだ。実際、滞在したゲストハウスで隣室だったオースラリア人のプロダイバーのプレーム氏からも、「河で泳いでいたら三人の大男が流されてきた。二人は助けられたけど、一人はダメだったよ・・・」という話を聞かされたこともあった。

 ミーナルの撮影はスワッタントラナンド・アシュラム近くの岸辺で行ったのだが、ここも結構な水流で、しかも刺す程の強烈な冷たさ。こんな状況にも関わらず子どもたちは平気で水遊びしているし、ミーナルも十分以上足を水に浸している。私も試してみたけど三分と持たなかった。さらに彼女は流されないよう一人の女性にサポートしてもらいながら、頭まで水に潜りはじめた。下流域のハリドワールですら河の流れは結構速く大変そうだったが、ここでの沐浴はさらに過酷さが増している。ハリドワールは格が高い聖地とされているが、精神的な浄化力はさらにリシケシュ以北の上流が強そうだと感じさせられた。
 ミーナルの濡れた髪が太陽の光に反射して、艶やかな色気を醸し出している。彼女と水の女神ガンガーが重なった瞬間。あぁインド女性ってやっぱり美しいなぁとしみじみ感じさせられた。沐浴後、岸に上がって歯をカタカタと鳴らして震えているミーナルの手を握らせてもらうと、びっくりするほど冷たく、体温が全く感じられない。沐浴は荒行なのだと思わずにはいられなかった。

 後半に流れる女性の美しいソロボーカルは、サンプリング音源を使用して制作。残念ながらミーナルではない。別サンプルからブレス部だけを抽出し、小節の間に追加してリアル感を出した。ガンガーの水音は、同じ場所で 96kHz/24bit で別録りした音源を使用。あまり主張し過ぎないようにイコライジング処理で低音域と高音域をカットしたが、ヘッドフォンで聴くとまだ高ヘルツ側のノイズが少し残っているかもしれない。心地よい水音と雑音とは紙一重なのである。

The-Heart-of-Hindu12

 ラーマ王子の妻シータ姫を意味するシータラムは、サドゥとは別のグループに属するビシュヌ系の放浪民である。彼はリシケシュのマハリシ・マヘシュ・ヨギ・アシュラムの近くの川岸でテント暮らしをしており、マハリシのアシュラムでのガイドの仕事を生業としている。ちなみに「シータラーマ」の方が一般的な言い方のようだが、現地で実際に多く耳にした「シータラム」表記を採らせて頂くことにした。Ganesha → Ganesh のように、ヒンディ語ではサンスクリット語の末尾の母音が省略されることがある。

 マハリシ・アシュラムでの撮影を済ませての帰り道、河岸にぽつりと建っていた黒ビニール製のテントの前にサドゥらしき老人が佇んでいるのをふと見かけたので、興味本位で近づいてみた。小屋の中に導かれ、埃っぽい絨毯の上に腰を下ろす。名前を尋ねると「オレの名はグルだ!」と意味不明の返事。ちょっとヤバい人に当たったかなぁと不安になる。さらにいきなり鎌を眼の前で振りかざし「こうやって客を脅す奴がいるけど、オレは心配ないよ」と・・・。あぁやっぱりちょっとマズかったかなぁと軽く後悔。
 巻貝を素っ頓狂な音で鳴らし、「歯がほとんど抜けてしまったから、変な音しか出ないんだよ・・・」と照れ笑いをする。屈託のない笑顔を見たら、だんだんとこの老人に興味が湧き始め、礼拝や数珠を使ったジャパ・ヨガの光景、チャイを作る光景など、色々と撮影させてもらうことにした。間近で聞こえるガンガーの水音も心地よく響いて、平和なひとときだ。

 本作品の編集では、彼を寡黙な印象に仕立ててみたのだが、実際はかなりの饒舌家。寂しかったのか、一人で勝手に喋りまくっていた。そのうち「この前来た観光客は、オレがこんなボロ家に住んでいるってんで、五百ルピーとか千ルピーとか気前よくバクシーシしてくれたんだよなぁ」と、明らかに勝手に高額のバクシーシを期待し始めて上機嫌になっている始末。まいったなぁ、こりゃ後で揉めそうだなぁと不安が過るが、構わずに平静を装い(まぁ喧嘩になっても負けることはないだろうし)、気持ち程度のバクシーシを残して帰ろうとした時、老人が「千ルピー置いてけ!」と案の上烈火の如く怒り出した。予想通りの展開(苦笑)。
 「失望したよ。あんた偽物聖者なのか?」「他の聖者はもっと紳士だったぜ」と、こちらも煽るように応戦。結局すったもんだを繰り返して、こちらが最初に差し出した金すら受け取らないほど相手が意固地になってきたので、後味の悪いままテントを後にするしかなかった。

 その直後、近くの広場で暮らしている放浪民たちと撮影セッションを楽しんでいたら、さきほど揉めたシータラムがツカツカとやって来て(やっぱり寂しいのか?)、「く~ぅく~ぅぺう」「あふぅ~」と意味不明のことばを言い始めた。おそらく日本語で「くるくるパァ~」「アホー」と言いたかったのだろう。その子供じみた所作に思わず吹き出しそうになるものの、必死で堪え、怒った振りをして大声で一言「チェロ!」(失せろ)と一喝。老人は何やらモゴモゴと捨て台詞を吐きながら、その場を立ち去っていった。
 なんだかよく分からないシータラムのテント滞在となってしまったが、でもこの老人はどこか憎めない。彼のこころは子どものように純粋無垢だったのだ。

The-Heart-of-Hindu11

 ルドラクシャ(菩提樹の実)は、サンスクリット語でシヴァ神<ルドラ>の目<アクシャ>を意味しており、古典文献ではシヴァ神の目から流れ落ちた涙とされている。原産はインドやネパール、インドネシア。
 ルドラクシャには血圧を下げる働きがある。身につけているだけでもその効果があるとされるが、さらにルドラクシャを銅製以外のコップの水に一晩浸し、翌朝胃が空の状態の時に飲むとさらに効果があるそうだ。なお紅茶でよく知られるリンデンと呼ばれる菩提樹の葉や花にも血圧を下げる効能があるのだが、このリンデンは西洋菩提樹であり、ブッダが悟りを開いたとされる(そしてマノージギリが作品で説明している)インド菩提樹とは別の種類のものである。

 さてこのルドラクシャだが、一面から一四面に分類される。エークムキー(一面)ルドラクシャは最も出回っているが、中国で大量生産されている樹脂製の偽物も多いようだ。偽物はアートムキー(八面)以上のレアで高価なものにまで及んでおり、もっともポピュラーなパーンチャムキー(五面)でも近年偽物が出回っているらしい。
 真贋を見分ける方法のひとつとして、ルドラクシャを沸騰した湯の中で煮ることが挙げられる。樹脂製の偽物であれば、その高熱によって形が変形したり、接着剤が剥がれて二つに分離する。ただこの方法だけでは万全ではないため、X線撮影をして内部の種の数を数えるという方法がさらに確実だ。面の数と種の数が一緒ならば本物ということになる。
 インドでも実際にかなりの数の偽物が出回っているそうである。現地の人からも「露店で買わずに専門店で買った方が良いよ」と何度も釘を刺されたし、さらに専門店でも必ずしも本物が売られているとは限らない。素人が見た目で真贋を判別するのが難しい物だけに、なかなか買い物が難しそうな一品。

 ルドラクシャはその面数によって、様々な神々が守護している。例えばエークムキー(一面)ならばパラマブラフマー、ドームキー(二面)ならシバ神とパールヴァティー女神、チャールムキー(四面)ならチャトゥラーナナと言った具合だ。さらに本編でマノージギリは表面の文様にも意味を見出していて、オーム、ガネーシャ神、シバリンガムなどと説明してくれたが、クムラ(ヒングラージ女神に関連しているようだ。【2013.2.21追記】シヴァ神とガンガ女神の息子で、クジャクに乗って悪神軍団を退治する軍神スカンダの別名「クマーラ」を示しているのかもしれない)など聞き慣れない名称も出てきて、確実に裏が取れなかったものに関しては字幕に (?) をつけることで対応させて頂いた。

 自然の中に文字を見出す行為に聖なるものを感じる。これを単なる偶然と見るか必然と見るかで、世界のあり方はがらりと変わってしまう。このような見方は仏教では「縁起」と言われる。畢竟すべては「空」であり、観測される対象と、その周辺の無数の縁による相互的関係的な出来事によって物事は成立している。「ある」か「ない」の二元論で語れるものではなく、「ある」ということが起こる事もあるし、起こらないこともある。すべての現象は「縁」なのである。
 さらにマノージギリは「3」と「M」をラッキーアイテムとしているようで、私の手相に大きな「M」が刻まれていたこと、そして私の日本名、彼から授かったインド名、そして彼の名の頭文字が全部「M」になっているからという、もはやこじつけとも思えるような理由から私をファミリーとして迎えてくれたのだが、これも「ある」か「ない」の二元論で語れる現象ではなく、やはり「縁」なのだなぁとつくづく感じた。

 ところで、映像でマノージギリはオームの意味を「お袋、親父、そして神」と素晴らしい解釈をしている。一般的にオームは「宇宙の始まりや終わりを示す音」「a は維持神ビシュヌ、u は破壊神シバ、m は創造神ブラフマーを示し、トリムールティ(三神一体)の真理を表している」などと抽象的に説明されるが、「両親と神様を大切に」というマノージギリのシンプルなことばの方が、ダイレクトにこころに響いてこないだろうか。

The-Heart-of-Hindu10

 早回しのシーケンスは、ハリドワール駅前のホテル街シヴゥ・ムルティ Shiv Murti、ハリドワールからカンカール行きの道中、リシケシュのラクシュマンジュラの寺院、ハリ・キ・パウリー Hari Ki Pauri 等で撮影したもの。クンブメーラ期間中のハリドワール中は警察官の数が半端なく多く、ストリートで三脚立てて撮影でもしようものなら、ものの数分で「撮影はダメ!」と注意されてしまう。こっちも簡単に引き下がりたくないので、「あと一分だけ」「もう少し」と粘って、やっといくつかのシーケンスを確保できた。

 シャヒ・スナン Shahi Snan(Royal Bath)と言われる日にはサドゥの大行進が催されるのだが、それこそ人ひとりが立つのもやっとなくらいの混雑具合なので(しかもこの時期の中堅ホテルは軒並み二千ルピーほどに高騰するのだ)、当日の撮影を諦めてリシケシュに移動してしまったのだが、クンブメーラ期間中ということもあってか、普段の日ですら警備は厳重であった。
 このサドゥ大行進の模様は、前月のものがすでにビデオCD(インドはこの規格が多い)で出回っており、店頭で全編閲覧してみたのだが、やはりあの混雑状況の中では三脚を固定した動画撮影はおろか、手持ちによる写真撮影すら難しいだろうと思った。サンガムのような広大かつ土臭い情緒的な風景とは違い、このハリドワールの行進はハイウェイや町中のストリートを練り歩くものだったため、どうも興冷めしてしまったというのが本心である。「俺がおまえの住民登録してやるよ。一緒にパレード行進できるし」とマノージギリが勧めてくれたものの、そんな理由から今回はそこまで彼らの行為に甘えることは遠慮した。ちなみにインドの住民票の取得は、二枚の写真と一枚の申請用紙があれば済むそうである。本気でサドゥのファミリーになりたいと考えている人には必要かもしれないが、取得は自己責任にて。

 マノージギリからはインド名を授かったのだが、それは彼が昔使っていた名前とのこと。サドゥの世界でも、昔の日本の元服のような改名システムがあるのかもしれない。だが数日経ったら「え~っと、お前の名前って何だっけ?」と、名付けた彼自身が私のインド名を忘れてしまったほどなので、インド名を授かることにさほど意味はないのかもしれないが、彼が完全に「今」だけを生きていることは強く感じさせられた。

 さて早送り再生を前提にした映像撮影の場合、あらかじめビデオカメラのシャタースピードを遅くしておく必要がある。30P作品の場合、一般的なシャッター開角度180度にならうと、1/30 × (180÷360) = 1/60秒前後 のシャッタースピードが標準となり(だが地域によって蛍光灯のフリッカーが出る場合は、1/50等に適宜変更)、例えば6倍速再生の場合は 1/60 × 6 = 1/10秒前後 のシャッタースピードで撮影する。またスロー再生の場合はこの逆となり、例えば4倍スローの場合は、1/60 × 1/4 = 1/240秒前後 のシャッタースピードで撮影すればよいのだ。

The-Heart-of-Hindu09

 マハリシ・マヘシュ・ヨギ(一九一四~二〇〇八)Maharishi Mahesh Yogi は、超越瞑想(Transcendental Meditation = TM)で世界中で高い名声を得て、ビートルズの精神面にも影響を及ぼした聖者である。ビートルズが彼のアシュラムに滞在していた時に、高額な布施の強要や、同伴した女性信者に手を出そうとしたなどの諍いの話が今でも語り継がれているが、真偽の程は定かではない。ビーチ・ボーイズのマイク・ラヴやドノヴァン、ミック・ジャガーなども彼のアシュラムに滞在したようで、六〇年後半から七〇前半代にかけてのサブカルチャー・シーンでは特に影響力があったようだ。

 リシケシュのラムジュラから南に歩くこと二十分でアシュラムの入口にたどり着いた。横柄な政府役人から撮影機材持参だからと難癖を付けられ、通常の二倍の百ルピーを巻き上げられ(放浪民によるガイド同伴の場合は通常五十ルピー。またリシケシュ在住の白人がアシュラムのツアーを開催しているようだ)、ゆるやかな坂道をしばらく登ると堅牢な鉄製の門にたどり着いた。アシュラムはすでに雑草が生い茂った廃墟と化していて、さらに早朝の訪問ということもあって誰にも出会わず、薄気味悪さは倍増。ビートルズ関連の映像で馴染みの深い、六〇年代の清潔でリベラルなアシュラムの名残は微塵も感じられず、今はもう荒れ放題のただの廃墟。どうやらマハリシは九〇年にオランダに活動拠点を移した際に、税金対策でこのアシュラムを放置してしまったらしい。そして九七年以降は政府の森林局の管理下に置かれ現在に至っている。

 わさわさと繁っているブッシュからいきなりベンガル虎が出てきてもおかしくないような佇まいだ。時々頭上の枝がザワザワするのにビクつくが、どうやら小さな猿のようでホッとする。しかし虎とは言わないまでも、蛇くらいは居てもおかしくない雰囲気なので(実際にいるという噂も)、足下には絶えず気を配りながら小一時間かけてアシュラム内を二往復し、気になった箇所を色々と撮影してきた。今回のシーケンスでは「ビートルズの・・・」という枕詞は抜きにして、自分が純粋に興味を持ったもので構成してみた。

 一番気になったのはドーム型の瞑想施設だ。入口近くから河沿いのマハリシ邸の近くまで密集してており、その数は百以上。ジョン・レノンのラッキーナンバーであるNo.9ドームを入口ゲート近くで見つけたものの、構図的に好みでなかったので別のドームを撮影した。ちなみに「九」は中国でも陰陽思想の影響で縁起の良い陽(奇数)の極数とみなされて、ラッキーナンバーとされているし、歳差運動、たとえば地軸が一周するのにかかるのは25,920年、30度で2,160年、15度で1,080年、1度で72年であり、それらは全て「9」で割り切れる。さらには北欧の伝説やシュメールの粘土板古文書、エジプトの大ピラミッド、マヤのロングカレンダー、インド神話のリグ・ヴェーダなどにも歳差運動の数字が散りばめられており、「9」という数字は地球創造の秘密と大きな関係性があるという説もある。
 さてこのドーム型の瞑想施設だが、一階はバスルームと寝室、二階が瞑想スペースとなっている。こぢんまりとした佇まいで居心地は良さそう。茶室的な感覚。昔に暮らしていた都内のロフト付きの狭いアパート、さらにはオーストリアのアッター湖畔やヴェルター湖畔のマーラーの質素な作曲小屋や、ル・コルビュジェが晩年を過ごした南仏カプ・マルタンの休暇小屋も思い出した。狭い場所は集中力が増して、瞑想はもとより、クリエイティブな制作作業にも好都合だ。外壁の石がゴツゴツした感じは、仏像の螺髪(らほつ)を彷彿とさせ、さらに上部の外壁にはデーヴァナーガリー文字が形取られていたりして、なかなか手が込んでいる。
 このアシュラム廃墟は今後取り壊されて、星付きの観光ホテルが建設される話も挙っているそうだ。廃墟の滞在は感極まるほどのものではなかったが、取り壊される前に撮影出来たことはよかった。ビートルズに夢中だった中学生の頃から気になっていた場所だけに、長い時を経てやっと訪問できたのだから。

 BGMは、今回の作品の楽曲制作で一番最初に取りかかったもの。廃墟的な退廃感を音で表現してみた。心の師匠、武満徹氏のことが制作中に頭に浮かんでいた。こういったアブストラクト的な質感の方が、自分が作る映像との相性が良い気がしている。ポップな楽曲だとカラフルなメロディラインやコード進行、そして歌付きだと歌詞が強く主張してしまい、映像とぶつかってしまいがちなのだ。

 


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